2-2土橋桂介の休日①

 目白通りから鬼子母神表参道へ入り、都電荒川線の線路を横断して鬼子母神西参道を通って明治通りへ抜ける。あとは道なりに進めば池袋駅に着く。今日の目的地は池袋駅じゃねぇけどな。

 この道を歩いていると目につくのは深紅しんくどう書店しょてんという大きな本屋だ。本屋としては日本でも最大か、少なくとも五本の指には入るであろう売り場面積を誇っている。その面積を活かしてメジャーな新書や文庫以外にも、マイナーな趣味の本、同人誌、古今東西の画家の画集、果ては文房具まで尋常ではない品揃えをしている。

 最初に来た時は売場が広すぎて、自分の欲しい本がどこにあるのかわからず一時間近くさまよったっけな。

 実は店内のいたるところに設置されているパソコンみたいな端末で検索することによって、在庫状況やその本のある場所がわかるようになっていたらしいのだが、埼玉県から出てきたばかりのお上りさんのような俺にはそんな知識の持ち合わせはなかった。それに、本に囲まれてさまよっているうちに欲しかった本が何だったかも忘れそうになるくらい興味深い本がいろいろ目についたからな。ただ苦しんだだけではなかった。こういうのを人間じんかんばん塞翁さいおうが馬って言うのかね。ちょっとスケールが違うか。

 ちょっと覗いてみるか。本を買うつもりはないけどな。

 三十分近く歩いたせいで、安物のコートで申し訳程度の防寒をしただけの俺の体はすっかり冷えてしまった。一度失った体温を取り戻すためにも建物に入りたい。



 店内に入ると、暖かい風と本の香りが俺を包んだ。

 本屋の匂いってなんか落ち着くんだよな。

 落ち着くとか言ったが、たくさんの本を前に少しうわついたような気分で新刊コーナーを物色する。『一月に降る星』、『孤独の研究』、『メランコリック・シンドローム』、『否定されたがる女』などなど、なんとなく惹かれるタイトルの小説が多数あったが、俺は『限界都市』という一編の小説を手に取ってみた。なんでも、二〇一〇年から二〇四〇年にかけて二十~三十九歳の若年女性人口が五割以下に減少すると推定される「消滅可能性都市」であると指摘された東京のとある都市を舞台にした連続殺人事件の犯人を捕まえるミステリー小説だそうだ。

 俺はネタバレを気にしない人間だから、後ろの方までパラパラと流し読みしてみた。すると、このとある都市はおそらく豊島区のことだろうが、犯人が区役所の職員であるということがわかった。

 これを豊島区で売るのか。しかも区役所から歩いて十数分程の場所で。まあ表現は自由か。フィクションだしな。

 さて、そんなこんなで三十分程本屋をうろついたところで、体もあったまったし腹も減った。俺は昼飯を食べるため、冷蔵庫のように冷え切った街に再度繰り出した。



「どこで食おうかな……」

 俺はぼんやりと呟いた。とりあえず目についたファストフード店を覗くと、入り口から注文カウンターまで長蛇の列ができていて、入り口の自動ドアが閉まらなくなっている。

「ここは、やめとこう……」

 しかし時刻は十三時。世間は昼飯時だ。さらにこの時期、大学生たちは春休みに入るためか学生くらいの若者の姿が多く見える。

 はぁ……、こりゃどこも混んでそうだな。

 俺の嫌な予感は当たってしまった。

 ファミレス、百円寿司、ラーメン屋、ピザ屋といろいろ見て回ったが、どこも激混み状態。遊園地のアトラクション待ちを想起させる行列ができていた。いやまあ昼飯時だから当然なんだが、それでも空腹を抱えて寒空の下を歩き回るのは結構骨が折れる。

 諦めてコンビニでなんか買ってあの公園で食おうかな。寒いけど……。

 俺はなかば諦めつつ電器屋の脇の道を抜けて中池袋公園の方へ向かっていると、油そば屋の看板が見えた。

 油そばか。いいな。旨そうだ。しかもあんまり目立たない看板だし地下にあるっぽいから、もしかしたらいているかもしれない。

 俺はかすかな期待を胸にちょっと覗いてみることにした。

 押しボタン式の自動ドアを開けると、地下へと伸びる階段と油そばのいい香りが出迎えてくれた。

 階段を降りて店内を見渡すと、全席がカウンター席になっていて、ほぼ全席埋まってはいるが期待通り混雑はしていないことがわかった。

「ふむふむ、食券式か。えぇと、並盛、大盛、W《ダブル》盛だな。値段は一緒? じゃあW《ダブル》盛だろ」

 俺はブツブツと独り言を言いながら食券を買い、空席の一つに座って食券を渡した。油そばはラーメンより脂質が少なくてヘルシーなんてうたっているが、店員がことごとくメタボ体型なのは気にしてはいけないのだろう。店員とはいえ毎日油そばだけを食ってるわけじゃないだろうしな。

 しばし待つと、油そばが運ばれてきた。

「はい、お待たせしました〜、油そばW《ダブル》盛です。ごゆっくりどうぞ〜」

 箸立てから割り箸を取り、カウンターの壁面に貼られた紙に従ってラー油と酢を四周ずつかけ、あっつあつのうちにかき混ぜる。すると、器の底に溜まっていた特製ダレの旨そうな匂いが立ち込めた。そしてついに待望の一口。

 はぁ……、旨い……。空腹にしみるぜ。

 旨辛いタレが麺によく絡んでいる。具材もメンマ、チャーシュー、ネギ、海苔とシンプルでいい。さらに辛味噌を加えると辛味のアクセントが効いて非常に美味しい。七百八十円でこの味が楽しめるのか。俺は夢中で食べ進め、あっという間に器をからにした。この店がこの時間にこんなに空いてるなんて信じられない。やはり立地のせいだろうか。しかし、こんな店があるなら俺はリピーターになるな。

「ごちそうさま」

 そう言って器を返し、俺は店を出た。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る