第7話 親父の背中
「光一君、テレビここ置いておくだけで良いのかい?」
今朝注文しておいたテレビが届いたとの連絡が有り、先ほど電気屋のおじさんが配達をしてくれた。
あの時購入したものはこれで最後だったかといまだ殺風景な部屋を一瞥する。
冷蔵庫や照明器具と言った生活家電は無理言って早めに届くようにお願いしてたが、テレビは別に急ぐ事も無かったので配達は今日になった。
電子レンジや炊飯ジャーは家からそのまま持ってきたので購入する必要は無かったが、テレビはこの部屋には大きすぎるサイズだった為、今回新たに購入する事にした。
クーラーはまだいいので今回は購入しなかった。
住んでみて設置環境とか確認したかったしね。
うん、これで全部だな。
「はい、ありがとうございます」
「設置とかもサービスするよ?」
「いえダンボールとか持って帰って貰えるだけで十分です。ありがとうございます」
「そうかい? じゃあこれで買ってくれたのは最後だけど、また欲しいものが有ったらうちの店で頼むよ」
「勿論ですよ。落ち着いたらクーラーを買いに行きます」
「おう、そうだなこの間取りだったら……まぁこっちに大きいの1台設置したらそこの戸を開いとけば十分全体が冷えるだろ。まぁ2台買ってくれた方がうちとしては儲かるんだがな。がはははは」
「そうですね。取り合えず1台購入して様子見させてもらいます。」
「ああ、光一君なら出張料はサービスしとくからな。注文待ってるよ。それじゃ俺は店に戻るわ」
そう言っておじさんは帰っていった。
俺は玄関先の置かれたテレビを、先程まで主が居なく寂しそうだったテレビ台の上に置いた。
先日購入した際にオマケとしてもらっていたアンテナケーブルを配線し電源を入れる。
説明書を見ながらも手馴れた初期設定を行う。
東西南北全国各地への引越しが多かったので、毎回放送エリア設定が必要だった事もあり、こう言うのはお手の物だ。
学生である俺は高校が始まるまでの残り数日の休日を謳歌しているのだが、世間一般では今日は平日の昼間であり、若い世代的に面白げの有る番組はやっていない。
適当にチャンネルを替えると料理番組がやっていたのでリモコンを止めた。
料理が趣味とは言え今まで他人に振舞う機会は無く、作っていた料理も見よう見真似な創作料理、味付けも子供舌な分かりやすい味付けの物ばかりだった。
それでも両親は美味しいと言ってくれていたのだが、やはり母さんの手料理には到底及ばないのは分かっていた。
最近までそれで良いかと思っていたのだが、一昨日初めて他人に自分の料理を振舞うと言う体験をした際に感じた高揚感、またそれを美味しいと言ってくれた感謝の言葉が俺の心に深く染み込んで来るのを感じた。
番組では料理の手順を簡潔だが分かりやすい説明で手際よく調理していく。
今日の料理は肉じゃがだった。
肉じゃがって家庭料理の定番だよな。
母さんも得意料理だといっていた。
男の胃袋を掴む料理ってよく言われているのを耳にする。
親父もそれで胃袋を掴まれたのだろうか?
しかし何故なんだろうか? 他の料理ではなくなぜ肉じゃがなんだろうか?
元々肉じゃがは昔ビーフシチューを模倣しようとした際に生まれた料理と言う説が有るらしいんだが、それこそビーフシチューでも良いのではないんじゃないか?
よく煮込まれたトロットロの牛肉が入ったビーフシチューなんてそれこそ胃袋鷲掴みだと思うんだが?
昔からずっとそんな疑問が浮かんでいた。
それを思い出しながら料理の先生の説明を聞いていると、なるほど調理の基本が詰め込まれた料理なんだと理解した。
料理自体は簡単に見えるが奥が深い。
それに今まで考えた事もなかったが、どうも調味料を入れる順番と言うものがある事も知った。
しかし母さんの肉じゃがは牛肉だったけど番組では豚肉だったな。
小さい頃から食べなれた料理の具材が異なるのを見ると結構カルチャーショック受けるものだな。
しかしいくら手際が良いとは言えこの短い放送時間内でこの料理が出来るのか?
