3-2収束

 ニット帽男は長身の男のトレンチコートの胸ぐらを掴み、殴りかかった。しかし、長身の男は慌てる様子もなく軽々とニット帽男を地面に転がしてしまった。

 ちょっと距離のあるここから見ていた俺には、ギリギリ何があったのかわかった。長身の男は左手でニット帽男の右腕の内肘あたりを抑えてパンチを受け止め、同時に右手でニット帽男の首をひねって身体をさばき、投げたのだ。

 一瞬の早業はやわざだったので、おそらく転がされたニット帽男からすると、殴りかかったはずの自分が地面に転がっているのが不思議でしょうがないだろう。

 ピアス男と髭男はそれを見ていよいよ完全に戦意を喪失したようで、後ずさりした。しかし、ニット帽男だけは立ち上がった。

 諦めの悪いやつだ。バトル漫画だったら熱い主人公になれたかもしれない。いや、あんな小汚い格好のやつは主人公にはなれないか。

 それはさておき、ニット帽男はまだ諦めていないようだが戦力差は明らかだし、逃げる口実こうじつを与えてやるだけでこの場は収まりそうだ。

 俺は六人、特にニット帽男に聞こえるように、つとめて大きな声で、しかしいずれどこかで聞かれても俺だとバレないようにちょっと声色を変えて叫んだ。

「あっ、おまわりさ〜ん! こっちです! こっちで若者がもめてま〜す!」

 当然おまわりさんなんていない。少なくとも俺の視界には。だが、それでも効果は充分に現れたようで、

「おい、おまわりだってよ」とピアス男。

「逃げよう」と髭男。

「チッ。あぁ、わかったよ」とニット帽男。

 諦めの悪いニット帽男も渋々といった様子で退散を決めた。が、

「おい、天城! 月夜ばかりと思うなよ?」

 ニット帽男は天城さんに指を突きつけてそんな捨てゼリフを吐くと、三人で走り去っていった。

 月夜ばかりと思うなよ、か……。なんというか、そう、まさしく月並みな脅し文句だな。

 あまりにもちんなので、言われた方の天城さんも肩をすくめて、やれやれといった表情を浮かべている。



 やがて、蜘蛛くもの子を散らしたように見物人は立ち去っていった。「警察なんていなくね? 誰かがテキトーなこと言ったんじゃねぇか?」なんていう勘のいいやつの声も聞こえてきた。

 俺はそんなやつに、「俺だよ、俺! 俺のファインプレー!」なんてしょうもない自慢はせず、未だに立ち去らずに話し込んでいる天城さんたちに歩み寄った。

 近くで見ると、三人の体格の見立てはいい線いっていたようだ。ショートボブの美少女は何度か間近で見たこともあったから、だいたい一五〇センチくらいなのはわかっていたが、天城さんはやはり俺よりやや大きくて一七〇センチを超えているくらいだ。長身の男は近くで目を合わせようとすると首が痛くなるくらい背が高い。俺とはほぼ頭一つ分くらいの差がある。

 俺は三人に声をかけた。

「あの……」

 だが、声を発してから気づいた。なんて言えばいいんだろう。

 見てたよ、とか? じゃあ助けろよって話だよな。大丈夫ですか、か? いや、どう見てももう大丈夫だよな。

 あの、に続く言葉がだせない。これじゃ新しい不審者だ。最初の一言に反応してこっちを見ている三人の視線が痛く突き刺さる。しかし、

「あ、君、経営学科の?」

 ショートボブの美少女は気づいてくれたようだ。おかげでなんとか話を続けることができた。

「あ、あぁ、そう。やっぱり君も、経営学科の人だよね」

「うん。おととい、だっけ? 試験の時、席が隣だったよね〜」

 ちょっと前まで恐怖で硬かった表情が、安心したようで柔らかくなっている。

「そうだね。そんな人がもめ事の渦中かちゅうにいたから、気になって見てたんだよ」

「そうだったんだ〜」

 ニコニコと笑うその顔はやはり近くで見てもかわいい。

あゆ、知り合い、なのかい……?」

 俺たちが会話するのを見ていた天城さんが尋ねた。この子は歩美という名前なのか。

「知り合いみたいなものですね〜。同じ学科の人で、試験の時に隣の席に座ったことがあるくらいで、名前も知らないんですけどね〜」

 それは知り合いではなく顔見知りくらいの関係だと思うが、細かいことはまあいいか。

「なるほど、じゃあ君も学桜館がくおうかんの学生なんだな」

 天城さんの言葉に長身の男が反応した。

「学桜館⁉︎ 俺もだ。なんとも奇遇だな」

「えぇっ⁉︎」

 俺は思わず頓狂とんきょうな声をあげてしまった。

 つまり、ここの四人は全員が学桜館の学生ということになる。こんな偶然があるんだな。

「すごい偶然に私も驚いているが、ここで立ち話もなんだし、ちょっとそこのドーナツ屋でお茶でもしないかい? 二人に助けてもらったお礼、と言うにはささやか過ぎるものではあるけどご馳走させてもらうよ。どうかな?」

 え? 二人に助けてもらった……?

「これも何かの縁でしょうから、お言葉に甘えさせてもらいます」

 長身の男は浅く一礼して答えた。

 誰からもツッコミが入らないということは、どうやらあの三人組を最終的に追い払った声の主が俺だということはとっくにバレていたようだ。声色を変えた効果はなかったらしい。

「じゃあ、俺もありがたく」

 内心では動揺していたが、それを隠すように俺も長身の男にならって、浅く一礼して答えた。

「よしっ。じゃあ、行こうか」

 天城さんはニコッと笑って言った。

 俺たちは天城さんの先導で目の前のドーナツ屋に入った。

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