七話 救いに来た
大斧を振り翳された天使を前に、飛羽は白銀色の世界で見た最後の光景を思い出す。
涙を流しながら虚空に手を伸ばす、儚い天使の姿を。
「ぉ――おお!!」
気怠いと感じていた身体に力が漲り、血が巡り、飛羽の思考を加速させていく。
飛羽がいるのは鎧と天使の垂直線上。間を隔てる距離は約20メートル。普段なら短いと思うこの距離が、今の飛羽には永遠にも等しく感じられた。
大斧は今にも振り下ろされようとしており、一瞬の猶予も無い。今は考えている時間が惜しい。
「間に……合えッ!!」
ギチギチと音が鳴るほど強く右腕に力を込め、大剣を振りかぶる。
剣の投げ方なんか知らないけれど、天使に当たらなければそれでいい。
よく狙って――全力で投げた。
轟ッと空気を劈きながら刃を前に飛んでいく大剣は、気を逸らせればいいとだけ思っていた飛羽の予想に反し、黒い軌跡を生みながら一直線に鎧へと向かっていく。
真っ直ぐ飛翔する大剣に驚いたのも束の間。死角から迫った筈の大剣に超反応を見せた鎧が振り返り、甲高い金属音と共に大剣を大斧で弾いた。
「……?」
大剣を弾いた鎧と一瞬、目が合った気がした。
鎧はそのまま飛羽を警戒するように後退し、飛羽と天使の両方から距離を置く。
すかさず飛羽は鎧を正面に、天使を背に位置取った。
かっこよくズザザッと決めたかったが、靴を履いていない足の裏に火傷が出来ただけだ。
優に三メートルはあるだろう古びた鎧が放つ威圧に負けじと睨みながら、弾かれ、地面に突き刺さった大剣へ無意識に手を伸ばす。
大剣と自分を繋ぐ線のようなものを感じて掴み、揺れ動くそれを引っ張るように――
“来い!”
と念じた。
すると、大剣は独りでに地面から脱出し、空中で放物線を描きながら舞い戻ってくる。
「――……」
飛羽はそれを、やや重みに流されつつもがっしりと右手で受け止める。
まるで自分の一部のような、果てしない頼もしさを大剣に感じた。苦労して引き抜いた甲斐があったというものだ。
依然佇む巨体は大斧を中段に構え、飛羽を警戒している。
その際に当てられる気は、全身を粟立たせ、呼吸を阻害する程の強度だ。
「やっと……会えた」
天使を背に、ぽつりと出た独り言。
(――今振り返ったら、死ぬ)
飛羽は振り返りたい衝動を抑えつつ、背後の天使へと声を掛ける。
「もう大丈夫だよ、天使さん」
どんな顔をしているのだろうか。
自分の言葉を理解しているのだろうか。
わからない。けれど――
伝わっている事を信じて、安心させる為に。
「――君を、救いに来た‼」
大剣を突き出す。
切っ先を向けるのは古びた鎧。黒い瘴気を纏っているその巨体は、白い空間の中で激しく目立っており、佇む風格はこれでもかという程歴戦を思わせる。
飛羽の脳内で再生されるのは、天使と鎧が織り成した雲上での戦闘。
圧倒的なレベル差に募る不安。勝てるのか、という疑問。
《……》
背中から感じる視線に、飛羽はぶんぶんと頭を振った。
勝てる勝てないじゃない、絶対に勝たなきゃいけないんだ。
「また、僕に力を貸してくれ」
浮かべるのは、胸の奥に焼き付いて離れない、自らに力を与えてくれる言葉の一つ。
それを、今度は自ら唱える。
「この身に力を――【
――ドクンッ
飛羽が唱えると共に響いた鼓動、一瞬の眩暈、上昇する体温。次いで腕から剣に熱が流れていき、紅い宝石が眩い光を放つ。
その光から顔を出し、列車のように姿を現していくのは、剣の質量を遥かに超える巨大な半透明の龍。
全身を顕現させ部屋の大半を埋めた龍は、飛羽の頭上から鎧を見下し――
【ガァァァァァァアアアアアアアアアアア!!!!!】
直接空気を震わすかのような、大音量の咆哮を上げた。
「わっ⁉」
直下でその咆哮を聞いた飛羽は、鼓膜に一溜りもないダメージを被る。だが、吠える龍の頼もしさに少しだけ自信を取り戻すことができた。