さすがに焼き煮込むと言った一連の調理にかかる時間は体が覚えているので不思議に思っていると、
「えっ? 『ここに作った物が有ります』って言いながらキッチンの下から料理を取り出したぞ? !」
あぁまあそうだよな。そりゃ3分間では無理だよな。
こう言うノリの番組なのか。
まぁ手順は一通り見て覚えた。
あとは材料一覧が表示され……。
「消えるの早えぇ!」
覚える前に画面が切り替わり番組終了のコールが流れた。
そう言えば材料リストが出る前にメモの準備をと言っていたっけ。
けどあのスピードで全部書ききれるのか?
まぁ各々の家族構成で作る量とか変わるし、それにより材料の割合も変わるのだから具材や調味料の種類さえ覚えたらそこらのさじ加減は実際に作って経験を積んでいくしかないのだろう。
主婦ってすごいな。
作り置きしようと思っていた料理が昨日の内に腹ペコモンスターズに全て食べつくされたので本日の晩飯をどうしようか考える。
昼は何かお惣菜でも買って帰ろうか。
準備をして商店街に向かった。
途中懐かしい場所が見えたので寄り道をした。
そこは少し大きい市民公園で一部木々が植林され並木道が作られている。
昔俺はこの場所が大好きだったし大嫌いだった。
なぜかと言うとそこは桜並木となっており、今の季節見上げると一面桜色の雲の中に包まれたかの様な感覚に陥り、舞い落ちる花びらが見事な桜吹雪を作り上げ、まるで幻想世界のように綺麗で幼い俺は心を奪われた。
この満開の桜並木が本当に大好きだったんだ。
しかしそれは束の間のひと時、この夢のような時はそう長くはもたない。
花の命は得てして短く桜舞い散れば地獄がやってくる。
緑萌ゆる葉桜となった桜の木々には地獄の使者がやってくる。
そう……、毛虫だ。
毎年もうそりゃあ呆れ返るぐらい大量発生して糞とか降って来る……いやあいつら自体降って来る。
一度頭の上に奴が落ちてきて、びっくりして手で掴んだら手の平が腫れて大変な事になってしまった。
それがトラウマとなりこの時期の短い期間以外は近づくことが出来なくなった。
この桜並木が本当に大嫌いだった……。
「ん?」
その時何かの視線を感じ辺りを見回す。
平日の昼間の為、それ程人通りは多くないが満開の桜を見に来た幼い子供連れのママさん集団や散歩している老人が見受けられる。
流石に昼間っから花見酒に戯れる酔っ払いとかは居ない……あっいやあそこに先日見た酔っ払いのおっさんがまた酒を飲んでいるな。
あの時酒飲みながら歩いていたのはここで花見をしてたからか。
しかしそれらの人達は各々満開の桜を楽しんでいる様で特に先程感じた視線の主と思われる人影は見つけることが出来なかった。
最近良く有るんだよなぁ~。
もうすぐ高校生活が始まる不安とかで多少精神的に疲れているのかもしれないな。
気を取り直してこの桜色の幻想の中を通り抜け商店街を目指した。
今日の献立を考えながら商店街を歩く。
八百屋ではジャガイモが売り出し中となっていた。
「そうだな何かの縁だ。今日は肉じゃがを作るかな。おっ人参と玉ねぎも安いな。……ん?これって?」
もしかしてこの店あの料理番組の放送内容を事前にチェックして売り出し物を決めてないか?
少し黒い疑念が生まれたが、お買い得品なんだから別にいいか。
「丁度良いし作り置き用のカレーの材料も買い込んでおくか。野菜はほぼ同じだしな」
あと肉じゃがで必要なものは……まずは肉だよな、俺は母さんが作る牛肉の物が好きだ。
番組では豚肉だったけど今日はどうしよう?
そう言えば牛肉と豚肉で入れる調味料とか変わるのだろうか?
まぁ今回は食べ慣れた牛肉にしようかな?
配分は分からなくても記憶で味の調整は出来るだろう。
あとは糸こんにゃくだったかな? ……白滝ってのも有るけどどう違うんだ?
