第三章

3-1乙女のもめ事

あまさんよぉ、最近部室棟で盗難が多発してるらしいじゃねぇの! 大丈夫かよ、監督不行き届きなんじゃねぇか?」

 ニット帽の男がレザーコートの麗人をめつけるようにして言った。その言葉から察するに、あの麗人は天城という名前で、あの男と天城さんも学桜館がくおうかん大学の学生らしい。おそらくは後ろの二人の男もそうなのだろう。

「もう部室棟からは追放されたお前たちには関係ないだろう? 私はこの子とデート中なのだから邪魔をしないでくれ」

 天城さんとやらは落ち着いたアルトの声でそう言い放ち、犬でも追い払うように手を振って立ち去ろうとした。じんも怖気付いた様子はなかった。むしろ傍観しているだけの俺の方がヒヤヒヤさせられる。

 おいおい……、大丈夫かよ。

 人目があるとはいえ、あんな頭の悪そうな男三人に睨まれている状況でなぜそんな態度でいられるのだろうか。

「おい! 待てよ! 話は終わってねぇ!」

 案の定といったところか、ニット帽男は激昂げっこうして天城さんのコートの肩口を掴んで引っ張った。

 ヤバい。絶対にヤバい。自分の語彙力のなさに泣きそうだが、これは十中八九ヤバい状況だ。見ている人は多いのに、そのほとんどが歩みを止めず横目で見るだけ。通報するでもなく過ぎ去っていく。あるいは、野次馬根性丸出しで見物するだけの者もいる。中にはスマホで動画でも撮っているような者までいる。助けに入ろうとする者は皆無だ。傍観者効果ってやつだろう。

 俺が助けに入りたいが、あいにく人生で喧嘩なんてしたことのない俺じゃ何の役にも立ちそうにない。一一〇番通報した方がいいんだろうか。でも、今からじゃ間に合わないよな。

 傍観者効果に気付きながらも逡巡しゅんじゅんし動けないでいる不甲斐ない俺とは違い、天城さんはニット帽男をキッと睨みつけた。

「離せ」

 天城さんのその一言でニット帽男はたじろぎ、掴んでいたコートを離した。

 終始おどおどしているショートボブの小柄な女の子とは違い、天城さんは何か特殊な心得でもあるのだろうか。

 しかし、それまで黙ってニット帽男の後ろの方でにやけ面をぶら下げていたピアス男と髭男も前へ出た。ニット帽男の顔がまた引き締まった。人数でまさっていることを思い出したのだろうか。個では弱気なのに群れると強気になるなんて虚しい連中だ。って、そんなことを言ってる場合じゃない。

「おいおい、さすがにまずいんじゃねぇか……?」

「まだ警察こねぇのか?」

「っつーか、誰か警察呼んだのかよ」

 見物人もざわつき始めた。さっきまで無責任に動画を撮っていたやつらも今更慌て始めている。最初は通り過ぎる人の方が多かったのに、今ではちょっとした人だかりになっている。

 すると、その人だかりの中から一人の背の高い男が、五人の元へ歩み寄って行った。男はグレーのジーンズ、黒革の手袋とブーツ、赤い腰ベルトのついたベージュのトレンチコートを身につけ、短めの髪をオールバックっぽく逆立てた、そんな出で立ちをしている。もめている五人の中で、ショートボブの女の子だけは小柄だが、レザーコートの麗人とニット帽男と髭男は一七〇センチくらいだろうという見立てだ。遠いからわかりづらいが、たぶんみんな俺と同じか少し大きいくらいだろう。ピアス男だけは一八〇センチ近くあるかもしれない。だが、その六人目の男はピアス男よりもさらに大きい。一九〇センチくらいはありそうだ。しかも、ただ背が高いだけではなく、屈強な体格をしているのが冬服の上からでもわかる。

なるほど、あれなら助けに入ろうと考えるのも頷ける。

「いい加減にしておけ。見苦しい」

 長身の男が重く低い声で三人組の男たちに言った。

 三人の中で一番背の高いピアス男が、それでも自分より背の高い長身の男の前にかんに出て行って、

「関係ねぇだろ? 邪魔だから引っ込んでろよ」

 そう言って長身の男を押した。いや、押したと言うか、うーん、押したはずなのだが、実際によろめいたのはピアス男の方だった。体幹の筋力と重心移動だけで大の男が押す力を全部跳ね返したのか。見た目通り、只者じゃねぇな。

 それを皮切りに、れていた髭男が長身の男に殴りかかった。それも大きく振りかぶって。

 長身の男はそれを避けるでもなく、

「あぁっ、ぐっ。いっってぇ!」

 そう叫んでうずくまったのは、殴った方の髭男だった。

 髭男の殴り方はパンチングマシンでズルをして高得点を出すときの殴り方だ。武道には明るくない俺の素人目にも、あれはやっちゃいけない殴り方だろうというのがわかった。この世には、作用反作用の法則というものがある。殴った時に加わる力は殴った方もしっかり受け止めなくてはならない。そして、手の骨は結構脆い。パンチはちゃんと真っ直ぐ当てないと、殴った方の拳が壊れてしまうこともある。しかも長身の男は微動だにしなかったことから、おそらく壁を殴った時と同じような状況だ。さすがに折れたような音は聞こえなかったが、彼の拳は無事ではないだろう。

「お、おい、大丈夫かよ……」

 ピアス男が寄り添って介抱する。もう戦意は無さそうだ。しかし、ニット帽男はまだ諦めていないようだった。

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