既知との遭遇

「ふぅ……」

 やっとこさ階段を上がりきり一息つく。

 ほぼ毎日繰り返しているはずなのに全然楽にならないのは、これ以外に身体を動かす機会が少なすぎるせいだろうか。二年になったら体育でも取ろうかな。体力トレーニングなんてドンピシャな名前の授業あったし。香子と銀は一年次の必修のはずだからもう取らないだろうけど、歩美は取ってないだろうから誘ってみ――、

「きゃっ⁉︎」

「おわっ⁉︎」

 考え事をしながら歩いていたら、女子トイレから出てきた女の子とぶつかりそうになってしまった。斜め上を見上げるような格好だったから、背の低いその子は全く視界に入っていなかった。

「わ、悪い。よそ見してた……」

「あっ、いえいえ。大丈夫です。びっくりしただけでぶつかってませんし。こちらこそすみません」

 そう言ってくれると助かる。前はうちやまの野郎にお互いの不注意でぶつかりそうになっただけなのに悪態をつかれたからな。

 ホッとしたのもつか、女の子は眉間にしわを寄せて俺をじ〜っと見始めた。というわけで、俺はさっさと退散することにした。気が変わって何か言われてはしゃくだからな。

「ま、まあ、怪我が無くてよかったよ。それじゃ」

 そう言ってそそくさとその子に背を向け、女子トイレのすぐ隣にある所室の鍵を開けて中に入ろうとしたところで、自分の中のモヤモヤした感覚に気づいた。

 あの子、どっかで見たことある気がするな。いやしかし、どこで……。

 俺はもう一度あの子の顔を見てみたくなって振り返ると、その子はまださっきの場所から動いておらず、眉間にしわを寄せたままこちらを見ている。向こうは向こうで俺に何か急に腹を立てたのだろうか。

 い、いや、ぶつかってないんだし、大丈夫、だよな……? もしかしてあの子も俺に見覚えがあるのか?

 なんて思っていると、女の子は目をパッと開き、古代ギリシアのあの数学者だったら「エウレカ! エウレカ!」と叫んでシラクサの街を全裸のまま駆け抜けそうな表情を浮かべた。そして、

「わかった! 土橋くんでしょ!」

「へぁ?」

 思わず間抜けな声を出してしまった。

 もちろん俺は生まれた時から土橋くんなわけだが、俺がなんとなく見覚えがある気がするだけのこの子に俺の名前がわかったということは、やはりどこかで会ったことがあるというのは間違いなさそうだ。

 どこだ。どこで会った。君は誰なんだ。

「ほら! 中一の時、同じクラスだったじゃん! 覚えてないの……?」

 彼女は先ほどまでとは打って変わって、なんとも残念そうな表情を浮かべている。

「いや、そういうわけじゃない……」

 俺は記憶の引き出しをガサゴソと引っ掻き回し、中一の時のことを瞬間的に回想してようやく彼女のことを思い出した。

 彼女はいるはるだ。

 体格はあの頃と比べてもほぼ、いや、全くと言っていいレベルで成長していないが、少し伸ばして綺麗に染められた茶髪や控えめとはいえ化粧をほどこしてある顔は、黒髪ノーメイクだった中学生時代の入間千春とはとっには結びつかなかった。

 もっと言わせてもらえば、同じクラスになったのはその一年の時だけで、しかもそんなに仲が良かった覚えはない。一度同じ班になったことがあったから、給食の時なんかに話したことはあったはずだが、それをキッカケに連絡先を交換したり毎日のように話したりするようになったかと言えば間違いなくノーだ。人懐っこい性格のようだったから、悪い印象は全くない。が、いい印象も特にない。

「入間か。久しぶりだな」

「そう! 思い出してくれたんだ。よかった」

 その言葉が意味するのは、とりあえず俺は入間にとって悪い印象が残っている人物ではないということだろう。

「土橋くんも学桜館だったんだね。びっくりだよ」

「あ、あぁ」

 確かにその通りだ。女子トイレから出てきた女の子とぶつかりそうになるなんてギャルゲーみたいなシチュエーションで、偶然同じ大学に進学していた中学時代の同級生と再会するなんて、一体どんな確率なんだろうか。

「ところで土橋くんって、学生相談所の部員なの……?」

 入間は急にいぶかしむような目で俺を見た。

「え? あぁ、まあ、そうだな……」

 俺が肯定すると、入間は急にさささっと歩み寄ってきて、深刻そうな顔でまた尋ねた。

「あの、学生相談所ってさ……、何する団体なの……?」

 やはり、ある日降って湧いた学生相談所なるちんな名前の団体は、事情を知らない人からしたら怪しさ満点なのだろう。

「まあ、簡単に言うとだな、学生たちから相談を受けておもしろそうなことがあったら首を突っ込んで解決する団体だ」

 俺の答えに入間は、げんそうな表情を形作る顔のしわをより一層濃くした。

「えっと……、実績は……?」

「学生相談所が組織されてからはまだ無い。が、俺たちが学生相談所という名前になる前には、学内で発生していた連続盗難事件の犯人を探し出して事件を解決している」

「えぇ〜⁉︎ あれ、学生相談所が解決したの⁉︎」

 入間は手のひらを返すようにしょうさんの表情に切り替えた。

 やっぱりあの事件は部室棟利用者にとっては特に大きな問題だったようだな。効果は抜群だ。

「あっ、じゃあさ、私も実はちょっとした相談があるんだけど、聞いてくれる……?」

 小首を傾げて上目遣いでそう尋ねる中学時代の同級生は、子供だった記憶の中の彼女と体格こそ変わっていないものの、しょや表情に大人の色気をただよわせており、俺はそのギャップに思わずドキッとさせられた。

「あぁ、まあ、構わないんだが――」

「わ〜い! じゃあ立ち話もなんだし、中で話そう〜」

「ちょっ、それは俺のセリフだろうが……」

 俺は入間に背中を押される形で、学生相談所結成以来初めての相談者を所室に招き入れた。……のか?

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