真正面から咆哮を受けた鎧は龍を見上げ明らかに動揺しており、背後の天使からは怯えにも似た視線を感じる。何だか、いたずらが成功したようで気分が良い。
【……】
吠え終わった龍は【フンッ】と鼻息を吹いた後に飛羽へ巻き付いてくる。
巻き付かれた飛羽は龍を歓迎し、紅い光に包まれた。
当然襲い来る変形時の痛み。だが、未知であるのならいざ知らず。既知であり、自分に力を授けてくれるこの痛みを耐えられない筈が無い。
これも全ては、天使を救う為だ。
飛羽は崩れそうになる足をぐっと堪え、痛みを耐え抜く。
天使にカッコ悪い姿を見せない為、“救いに来た”という言葉に希望を持ってもらう為に。
同化完了までの時間は実際、一秒足らず。しかし、飛羽にとってその一秒は誰よりも永い。
役目を終えた紅い光が弾け、晒される黒い身体。
「――ハァァァ」
人間時の面影など微塵も残っていない龍の顔から、熱い息に痛みの余韻を乗せて吐き出す。
高くなった視線から、灯台の光に照らされている自分を見下ろす。拳を握り、開き、身体の調子を確認した。
言うまでも無く、この上ない程の絶好調。身体を包む全能感は、何者にも負ける気がしない。
(でも……)
静かに、双紅の瞳を鎧に向ける。
改めて視界に収めるその存在感は、先刻戦った術者達が可愛く見える程に大きく、途方もない差を感じさせる。
身が縮む程の圧迫感に全能感が呆気なく塗りつぶされ、代わりに起き上がってくるこの感情は……恐怖だろう。
飛羽の変化を興味深そうに眺めていた鎧に、まだ動きは無い。
「フゥゥ……――ッ!」
感情を押し殺すように深呼吸を一つ、飛羽は天使との距離を離す為に走る。
飛羽の接近に反応した鎧は迎え撃つように体制を低く、大斧をだらりと下げる。
(この力で術使いは圧倒出来たんだ。なら、あの鎧が相手でも戦える…!)
「――!」
膝をたわめ、跳躍。
「ガァ――‼」
明確な殺意を込めた全力の袈裟斬りは、人外の腕力を以て空気を鳴らし風を裂く。
向かうのは、鎧の首。
「ッ!?」
しかし、大剣は虚しく空を切っていた。
(消え――)
動揺を露わに目を剥く飛羽。剣を振る瞬間まで目の前にいた鎧が、忽然と眼中から姿を消したのだ。
(――⁉ 後ろッ‼)
背後に出現した…いや、移動した気配に、飛羽は弾かれたように振り返る。その視界に映ったのは、斬り上げられるように迫る鋼の凶刃と、それを片手で振るう鎧。
頭で理解するよりも先に体を反らし、ギリギリ直撃を回避した。だが、即座に踏み込んだ鎧は間髪入れずに二撃目を繰り出してくる。
フェンシング宛らに、軸が一切ブレることなく迫る斧頭。
(ダメだっ……躱せない……‼)
飛羽は間一髪大剣を翳したが、大斧の重みと剛力に容赦無く押し切られる。
「――ガハッ」
そして成す術なく、反対側の壁まで一直線に吹き飛んでいた。
受け身すら取れず壁に叩き付けられ、空気と共に血を吐き出す。幾つかの内臓が破裂し、骨が砕けたような痛みが飛羽を襲った。
(――一撃、受けただけで……)
明滅する意識を必死に掬い上げ、立ち上がろうとする飛羽。
そこへ、大きな影が差す。
「ガ……⁉」
影に覆われた瞬間心臓が飛び上がり、全身に寒気が走った。
見上げた先にいるのは、空中で大斧を高らかに掲げている鎧。
(動……けぇッ‼)
飛羽は全身を奮い立たせ、ただ我武者羅に地面を蹴った。
飛び退いた場所から鳴り響く破壊音。背後の壁に一直線の痕が走り、絶大な力で叩かれた地面には巨大なクレーターができる。
一撃でもまともに受ければ死ぬ。だが、防戦一方では勝利も無い。
(――今ッ‼)
大斧を空振らせたこの瞬間に好機を見出し、受け身から体勢を整えた飛羽は大剣を引き絞る。
狙うのは腰辺り、鎖帷子が剥き出ている部分――!!!
