第110話 謝罪
「なっ……」
俺は、開いた障子から現れた紅葉さんの顔を見て言葉を失った。
その顔はまるで死人の様に青白い顔をしている。
目は泣き腫らして充血して、その周囲も化粧が崩れたままで涙を擦った痕だけが赤く腫れ上がっていた。
金曜日に見た面影が霞むくらいまるで別人だ。
紅葉さんは、酷く脅えた様子で恐る恐る大広間に入くる。
その際に、ちらっと美都勢さんの方に目を向けたのだが、美都勢さんが目を合わせようとしない事に気付き、とても悲しそうな顔をした。
俺はその光景に胸が痛む。
目の前に立っている紅葉さんは、俺が大広間に入る前の時より更に弱々しく、あまりの変り様に親族も驚いているようだ。
それはそうだろう、俺なんかより親族達の方が、普段の紅葉さんを見慣れているのだから、こんな痛々しい様を見た事が無かったと思う。
皆、気の毒そうな顔をしながら紅葉さんを見ている。
先程まで怒りを露わにしていたお姉さんまで、そんな感情は何処へやらとても心配そうにしていた。
基本面倒見が良い性格なので、個人の感情は置いておいて、目の前の可哀想な女性を放って置けなくなったのだろう。
なんか、声を掛けようかどうか葛藤しているように身体をモジモジさせている。
「……あっ、あの、その、わ、私をお呼びになった理由は……?」
俺が周囲の紅葉さんに対する態度を確認していると、紅葉さんはか細い声で、そう問いかけていた。
その悲壮な表情は、今にも崩れそうな積み木の城の様で、何か一つの切っ掛けで全てが崩れ、そしてそのまま消えてしまうかの様に儚い。
彼女は今、絶望の淵に立っているのだと思う。
慕っている人に捨てられて、そしてその原因となった者から、先程まで自分の事を非難してきた人達の居る場所に引き戻されたんだ。
どれ程の恐怖を感じているんだろうか。
「お姉さん、ごめん。ちょっと俺の身体を起こすの手伝って」
俺はお姉さんに頼んで、身体を起こしてもらった。
俺の起き上がるのにも一苦労する様子を見て、更に紅葉さんの表情が曇り出す。
いや、曇ると言うより大雨だ。その両目からホロホロと大粒の涙が嗚咽と共に零れ落ち出した。
「紅葉さん……」
俺が紅葉さんの顔を見て名前を呼ぶとビクリと身体を震わせた。
周りの皆も、何故俺が紅葉さんを呼んだかの真意が分からない為、俺の発言に耳を傾け息を呑んでいる。
「あっ、あっ、あの、す、すみ……」
「紅葉さんっ! ごめんなさいっ!」
「え?」
紅葉さんが俺に謝ろうとした瞬間、俺はそれをさせるまいと今の俺が出せる精一杯の大きな声で紅葉さんの言葉を遮り謝った。
それによって紅葉さんだけで無く、周囲の皆も言葉を失い、暫し辺りは沈黙に包まれる。
「え? あの……なんで、なんで……牧野さんが謝るのですか?」
我に返った紅葉さんが、今の俺の謝罪の意味が理解出来ず俺に聞き返してくる。
「こうなったのは俺の自業自得です。だって、紅葉さんはただ大好きな美都勢さんの為に頑張っただけじゃないですか。ねぇ美都勢さん?」
急に話を振られた美都勢さんがびっくりした目でこちらを見る。
「え? えぇぇ! いや、しかし、私の言い付けを破り、あなたに大怪我を負わせたではないですか」
「それは、あんな命令すれば仕方無いですよ」
「で、でもそれは、あなた達に騙されたと思って……、あぁ……」
「そうなんですよ、皆それぞれの想いのすれ違いで起こった事です。それに俺達も途中で折れる訳には行かない理由が有りましたし、両方必死でしたからね」
先程の一件で、皆が騙そうとしていた事は、全てが逆。
その実自分の事を想って動いてくれていたと言う事を知った美都勢さん。
俺の金曜日の行動が原因で、怒りに任せてかなり無茶な命令を紅葉さんに出してしまった。
その罪を全て紅葉さんに被せるのは間違っているんだ。
「そもそも美都勢さん? あなたは紅葉さんの性格を一番分かっていたんですよね? こうなるのは予想出来ていたでしょう? 勿論俺の怪我の事で怒ってくれたのは嬉しいんですが、それで紅葉さんをクビにするのは筋違いですよ。そんな事されても嬉しくありません」
