第109話 震える声
「え? 暇を遣った? ……それは、一体? どう言う事?」
美都勢さんの口から放たれたその言葉に、理解が追いつかない。
暇を遣るって何だっけ? 紅葉さん働き過ぎだからご褒美に休暇を与えるって事?
いやいや、そうじゃないよね絶対。
それは美都勢さんの表情が語っている。
雇い主が使用人に『暇を遣る』と言う事は、『お前はクビだ』と言う意味だ。
そんな……、どうして? 俺が意識を失っている間に何が有った?
「紅葉は……、紅葉はやり過ぎたのですよ。分を弁えず、私の言い付けを破りあなたに深い傷を与えた。腕の件もそうですが、何より足の傷は下手したら命に係わっていた事でしょう。紅葉も当てる気で投げたと言っていました。今回あなたが運良く避けたから良いものの、まともに刺さっていたとしたら、今頃失血死していた可能性も有ります」
美都勢さんは半ば憤りながら事情を説明する。
その言葉に文字通り血の気が引いた。
頭の中が真っ白になり次の言葉が出ない。
「コーくん、あのね。コーくんが倒れた後に私達も大広間に入ったの。そしたらコーくんが死んだように倒れていたもんだから皆パニックになってね。そんな中、あいつは急に今回行って来た色々な悪事を白状しだしたわ。データ削除の件もそう。嘲笑うつもりで、わざわざ消した事を誇示する真似をしたと言っていたし、コーくんへの怪我も感情のまま故意に傷付けたと言っていた……」
俺の困惑の表情を察したのか、お姉さんが美都勢さんに続いて事情を説明する。
俺に対しての説明なので感情を抑えて喋ろうとしているが、所々怒りが滲み出ている様だった。
確かにデータ削除に関しては変な笑いが込み上げてくるぐらい徹底して行われていた。
けど……。
その件に関してもだけど、今思うと屋敷で現れた際の言動も一々大げさで芝居掛かっていたし、あれは俺達の心を挫く為にあえてしたんじゃないのだろうか?
「途中で何度殴ってやろうかと思ったわ。コーくんに言われてたから我慢したけど。話が終わった後にあまりの内容に皆非難轟々であいつへの糾弾が始まったのよ。でもあいつは何も言わずジッと黙っていた。そこで創始者が『出て行け! 二度と顔を見せるな』と言って追い出したの」
そ、そんな……、俺の意識が無い時にそんな事が有ったなんて……。
あれ? 美都勢さんの話では俺の肩を治してくれたらしいけど。
「紅葉さんて、俺の肩を治してくれたんだよね? どう言う経緯で治してくれたの?」
「あぁ、それは部屋を出て行く際に、コーくんの肩だけは治させてくれと言って来てね。本当は触らせるのも嫌だったけど、他にそんな心得の有る人は居なかったんで渋々了承したわ。勿論皆の監視の元よ」
恐らく、紅葉さんはあの時の感触で折れたのではなく、関節が外れたと言う事を分かっていたのだろう。
いやそれどころか、もしかすると紅葉さん自身が、咄嗟に俺の関節を外す事により、ダメージを最小限に抑えようとしてくれたのかもしれないな。
しかし、と言う事は、皆に怒りの目を向けられ針の筵に座る様な状況の中、俺の肩を治してくれたのか。
それを思うと身体の奥から焦燥感が沸き起こり、居ても立っても居られない。
このままではダメだ、何とかしなくちゃ。
「紅葉さんがこの部屋から出て行ったのはいつ頃? いや、そうだ。そもそも俺はどれくらい寝てた?」
「ど、どうしたの? コーくん? あれから……、え~と一時間位かしら? 救急車を呼ぼうかと思ったんだけど、丁度ここの医療スタッフとか言うのに連絡が付いてね。下手な病院より腕も設備も良いらしいんで、すぐに呼び寄せて治療して貰ったのよ」
「え? 一時間? 俺が倒れてから、たったそれだけしか経ってないの?」
俺は自分の耳を疑った。
え? 紅葉さんが去ってから一時間の聞き間違いか?