「ォォ――オオオオオオオオ!!」
裂帛の雄叫びと共に肉薄し、力の限り大剣を突き出す。
一瞬、鎧がブレた。
止まって見える世界の中、唯一飛羽に見えたそれは――鎧の臑当。
鞭のように撓り、鮮やかに。大剣が鎧に届くよりも先に――飛羽の首を捉えた。
――ゴキッ
嫌に明瞭な音が響き渡る。
『……』
宙を舞い、自由落下してくる飛羽へ向けて、ゆっくりと狙いを定めた鎧は大斧を振り落とす。飛び散る血飛沫が、白い床を赤黒く汚した。
広がる血溜まりの中。首を折られ、肩口から胴を大きく裂かれた肉塊はピクリとも動かない。
――グチャッ
鎧は吐き捨てるように、龍の形をした頭を踏み砕いた。脳漿の混ざった鮮血が更に飛び散る。
生の名残か、頭を潰された瞬間に肉塊がビクッと蠢いたが…やがて、完全に動きを止めた。
完全な死を齎された愚かな生物を、鎧は愉悦の眼差しを以て見下す。
――そして、少し離れた場所では
《――……!……!》
一部始終を目に焼き付けていたシエラリアが、今にも泣きだしそうな顔で必死に何かを唱えようと口を開き、動かなくなった飛羽に向けて必死に手を持ち上げていた。
数々の悲観的感情が灯る彼女の瞳は、如何とも形容し難い。
只一つ、明確に伝わる感情があるとするなら――後悔だろう。
《――私の……せいで……!》
彼が何処から来たのかは分からない。彼が何者なのかもわからない。
でも、大斧を振り翳された自分を守ってくれたことは理解できた。
囚われの身である自分を背に守り、足を震わせながら異質の鎧へ立ち向かってくれたことも。
何故かはわからない。もしかしたら、自分の祈りを聞き届けてくれた主からの使者なのかもしれない。
だがその末に、彼は死んだ。
自らが仕留め損なった異質の鎧に、殺された。
自分がこんな所で捕らわれているから、殺された。
――ごめんなさい……ごめんなさいっ……!
胸を打つ罪悪感。
シエラリアの蒼い瞳に、涙が滲む。
救われたいという想いに偽りはなかった。突如現れた巨獣を宿した黒い姿に、もしかしたら異質の鎧を倒してくれるかも…と希望を抱いたのも事実。
しかし冷静に考えてみれば、最高位天使であるシエラリアと互角の戦いをした異質の鎧を倒せる存在など、同じ最高位天使か最高位悪魔か、若しくは世界に三体しか存在しない霊獣しかいないのだ。
この手が届くのなら。自分にまだ力が残っていたなら――
『――……――……』
しかし当然、その手に光は現れない。
ガシャリ…とプレートが擦れる音を響かせ、肉塊から興味を失ったらしい鎧が天使に向き直った。
再び迫る、死神の足音。
一度希望という名の光が付いてしまった心に後悔という追い風が吹き、以前よりも暗く、一層深い闇へとシエラリアを突き落としていく。
――本当に、ごめんなさい……
力無く、手を下ろした。
死に行く天使が救いを願った結末は…余りに呆気なく、余りにも悲惨で――
だが、それでいて
――――ドクンッ
その光はまだ、完全に消えてはいないのだった。
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