「う……、ごめんなさい」
美都勢さんは俺の言葉に、紅葉さんに罰と言う名の怒りの矛先を収める鞘として利用したような自分の行いに気付いたようだ。
「俺ではなく、紅葉さんに謝って下さい」
「はい……」
美都勢さんはそう言うと、少しばつの悪そうな顔をしながら紅葉さんの方に顔を向けた。
俺の言葉に素直に従った美都勢さんを見て、美幸さん家系の親族からどよめきが上がる。
『何で御婆様がこの少年の言う事を素直に聞いているのだ?』とか言っているけど、理事長と郡津くんはその『 幸一さんの生まれ変わりだから』みたいな顔を止めて下さい。
それは誤解ですから。
「紅葉……」
「は、はい……」
美都勢さんが、静かに紅葉さんの名前を呼ぶ。
絶望の淵に立っていた紅葉さんは、目の前で起こった想像もしていなかった出来事に、ただ放心をしているかのような表情で、美都勢さんへ生返事を返した。
「え~、あの、紅葉……その」
「はい……」
美都勢さんは、紅葉さんに謝るのを恥ずかしがっているのか、次第に言葉があれこれと詰まり、なかなか謝罪の言葉が出ないようだ。
紅葉さんは、美都勢さんが自分に謝ろうとしている状況を少しづつ理解して来たようで、少しづつ頬が赤らみ喜びの色が浮かんで来ていた。
「あの……ですね……、え~、紅葉? 今回は……」
「はい……」
お互いの立場的に今まで美都勢さんが紅葉さんに謝る事なんて無かったのだろう、そして紅葉さんも謝られると言う事が無かったのだろう。
二人とも同じ様に顔を真っ赤にしてモジモジしている。
う~ん、このまま放っておくと、いつまでも同じ事繰り返しそうなんで、そろそろ声を掛けようかな?
「美都勢さん、ほら早く謝って」
「え? あ、そうね。 紅葉……、今回は私の我侭で、迷惑を掛けましたね」
「そんな、そんな事ありません。……う、ヒック、ヒック……、わ、私が美都勢様の言い付けを守らず、牧野さんの事を傷付けてしまって……」
「いいえ、それは私の命令の所為です。光一君に言われた通りだわ。あなたは私の言う事を叶え様といつも必死で頑張ってくれていたわね。私もいつも、それに甘えていたのに……、それなのに……あなたに当たるような事をして……本当にごめんなさいね」
「うぅ、そんな事、こんな私のような者を拾って頂いて、お側に仕えさせて頂けているだけでも光栄ですのに、それなのに言い付けを破ってしまった私が悪いんです。本当に申し訳ありませんでした……、ヒックっヒック……、美都勢様ぁーーーー!」
紅葉さんが感極まったのか最後は美都勢さんの側に行き、足元にすがり付く様な形で倒れ込んで泣き出した。
美都勢さんも謝りながら涙声になってたのだが、すがり付かれた途端、大粒の涙を零し優しく紅葉さんの頭を撫でている。
二人の間に何が有って、どんな関係なのかは分からないけど、親族とはまた別の、大きな絆が二人の間には有るのは分かる。
本当に和解してくれて良かった。
今思えば、紅葉さんの事を説明する時の厳しい顔は、クビにした事への後悔だったのかもしれない。
怒りに任せて『暇を遣る』と言ったは良いが、冷静になって行くにつれて紅葉さんを失う焦燥感に苛まれていたのだろう。
二人の関係を知っている親族の皆は、目の前の光景に涙していた。
このまま紅葉さんがこの屋敷から居なくなっていたら、ここに居る全ての人達の心の中に傷が残る事になっていたに違いない。
後に今日の事を皆と語る際に、心から笑って話す事は出来なくなっていたと思う。
本当に、本当に良かった。
二人を見ながらそんな事を考えていると、何かが右肩に乗ってきた。
「え? あっモグ!」
「チュ!」
俺の肩の上でモグが『やり切ったぜ』と言う顔をしている。
「もしかして、お前。紅葉さんを引き止めに行ってたのか?」
「チューーー!」
モグは『あぁそうだ』と言わんばかりに嬉しそうに俺の顔に身体を擦り付けてきた。
紅葉さんが部屋に残っていたのはモグが頑張ってくれていたお陰なのか。
それに逃げ出そうとする紅葉さんを引き止めた際のやり取りからすると、邪魔ばかりだけでなく慰めてもいたのかな?