「そうなのよ。診てくれたお医者さんの話だと、明日まで目を覚まさないかもしれないと言っていたから、こっちもびっくりよ」
俺もびっくりだよ。
一度意識を失ったら、二~三日は寝っぱなしになると思っていた。
身体はまだ怠く、起き上がる事はすぐに出来そうにないけど、思ったより意識ははっきりしている。
光善寺家が派遣している医療スタッフが余程腕が良いのか、それとも別の理由なのか。
でも、それならまだ間に合うか?
「美都勢さん。紅葉さんはもうこの屋敷から出て行ったんですか?」
「え? 何故? ……う~ん、どうでしょう? 紅葉は仕事が早かったですからね。既に引き払う手配をして出て行ったかもしれません」
そんな! すぐに確かめに行かなくちゃ!
俺は慌てて立ち上がろうとしたが、気持ちだけが先走り思った様には動かない。
何とか布団から上体を起こすので精一杯だった。
先程から何か右腕が引っ張られるなと思ったら、何本か点滴の管が刺さっているじゃないか!
俺はその管を抜こうと左手で掴むが、力を込めると左肩に激痛が走る。
「ぐっ……」
その痛みによって思わず管から手を離してしまった。
右手で左肩の様子を確認すると、どうやら湿布か何か貼られているようだけど、その上からでもかなり腫れているのが分かった。
肩は嵌めて貰っているとは言え、さすがに脱臼状態で無茶をし過ぎたんで、状態は酷いようだ。
それに布団の上とは違い、起き上がった状態で肩を動かして力を入れるのはマジ痛い。
無茶の多くは、主に学園長と千林ファミリーズの抱き付き攻撃割合が大きいような気もしないでないけど……。
しかし、痛み止めの薬でもこれだけの痛みなんて、薬が切れたらどれ程なんだ?
「何してるんですか、光一君! まだ動ける身体じゃありませんよ」
「コーくん! 駄目よ! 寝てなさい!」
美都勢さんが、俺の行動に慌てて声を上げた。
お姉さんも、強引に俺を寝かせ付ける為にと、布団に押し込めようとして来る。
止めてくれ、俺は早く行かなくちゃ駄目なんだ!
けれど、どうやら今の俺にはそれに抗えるだけの力は残っていないみたいだ。
それに実際、立つのはおろか歩くのさえままならないだろう。
どうすれば……、そうか!
「すみません、美都勢さん。お願いします! ここに紅葉さんを呼んでください!」
俺は美都勢さんに必死に懇願した。
この声に周りからどよめきが起こる。
「何を言うのです! 何故そんな事を!」
「俺は、どうしてもあの人に言わなきゃいけない事が有るんです!」
俺の言葉に息を飲む美都勢さんだったが、仕方無いと言う表情をして溜め息を付いた。
そして何故か外に顔を向け手を叩く。
何をしているんだろうと思ったら襖が開き、旅館の仲居さんみたいな恰好の人が現れた。
美都勢さんはその人に、紅葉さんをこの部屋に呼んでくるように指示をすると、その人は一瞬戸惑う顔をしたが『分かりました』と言って襖を締める。
すげぇ! もしかして今のって使用人って奴か? なんか時代劇みたいだったな。
さすが名家だわ。
いや、今はさすがにそこに感心している場合じゃないな。
「今、呼びに行かせましたから、まだ部屋に居るならばすぐに来るでしょう」
「ありがとうございます。まだ残っていてくれたらいいのですが……」
俺の言葉に美幸さん家系の皆は不思議そうな顔で見てくるが、理事長と郡津くん、あと学園長と美佐都さんは少し複雑そうな顔をしていた。
紅葉さんの今までの美都勢さんに対する働きぶりを近くで見て来たので、今回やり過ぎた事への罰は仕方無いとしても、クビと言う処置に対しては気の毒に思っているようだ。
まだ部屋に残ってくれと祈る気持ちで待っていると、一つ見落としている事に気付いた。
「あれ? モグは? モグは何処に居るんだ?」
今気付いたけど先程から見当たらない。何か有ったのか?
