六話 紅の炎


――炎が勢いよく、飛羽を飲み込んだ。


 皮膚は焼け焦げ、体の水分は蒸発し、成す術なく死ぬ。直感的にそう思った。


 しかし、飛羽は思い知らされる事となる。



――人としての常識は最早、意味を成さない事を。



 何分……いや、何秒そうしていただろうか。


 炎に包まれた瞬間、最後の抵抗とばかりに交差していた腕を解き、瞑っていた目を開く。


 視界を埋める紅蓮。手を広げれば、当然炎に焼かれている自分が見える。


 鎧のような殻に炎が燃え移り、全身が沸騰しそうな程熱い。否、実際は沸騰どころでは無い筈だ。


 だが、黒い殻に守られた身体は炎に焼かれている事を意に介さず、死の危険も感じない程に――生きていた。


 直ぐにでも抜け出したい衝動を堪え、左手を炎の中に泳がせる。


(――触れる……)


 炎は無機物であり、実質的には触れているとは言い難い。だがそれでも、伸ばした掌の上に確かな火が灯る。


 グッとそれを握れば、一部は流れ出る水のように指の隙間から逃げ、逃げられなかったものは消えた。


 飛羽はその光景に、言い得ぬ感動を覚える。




“――――”



 突如、飛羽の脳裏に炙られたような文字列が浮かび上がって来た。


 知らない文字の、知らない単語。それでも不思議と、直感的にこの文字が何を意味するのか解る気がした。


【――Valorg紅炎


 飛羽は迷うことなく、焙られた文字を心で綴った。


 途端宝石が輝き、刀身から色濃い紅の炎が迸る。


 余りの勢いに膝を着きかけるが、寸での所で耐える。


 噴き出す炎は、周囲の炎を巻き込みながら刃へ収縮していき、その猛々しい姿を膨大なエネルギーの刃に変貌させる。長さにして大剣の三倍。轟々と空気を焦がしながら形を成し、大剣を覆うそれは正しく、炎の刃。


 炎剣が完成すると同時に、周囲の炎が消えた。


 開ける視界の中、懲りずに飛来して来た火球群を一薙ぎで一掃する。


「――ハァッ‼」


 限界まで体制を低く、炎の尾を引きながら、疾駆。


 飛躍的に向上した身体能力で地面スレスレを滑空するように走り、過ぎ行く術者達には目もくれずに中心へと向かう。その途中、何人かの術者が剣の熱に当てられ燃えた。


 術者蔓延るその中心へ到着した瞬間、不可視の地面に足を埋める勢いで踏ん張り、時計回りに回転する。


 飛羽が駆け始めてから、時間にして僅か二秒足らず。その速度に反応できなかった術者達は、総じて炎剣の射程範囲に入っていた。


「ガ――ァァアアアアア!!!」


 溜まった力を解き放つように、一閃。


 雄叫びを上げながら放たれた紅炎が薄暗い空間で円を描き、凄まじい速度で駆け抜ける。放たれた奔流は一瞬で全てを焼き殺し、骨の一片すら残さず蒸発させた。


 残心。


「カハッ……」


 止めていた呼吸を再開する。


 周囲を見渡し、何も残っていない事を確認した飛羽は大剣をだらりと下げ、集中を解き、崩れ落ちた。


「ハァァァアア――……」


 大きく息を付くけば、高揚していた気分が落ち着くのを感じる。そして、右腕の感覚が遠ざかる。


――シュゥゥウ……


 体から、水蒸気が出るような音が聞こえ始めた。


 身体を見れば、黒い殻がペリペリと剥がれるように崩れ落ち、元の人肌へ戻ろうとしているのがわかる。


 ならば問題ないと、仰向けに寝転がった飛羽は、しばらく天を仰ぐ。


 あれほどまでに昂っていた感情の色は、盛り過ぎた炎が燃え尽きたように消えていた。


 やがて人の姿へ戻った飛羽は、ぎこちなく左手を持ち上げる。


 傷一つない、綺麗な手だ。


(――戦った)


 生まれて初めての戦闘、命の奪い合い。それを終えたこの手には、見えない死がこびり付いている。


 それは生涯、死んでも尚残り続ける、罪の証だ。


 “罪”――人間がしてはならない行い。正しくない行い。


 正直、実感は無い。いけない事をしたという意識も薄い。


 “するべき事をした”

 “そうしなければ死んでいた”


 得意の言い訳ならいくらでも思いつく。


 だが、言い訳で片付けてはいけない気がする。


 そもそも何故、自分は“命を奪う事”に罪の意識を感じているのだろうか――


 常識?

 法律?


 何だろう、よく、思い出せない。


「……」


 その疑問を解き明かそうと考え込んだが、結局答えは見つからなかった。今は先に進む事が優先だと思考を切り替え、立ち上がる。


 気付けば、右腕は動かせる程度に回復していた。


「……ごめんなさい。僕は、進みます」


 死がこびり付いた手を握り締め、飛羽は決意を新たにする。せめて彼等が安らかに眠れるよう、手を合わせ黙祷した。


「じゃあ行こうか、羽根さん」


 いつの間にか左肩に乗っていた羽根へと声を掛ける。


「おっとと……」


 寝かせていた大剣を持ち上げると同時に眩暈に襲われ、よろめいてしまう。


 思い出したように感じるのは、風邪を引いたような若干の気怠さ。


 だが些細な事だ。これまで受けてきた痛みに比べればこの程度、屁でもない。


 少し軽くなった気がする大剣をしっかりと担ぎ直し、羽根が差していた方向へ駆け足気味に進み出す飛羽。


 今は何より早く、天使に会いたい。それだけを思って。


 ◇◆◇


 思った以上に早く、それは見つかった。


 宇宙空間(?)の中で自己主張の激しい“白”を放っている何かに近づく。


 到達するまでその“白”に検討すらつかなかった飛羽だが、近づいたことで、それが楕円形の穴から漏れ出す光という事が分かった。


「何も見えないな……」


 しかし、覗き込んでも目が光に慣れていないせいか何も見えず、この先がどうなっているのか全く分からない。


「怖い……なんて、今更か」


 そう、今更。進むことを恐れて立ち止まっても、進まなければいけない時は必ず来る。


 ふと、天を見上げた。そこに広がっているのは、ここへ来た当初と何ら変わらない、満面以上の星空。


「――さようなら」


 美しいその景色を記憶に刻み付けた後、羽根をブレザーのポケットに入れ、白い輪へと飛び込んだ。


 星々が上へとスクロールされ、代わりに視界を埋めていく眩しい色に目を瞬かせる。



――――‼



 そして、存外近かった地面へと着地した瞬間、飛羽は全身の総力を以て駆け出した。


 移り変わっていく景色の中、目に映った惨劇――



――見覚えのある鎧に大斧を振り翳された、天使の許へと。


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