今やっと俺の傍に来たのも、自分が出てくると折角の感動の場面が台無しになるからと、空気を読んだのかもしれない。
いや、それはさすがに飼い主の欲目、少々買いかぶり過ぎか。
「な、なにそのでかいハムスター?」
「あぁ、美佐都さん。これがモグですよ。俺の新しい家族です」
先程説明出来なかったからね。
モグの事を紹介した。一応新種と言う事は説明したけど
学園内でそんな物を作っているってのが知れたら、大問題になって折角許されたっぽい光善寺家が出禁になりそうだし。
モグを知らなかった人達は、その身体から放つ圧倒的存在感に驚きの声を上げる。
「そのハムちゃんが、失意の中部屋で出て行く準備をしている私の所に現われて、慰めてくれたんです。本当にありがとうね。ハムちゃん」
俺が皆にモグの紹介をしていると、紅葉さんがそう声を掛けて来た。
顔を向けると、和解した二人は共に涙でグチャグチャになっているが、とても幸せそうな笑顔でこちらを見ていた。
「やっぱりそうなのか。えらいぞ~」
「チュ~」
思った通りモグは、紅葉さんの引止めをしていてくれたのか。
俺が本当に望んでいる事を分かってくれたんだな。
俺が本当に望んでいた事……、それは俺だけじゃない皆が笑って暮らせる場所を作ると言う事。
その場所には今日、紅葉さんも入って来たんだ。
美都勢さんの心の解放、美佐都さん橙子さんの救出、学園長の二十五年の無駄遣いは……、まぁ、今の俺や美佐都さんが存在している事でチャラだよね。
これで、明日からも皆が笑って暮らせるようになる。
俺はモグを褒めながら頭を撫でてやった。
しかし、紅葉さん、モグの事をハムちゃんって呼ぶし、確かドキ先輩の事を妖精ちゃんとか言っていたよな。
実は可愛い物好きなんだろうか?
「ありがとう、光一君。私はまた間違う所でした。紅葉もお礼を……。おや? ふふふ、あなたのそんな顔初めて見たわ。そんなに彼の事を気に入ったの?」
「え? あっいや、もう、美都勢様ったら……。牧野さんありがとうございました。お陰でまた美都勢さんの元で働けます!」
「紅葉さん本当に良かったです。これであなたとの約束は守れたでしょうか?」
「はい、牧野さん……ありがとう…本当に」
顔を真っ赤にして、しどろもどろになりながら俺に礼を言ってきた紅葉さんに、約束が守れたかの確認をした。
約束といっても、俺の憶測で勝手に言い出したことだ。
彼女の願いと本当に合っていたのか少し心配だったけど、その回答によると、どうやら守れていたみたいだ。
良かった……、そう思い、暫し紅葉さんと見詰め合う。
あれれ? だんだんと紅葉さんの眼差しが何かとても熱を帯びている様な感じなって行くんだけど?
どうしたんだろう?
「あ、痛! え?」
紅葉さんの熱い視線の意味が分からず首を傾げていると、右腕が痛み出した。
何だ?すっごい痛い! でもこの感じは怪我によるものじゃないぞ?
なんだろうと痛みの元を確認すると、ジト目でこちらを睨みながら右腕をつねっている美佐都さんが居た。
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