体育館

 実は更衣室にはシャワールームがある。俺と同じタイミングでトレーニングから上がったゴリゴリのお兄さんたちはそちらに吸い込まれていったが、俺はそんなに汗をかいていないから濡らしたタオルで汗を拭う程度で済ませた。

 しかし、運動して汗かくなんて久しぶりだな。明日の筋肉痛が怖いぜ。



 さっさと着替えて受付に行くと、入間と香子はまだ来ていないようだった。まあ女性陣は着替えるのに時間がかかるもんだし、しょうがないよな。

 受付にはさっきまでは吉田衛六十二歳が座っていたのに、今は別のおっさんの守衛に変わっていた。休憩時間だろうか。などと、さして重要ではないことに思いを巡らせていると、制汗剤の甘い香りを漂わせた二人が歩いてきた。

 二人とも同じ香りだから、たぶんどっちかが持ってきたものをシェアしたのだろうが、一体何の香りだろう。嗅いだことがあるはずなんだがわからない。気になるが、匂いに関してはこの前香子を怒らせてしまったからかつなことは言えない。モヤモヤするがこの疑問は胸の内にしまっておこう。

「待たせたわね。行きましょうか」

 俺の疑問など知るよしもない香子は淡々と事を進めた。

 答えはあとで入間に聞くことにして、体育館へ向かった。



 体育館は西門から程近いところにあり、テニスコートやグラウンド、武道場と固められて建てられている。この辺は桜並木が綺麗に色づき、グラウンドやテニスコートでは現役女子大生たちが青春の汗を流していて、これだけなら最高なのだが、

「キィエエエェェェッ!」

「イイィィヤァァァーッ!」

「マァァァオゥッ!」

「フォォォォーーッ!」

 といった奇声とともに踏み込みの音と竹刀が打ち込まれる音がぜていて、見事に雰囲気をぶち壊している。

 いや、まあ、彼らも青春の汗を流しているわけだし、気迫が伝わってくるし、彼らに非は無いと思うよ? でも強いて言うなら、もう少し上品に……いや、素人が何言ってんだって話だな。頑張れ、顔も知らぬ青年たちよ。



 体育館に入ると、バスケットボールが弾む音とバスケットシューズのスキール音とホイッスルの音が鳴り響いていた。さっきまでは剣道部員たちの騒音、もとい、青春の叫びでかき消されていたようだが、さすがに体育館の中に入ればこちらの方が――、

「アアアァァァィヤァァァッ!」

 ……なるほど。武道場が近いのが悪いんだな、きっと。

 三人の中でこんな事を気にしているのはたぶん俺だけなのだろう。入間は練習している学生たちに目をらしていて、香子はおしゃべりにきょうじているマネージャーとおぼしき女子大生たちに話を聞いているようだ。

 情報収集は香子一人で充分だろうが、とすると俺は一人手持ち無沙汰になる。しかし何もしていないとバッシバシ響いてくる竹刀の音と剣道部員たちの奇声が気になってしまうので、入間に声をかけてみることにした。

「入間、いたか?」

「う〜ん、いないねぇ。いや、背の高いイケメンは確かにいるんだけど、探しているあの方ではないんだよね〜」

 ふむ。またしても当ては外れたか。

「今日は来てないとかなのかな」

「あぁ、それもあるか。その辺は香子が聞いてるだろうよ」

「うん。そうだね」

「今日来ていない部員に背の高い人はいないそうよ」

 急に後ろから香子の声が聞こえてきて、俺と入間は驚いて振り向いた。びっくりさせるなよな。

「ここにいなかったらバスケ部にはいないみたいね」

 続いた香子の言葉を聞いて俺たちは二人揃って肩を落とした。

「その反応を見る限り、いなかったのね」

「はい……」

「そう、残念ね」

 香子はあまり残念そうには見えない返事をした。

「あれ、そういや俺、入学した直後、いろんなサークルとか部活に声かけられたんだけど」

「急に何のアピールよ。新歓期間なんだから新入生はみんなそんな扱いをされるわよ」

 アピールのつもりじゃねぇよ。アピールだとしたらみゃくらくがなさ過ぎるだろ。

「いや、そうじゃなくてだな。学桜館ってバスケ部だけじゃなくてバスケサークルとかもあったよな、って思ってさ」

「あぁ〜、確かにあったね。マネージャーやりませんか〜って声かけられたよ〜」

 入間はピンと来た様子だが、香子はそうでも無いようだ。

「香子、どうした?」

「……別に。私は新入生だと思われなかったみたいで、新歓期間もあまり勧誘されなかったからピンと来ないのよ」

 あぁ……。なんとなく想像つくわ。見かけだけは大人っぽい香子が、どうせせっかくの綺麗な顔をムッとさせて歩いていたんだろう。そんなやつが大学に入学して新しい生活がスタートした新入生だとは誰も思うまい。ってことはさっき急にアピールするなとかなんとか言ってたのって、やっかみか?

「まあ、そんなことより、他のバスケサークルはいつ練習があるのか、とか聞いてみようぜ」

「……そうね」

 香子はまだ口を尖らせているが、俺たちはさっきまで香子の話を聞いてくれたマネージャーたちに再度話を聞きに動いた。



「何度も悪いわね。もうちょっと聞きたいことがあるのだけれど、他のバスケサークルとかはいつどこで練習しているのか知らないかしら?」

 香子の問いに、二人のマネージャーは顔を見合わせ困った顔をした。同じバスケをやる団体とはいえ、他団体の活動日までは知らないって感じか。

「……そもそも、バスケやってるのかな?」

「わかんないよねー。素人の寄せ集めって感じだったしー」

 二人は俺が予想もしなかった答えを返した。

 素人の寄せ集め?

「バスケットボールの団体って三つあるんだけど」

「まともにバスケをやってるのってバスケ部くらいでー」

「あとは基本的に飲みサーって感じらしくて」

「だから私たちもバスケ部にしたんだよねー」

 バスケサークルって飲みサーだったのかよ。

「あの方は硬派な感じだったから、飲みサーに入ってるって感じではなかったな〜」

 入間はまた肩を落とした。

「ところで、男子バレー部とかは無いのかしら?」

 香子が鋭い質問を出した。確かにバレー部も背の高い人の多そうな部活だな。

「あー、男子バレー部は無いんだよねー」

「女子はあるんだけど、男子バレーは人気ないみたいで人が集まらないんじゃないかしら」

 マジか。意外だな。……いや、そういえば中学の時も男子バレー部って無かったな。女子バレー部はあったけど。

 そうか。じゃあまた振り出しか。

 俺たちは二人のマネージャーに礼を言って体育館を後にした。



「まあ、しょうがないわ。しばらくはトレーニングルームの張り込みと地道な聞き込みを続けましょう」

 正直がっかりはしたが、香子の言う通りこれを続けるのが得策だろう。

「幾度とないがっかりの先に、尋ね人は待っていてくれるのかねぇ」

 俺の呟きは剣道部員たちの奇声によって、入間と香子に届くことなくかき消されてしまった。

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