第4話 死にたい人と名探偵

 紫色でぐにゃぐにゃした影が水上を取り囲む。普通は黒いはずの影が紫色になっているだけでも不気味なのに、その影たちは非常に高圧的な口調、悲しげな口調、心配していそうな口調、怒気を含んだ口調などさまざまな口調でさまざまな言葉で水上を責め立てる。


「あんたなんかと関わった私が馬鹿だった」


「お前がいなくなると思うとスッキリするよ」


「どうしてこんなこともできないの?」


「……死ね」


 ぐにゃぐにゃの影と責め立てる声、それに水上はどうしようもない恐怖感と悲しい気持ちが湧き上がってくる。


「……めろ……やめてくれ……おねがいだから……」


 いまにも消えてしまいそうなか聞こえるか聞こえないかのような声で頭を抑えながらそれらの影に抗議するので水上はいっぱいいっぱいだった。自然と涙がこぼれてくる。それらはどうしようもなく溢れてきて抑えることができない。


「俺は……しかたない……しかたなくて……いや……」


 そう言って抗議を続けて、しまいには言葉さえ出なくなっていく。もうだめなんだと思ったその時急に体が上に引き上げられて、新しい視界がひらけていく。


 いつもの見慣れた自分の部屋の天井、どうやらやっと夢から覚めたようだ。


 はーっと大きな息をついて水上は自分の顔に触れる。頬が涙で濡れていた。それを確認すると水上はよろよろと立ち上がり顔を洗おうと洗面所へ向かおうとする。その時である。


 ドンドンドン


 大きな音が水上の部屋に響き渡る。どうやら誰かが玄関のドアを叩いているらしい。


「おーい、水上ー来たぞ来たぞー」


 品川の声がした。相変わらずふにゃふにゃとした硬さのない声だ。そういえば昨日、探偵がどうのって話をしたっけ。


 きっとそのことについてだろうと思い、水上は無言でドアを開ける。悪夢の影響で声を出す気力が無かったのだ。


 ドアを開けると、品川はお邪魔するぜーと言い勝手に部屋の中へ入っていく。その後ろにはフェミニンな格好をした黒髪のショートヘアの女性がついていた。女性はぺこりとお辞儀をすると部屋の中へ入っていった。


 それに抗議する気力もなく、水上は二人の後をついて自分の部屋へ戻っていった。多分あの女性が名探偵とやらなのだろう。


「さて、じゃあ始めようか。第一回名探偵会議ー」


 そう言うと品川は持っていた大きなビニール袋からビール缶を取り出しぐびぐびと音を立てながら飲んだ。水上も欲求を抑えきれずビニール袋を確認する。ウイスキー、焼酎、ビール、日本酒などよりどりみどりだ。その中から紙パックの日本酒を取り出しちびりちびりと飲むことにした。


「……で、こっちの人が名探偵の二の宮あまねさん。これまでに警察が解決できなかった事件を何度も解決してる凄腕の名探偵さんだよ。凄腕だけど僕らより年下なんだよねーすごいよねー」


 手を女性のほうに向けて品川は紹介をする。二の宮は再びペコリとお辞儀をして言葉少なげに自己紹介を始める。その手にはすでにウイスキー瓶が握られていた。


「二の宮あまねです。23歳。今回の事件について品川さんから依頼されたので参りました」


「おー……うん……よろしくお願いします」


 若い女性だけど強いお酒を飲むんだなあと思いながら、けだるげに水上は挨拶を返した。なにもかもめんどくさい。知るか。悪夢の影響でそんな気分になっていたのだ。


「今回の事件、特徴的なのは、被害者の切断の傷です。どの被害者ものこぎりで力任せに切断されたような跡があります。このことから犯人は同一人物だと思われます」


 さっそく二の宮の名探偵講義が始まった。切断の傷のことはニュースでは報道されていなかったからおそらく警察による情報なのだろう。


「被害者は、80代女性、30代男性、10代女性、50代女性とさまざま。なので品川さんのこともきっと殺してくれるでしょう。その残忍な方法で」


 唐突にそんなことを言うので、水上は飲んでいた焼酎を吹き出しそうになった。澄ました顔でなんてことを言うんだこの女は。


「やったあ。これで自分で死ぬことができない怖がりな僕もやっと死ぬことができるよ。本当は自殺が一番キレイかなと思ったんだけど結局実行できなかったや。それで、二宮さん、もう犯人の見当はついているんでしょう?」


 品川の最後の台詞に二の宮はピクリと反応を示す。しまった、という顔つきだ。だが、次の瞬間には再び真顔になっていた。


「やっぱり品川さんには嘘はつけませんねえ。はい、もう犯人は特定しています。今すぐにでも犯人の住んでいる家へ駆けつけることができますよ」


「じゃあどうして最初は調査してます風の雰囲気を出してたんだ?犯人はもうわかってるというのに」


 疑問から水上は会話に口を出した。


「だって、依頼を引き伸ばしてその分多めにお金をもらいたいじゃないですか。知りませんか?お金はあればあるほどいいんですよ?」


 真顔でサラリと二の宮は言った。当たり前の常識を何も知らない子供に教えるような口ぶりだった。この女、酒でイカれちまってるのか?水上はそんなことを思った。


「まあ、バレちゃったならしかたないです。犯人に会いに行きましょう。私と行くか一人で行くかとか時間とか日時とか決めといてください」


 そう言うと、二の宮はぐいっとウイスキー瓶を全部飲み干し、ふらふらと玄関へ向かい、扉を開けて去っていった。


「……なんだったんだ、あの女……」


 頭に手を当てて水上はそう言った。どうやら本当に酒でイカれちまった女のようだ。


「あれで名探偵になれるなら、俺でも名探偵になれそうだ。あいつもイカれた酒の飲み方だったし、こっちも飲み方では負けてないぜ」


「ははは、そーだよねー。僕らもなっちゃおうか、名探偵。いや、酔ってるし酩酊探偵かな?」


 そんなとぼけたことを言った後、品川は急に真剣な顔つきになる。その変化に、なにか俺に頼みたいことがあるのだなと水上は考えた。


「ねえ、水上、お願いなんだけどさあ……」


「ん、何だ?お前が頼み事なんて珍しいな」


 なんとなく不気味なヒヤリとした感覚を感じながら水上は答える。


「その犯人の住居、水上も一緒に行ってほしいんだけどなあ」

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