トレーニングルーム①

 翌日、俺がトレーニングウェア――と言っても高校の時のジャージだが――に着替えて集合場所のトレーニングルームのベンチに向かうと、すでに待っていた香子と合流できた。香子は市民ランナーみたいな格好で来ていた。スレンダーな長距離ランナー体型の香子にはとてもよく似合っていた。

 あ、ちなみに今日も守衛は吉田衛六十二歳だった。



 昨日の講習は正直受ける意味があるんだかないんだかわからないような内容だった。

 利用時はトレーニングウェアを着用すること。過去一度も外履きしていないシューズを着用すること。重量物を勢いよく落っことさないこと。水分補給は決められた場所で行うこと。音楽をイヤホンで聞きながらのトレーニングはランとバイク以外ではしてはいけない。周りをよく見て他者にぶつからないようにすること。準備運動や整理運動を充分に行うこと。使った器具は必ず拭き清めること。体調の変化に気をつけること。気分が悪くなったらすぐに周囲に知らせること。

 こんなことを箇条書きにした紙をスタッフが二、三分で読み上げるだけのものを講習と呼んでいるらしい。おそらくこの講習を受けた大学生は皆、こんなことを思ったに違いない。

「でしょーね」

 むしろそれ以外の感想が思い浮かばないレベルだ。義務教育を受けて後期中等教育を修了し、入学試験をパスして大学生となった人間をバカにしているとも思える。

 しかしまあ、トレーニングルームでケガや事故が起こった際に「注意はした」と学校側が言い逃れるためには必要なことなのだろう。さすがにトレーナー側もバカバカしいと考えているようで「ま、わかるよね」ぐらいの軽い感じで終了してくれたのがせめてもの救いか。



「おっは〜」

 手を振ってこちらに近づいてくる入間を見て、俺は自分の目を疑った。

「お前、それ中学の時のジャージじゃねぇか……」

「そう! 北中ジャージ!」

 ドヤ顔でくるっと一回転して見せているが、やはりこいつ中学生当時から体型変わってないんだな。

「もう完全にただの中学生ね」

「うぐぅ……」

 やめろ、香子。やめてくれ……。俺も思ったけど言わなかったんだから。

「さ、行きましょ」

 落ち込む入間を気にかける様子もなく、香子はさっさとマシンルームに入っていった。

「まあ、もう諦めようぜ……」

 俺もフォローになっていないようなことしか言えなかったが、俺が肩を叩くと入間は目に闘志を燃やしてマシンルームに飛び込んでいった。

「俺も行くか」

 頭をぽりぽりと掻きつつ、俺もマシンルームに足を踏み入れた。



 三人で軽いストレッチと準備運動をやった後、香子と入間はランニングマシンで走り始めたが、俺は計測室に行くことにした。まずは自分の今の実力を知るところからだろう。

 計測室には身長計、体重計、握力計、背筋力計がある。それ以外にもバランスボールやストレッチポールなどもあって、たぶんこの部屋の中で使うように置いてあるんだろうが、まあやはりまずは計測だ。

 順番に計測していこう。

 まずは身長を、と……一六九センチか。まあもう伸びないよな。せめて一七〇センチほしかった。小さい差だけども。

 次は体重だな。ゲストでも身長を入力すれば体脂肪率も出してくれるのか。さっき測ったのを入力して……ほう、五八キロ、体脂肪率は一六パーセントか。うん、普通だな。なんか、こう、しばらく測ってないうちにもっと酷いことになってるかと思ったけど、普通だな。階段上がるくらいで疲れるような身体になっちゃったけどやっぱり太りはしないな、俺。一安心だ。

 次は握力だ。指の第二関節の辺りに調節して……右、三八・六キロ、左、三六キロ。ふむ、わからん。同年代の握力って平均どれくらいあるんだ。

 何気なく目線を上げると、握力計が置いてある棚の奥の壁に表が貼ってあるのを発見した。これで確認すればいいのか。

 えぇと、二十〜二十四歳の平均は……四八・九キロ⁉︎ 嘘だろ。運動部員の平均とかじゃ……ないのか。え、マジか。俺弱すぎるな。ちゃんと鍛えないとな。

 背筋力はどうなんだろう。

 こちらは先に表で平均を確認してから測ることにした。

 平均は……一四五キロか。なるほどな。まあ大きい筋肉だからそんなもんか。

 ジャラジャラと長い鎖を適当な長さでフックに引っかけて、いざ……七三キロ。え、七三キロ⁉︎ 俺はさっきの表に目をやり確認すると、やはり思った通りだった。七三キロという背筋力は女性の、しかも女子高生の平均にも届かないさんな記録だった。



 俺が肩を落として計測室から出ると、五分間のランを終え、呼吸を整えている香子が汗を拭きながら話しかけてきた。

「桂介は、何を一人で、やっていたの?」

「計測だよ」

「へぇ、どうだったの?」

「散々だ。背筋力が女子高生並みらしい……」

「ふっ、でしょうね。あなた、姿勢悪いもの」

 鼻で笑われるとは……。いや、こればっかりは仕方ないか。甘んじて受け入れよう。しかし、

「姿勢悪いと背筋力ないのか?」

 聞いたことのない話だが。言われてみるとそんな関連性もありそうか。

 俺の疑問に香子は大きな深呼吸を一つして、呼吸を完全に整えてから答えた。

「えぇ、背筋を使わないと姿勢が悪くなるのよ。姿勢が悪いと背筋を使わなくなるし、背筋を使わなくなると姿勢が悪くなるのよ」

「背筋力のデフレスパイラルだな」

「そのうちおじいさんみたいに腰が曲がっちゃうでしょうね」

「怖いこと言うなよ……」

「鍛えればいいじゃない。そのためのトレーニングルームでしょ。落ち込んでる場合じゃないわよ」

 香子はそう言って俺の肩をポンっと叩くと、外に水を飲みに行ってしまった。

 ふむ。そうだな。現状を知るために測ったんだから、その結果を活かさないとだ。香子の言うように落ち込んでる場合じゃねぇな。

 俺は気を取り直して、バックエクステンションなるマシンと、逆側、つまり腹筋を鍛えるためのアブドミナルクランチなるマシンを交互に使って体幹の筋トレを重点的に行うことにした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る