あれ? 皆不思議そうな顔をしているな。
「牧野くん? モグって誰?」
美佐都さんが首を傾げて聞いて来る。
あっ、そうか、モグを知っているのは、あの時生徒会室に居たメンバーだけだった。
とは言え、モグがこの部屋に居たのなら、他の皆も一目でその存在に気が付いてツッコミいれると思うんで、恐らく居ないのであろう。
ハムスターの大きさを知らなかった俺でも、さすがに襲撃メンバーに動物が混じっていたら光速でツッコミ入れると思う。
……あれ? よくよく冷静に考えたら
普通ハムスターが警備員達を薙倒したりって無理だよね?
もしかしてモグと言う存在自体、意識を失っている間に見た夢で、実はそんなハムスターは最初から居なかったとか?
いや、そんな……まさか?
「あら、そう言えばさっきまで居たのに? 千花ちゃん知らない?」
あっ、良かった。
モグはやっぱり幻じゃなくて本当に居たんだ。
お姉さんの態度に、モグの実在の言質が取れて心から安堵した。
「あぁ、モグなら紅葉って言う人の後を付いて行ったぞ」
「そうなの? コーくんの敵打ちのつもりなのかしらね? 精神的に弱っている今ならモグでも十分勝てるわ」
千花先輩が驚きの言葉を言ったのだが、お姉さんがもっと驚きの感想を述べた。
モグは何故紅葉さんに付いて行ったんだ? お姉さんが言う様に敵打ち? う~ん、モグがそんな事をするとは思いたくないんだけど……。
「いや、モグはそんな事をしないと思うぞ」
「ですよね。俺もそう思いたいです」
「そうかしらね~?」
周りの反応的に、美都勢さんや親族一同はモグの事を知らないと言うか気付いていないようだ。
『え? なに? 他に誰か居た?』とか口々に言い合っている。
美佐都さんと橙子さんなんかは、『そんなあだ名の人が生徒会に居たかしら?』『さぁ? あぁ、もしかして
いや、違いますよ。そもそも新入生の俺が桃やん先輩の事を『モグ』なんてあだ名とは言え呼び捨てはおかしいでしょう?
「あのですね美佐都さん、モグって言うのは……」
『あ、あの……。お、お呼びになりましたでしょうか……』
俺が美佐都さんにモグの説明をしようとしたところで、部屋の外から声が聞こえて来た。
この声は! か細く消え入りそうな程の小さくて弱々しいけど、紅葉さんの声だ!
「光一君が、あなたに何やら言いたい事が有るようです」
美都勢さんが声のした方を、厳しい眼差しで見詰めながらそう説明する。
『ひっ……! すみません、すみません!』
障子越し見える紅葉さんのシルエットは、小さい悲鳴を上げた後、謝りながら逃げ出す素振りを見せた。
「あっ! 待って……」
俺は逃げようとしているシルエットに声を掛けようとしら、何やら丸っこい影が飛び掛り、そのシルエットの頭に張り付くのが見えた。
あの影はもしかして?
『きゃっ! 止めて! 髪引っ張らないで。分かったから、あなたのご主人に会うから!』
『チュ!』
障子の向こうから聞こえてくる紅葉さんの悲鳴と小動物の鳴き声に、俺達襲撃メンバー以外の皆が唖然とした顔をしている。
う~ん、聞こえて来た会話の内容を聞く限り、逃げようとした紅葉さんをモグが引き止めた、と言う感じかな?
まぁ、どう言う事情か分からないけど、そこまで険悪な雰囲気でも無いので、お姉さんの予想は外れていたようで良かった。
紅葉さんのシルエットは、再び障子の前に立ち、もぐに引っ張られた乱れた髪を軽く手櫛で整えている様子が伺える。
『……はいります』
震える声が、障子の向こうから聞こえ、目の前の障子が開いた。
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