カレー用のルーは中辛と甘口の2種類買っておこう。
このブレンドが良いんだよな。
最初から辛くし過ぎるとそれを用いたアレンジ料理を作るのに味の自己主張が激しいせいで使い辛い。
それに辛くしたいなら食べる際に後乗せ用のガラムマサラソースと言う手も有るしね。
親父はそのままで食べていたが母さんは大量に振りかけていたな。
一口食べさせて貰った事が有るが次の日の朝まで口の中が痛かった。
カレーに関しても隠し味としておススメなのがチョコ玉子だ。
と言うか俺って煮込み料理には大抵これ入れてるな。
家には4分の3残っていたが心許ないので2個購入しよう。
お菓子屋に寄り陳列されているチョコ玉子を2個取ろうとして、中のオマケに一喜一憂する大人の顔が浮かんできた。
その様を思い出し少し頬が緩んだ俺は4個手に取り会計を済ませた。
店を出ようとした際にお菓子屋の店員に呼び止められて体が強張る。
店員とは言ったが今時珍しい駄菓子屋チックなこの店は小さい頃よく通った思い出の店でも有り、このお婆さんが店主なのも知っていた。
ただこの駄菓子屋の前は友人達との待ち合わせや遊び場でよく騒いでおり、それを見兼ねたこのお婆さんに事有る如く怒鳴られた。
小さい頃それでも気にせずにお菓子やおもちゃ等を買いに来ていたのだが、久し振りにこの店に入る際に鬼の形相で怒られた記憶がフラッシュバックした為、出来るなら素知らぬ振りでやり過ごそうとしていたのだ。
……だったのだが、どうやら向こうは俺の事を覚えていたようだ。
「あんた、光也ちゃんところの光一君じゃないかい?」
「えぇ、覚えていてくれたんですか。ご無沙汰してます。」
「やっぱりそうかい久し振りだねぇ。いや~光也ちゃんそっくりの男前になって~」
俺の記憶の中の彼女はいつも不愛想な顔をしていたのだが、今俺を見ているこの顔は満面の笑みを浮かべていた。
「知らんぷりして帰ろうとするなんて薄情だねぇ~」
少し拗ねた様な顔になったが彼女の表情は昔の記憶に思いを馳せた優しい顔をしていた。
あの鬼婆はこんな顔も出来たのか……。
その顔にショックを受け先程そのまま出て行こうとした自分の態度に胸が痛んだ。
「すみません。俺なんかの事覚えてないと思っていたので」
「忘れる物かい。わたしゃ自慢じゃないが店に来てくれた子供たちの顔は全部覚えてるのさ」
彼女は得意げな顔をしてそう言って笑った。
「それに光也ちゃんの子供ならなおさらだよ」
本当に親父は有名人だな。
お姉さんが伝説を残したって言っていたが不良とかだったのだろうか?
今の親父の紳士な雰囲気からは想像が出来ないんだが。
「よくおや……父の名前を聞きますが昔何かやらかしたんですか?」
「光也ちゃんはね、この商店街の救世主なんだよ」
救世主? 思わぬフレーズに驚いた。
救世主ってなんだ? モヒカンとかを退治してたんだろうか?
親父の胸には七つの傷など無かったと思うが。
「昔この近くに大きいスーパーが出来きてね、いまじゃあ住宅街になってるけどそう言えば光一君が居た頃にはまだその建物が残っていたね。商店街の角を曲がったとこに有った廃墟覚えてるかい?」
あぁよく覚えている。
小さい頃に良く友達と忍び込んだのを覚えている。
「そこなんだけど開店以来連日のセールを行って客はみんなそっちに行ってしまってねぇ、そりゃあ商店街のみんなが慌てたもんさ」
ふむふむ親父がそこに乗り込んでスーパーをぶっ潰したと。
「土日も滅多に客が来ない閑古鳥状態でみんな店を畳むかと諦めムードだったんだけどね、そんなみんなの姿を見た光也ちゃんが立ち上がってね」
ふむふむ親父がそこに乗り込んでスーパーをぶっ潰したと。
「そんなだらしない商店街のみんなに声をかけてね、まだ高校生だってのに商店街の再生計画を色々と企画してとうとう客をこの商店街に取り戻したのさ。スーパーとしたらあたしらの商店街を潰すために赤字覚悟で無茶してたみたいでね。すぐに大きな負債を抱えて潰れてしまったのさ」
あれ思てたんと違う? いやこちらの方が親父らしいな。
再生屋の才能をその頃から振るっていたのか。
「だから商店街のみんなは光也ちゃんが大好きなのさ」
「そういう事でしたか。父は今でも似たような事をして世界各地を飛び回ってますね」
「さすがだねぇ。それを聞けてあたしも嬉しいよ」
俺も嬉しくなった。
今まで俺はあちこちに引っ越しをさせられてた親父に対して、諦めの感情の奥に恨む気持ちを少なからず持っていた。
しかしそれによって助かった人達が居ることを知ってその気持ちが晴れていく。
親父の背中が大きく思えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます