五話 同化

 星々に照らされながら現れた淡い紫を放つ半透明の龍が、目下の何かにとぐろを巻くように消えていく。


 紅に輝くその巨体が一片残らず消えた後、その場所で倒れていた影がゆっくりと起き上がった。


 身長は170cm強。紅い目を爛々と輝かせ黒い殻に全身を覆われた人型の何か。龍を連想させる口からは高熱の息を放ち、身体の至る箇所には刃の如く鋭い突起が連なっている。


 強靭な二足で立ち上がったソレは、自分の腕や足を興味深そうに一瞥した。


「――!」


 直後。何かに弾かれるように反応したソレは、地面に寝ていた大剣を無造作に蹴り上げ――片手で後方に振るった。


 その一振りは、迫っていた火球へ吸い込まれるように動き…破裂させる。


 爆煙に飲まれた人影。


 しかし直ぐ、空気の唸りと共に爆煙が吹き飛ばされる。その風圧は遠く離れている筈の黒い術者達まで届き、頭のフードを捲った。


 晒されたのは、額に大小様々な角が生えている炭の様に真っ黒な頭。薄闇のせいでわずかしか見えないその顔は、一人の例外も無く全員が白目を剥いており、表情は愚か生気すら感じさせない。


“死者” そんな言葉がピッタリだ。


「……ハァ――」


 残心らしく剣を正面で止め、熱波を吐く龍頭。爆煙から出てきた双紅の瞳は一切揺れ動かず、縦に鋭い瞳孔が開き、群れる術者達を真っ直ぐ見据えている。


 紅く滲み出る野性、殺気、捕食者の気配。


『――……‼』


 術者達の一律して光の無い筈の瞳へ、確かな感情が灯る。


 その感情とはつまり、“恐怖”。体の中に根強く存在する本能であり、相手を必要以上に肥大化させる感情である。


 現に彼らの瞳には、本来映るはずの無い物――……


 自分達を睥睨する巨大な龍が、映っているのだから。


◆◇◆


『彼の身に力を――【Arzobu同化】』


 不思議な声が聞こえた。その後、龍がとぐろを巻くように身体の中へ入ってくる。


「う゛……ぁ……」


 体が破裂するのではないかという圧迫感に耐え切れず、うつ伏せに倒れてしまう。


 次いで耳に届いたのは……肉体の悲鳴。


 骨が変形する音、筋肉が張り裂ける音、内臓が破裂と再生を繰り返すような音。


(あ゛あ゛あ゛ぁぁぁぁぁ――!!)


 身体が無理矢理成長していく感覚と、一生分の成長痛を受けているような苦痛に身体が痙攣し、喚き叫ぼうと空気を喉に通すがそれは声に変わらず、血の混じった息が漏れていくだけ。


 右足の肉離れが比にならない程の、全身に渡る痛み。


 生まれて初めて口から血を吐き、痛みに耐え兼ねた脳が意識を落としかけたその時――


(――……あ、れ……?)


 僅かに余韻は残っているものの、痛みと音が止んでいる事に気付く。右足の痛みも消えていた。


 神経が身体に染み渡り、徐々に意識がはっきりとしていく。


 うつ伏せのまま、掌を動かしてみた。


 握り、開く。正常に動かせる。しかし、何処か違和感がある。


 順に首、腕、足と動かしてみるが、やはり違和感を感じる。本来の感覚より、長く固いような動かし難さを。


 その違和感を確かめる為、覚束ない動作で立ち上がり、自分の身体を見降ろす。

 

(――……なんだ、これ)


 口に出そうとした言葉が形になっていない事に気付かないまま、飛羽は変形した自分の身体を、普段よりも高い位置から見つめる。


 火球を受けて少し焼けた人肌は消え去り、代わりに全身を覆っているのは、黒い光沢を放っている鎧のような殻。そして、鋭利な鉤爪が剥き出る強靭な手足。


 どう見ても、生まれ持つ自分の身体ではなかった。


 伸びていることが気にならない程に姿が変わっている体、腕、足。


 常人の感覚なら間違いなくパニックに陥るであろう突然変化。


 なのに何故か、飛羽はその姿に嫌悪感は全く感じない。寧ろ、心地良さに似た全能感すら感じた。


 と、その時――


(何か来る――!)


 背後からの気配。足下に見覚えのある光が映るよりも速く、体が動いた。


 地面に寝ていた大剣を無造作に蹴り上げて掴み、気配を感じた後方に振るう。


 片手で振るった大剣は、迫っていた火球の中心を正確に斬り裂いた。当然の如く発生した爆風に背中を撫でられ、爆煙に飲み込まれてしまう。


(あ、やば――)


 背後から自分を包んだ爆煙に、手遅れと知りつつ左腕で顔を庇う。


 しかし直ぐ、その行為は意味が無い事に気付いた。


(――……あれ……熱くない。痛くない……?)


 相も変わらず声にならない空気を吐きながら、飛羽は左手を下ろし、自分を包む熱を全身に感じる。言うなれば、猛暑時の海岸にいる感覚だ。


 そして、爆煙を受けた体は火傷一つ負っていない。


「……ハ」


 何とも形容し難い感情が溢れ、行き場を失ったそれは渇いた笑みに変わる。


(でも――)


 グッ…と、右腕に力を込める。


 力を込めれば込める程膨れ上がっていくような、未知の感覚。今更だが、大剣を片手で持っていても疲労を感じない。右腕から伝わる重みは確かだが、持ち上げる事がまるで苦じゃない。


(この力があれば……戦える……)


 溜めた力を解き放つように大剣を大きく水平に振るえば、それだけで空気が風と化し爆煙を吹き飛ばす。


 飛羽は大剣の重みを確かめるように残心しながら、クリアになった視界で黒い術者達を見た。大小様々な角の生えている黒い顔が、星明りに照らされ良く見える。上等なローブに身を包むその術者にどことなく既視感を感じたが、今考えるべき事ではないと思考の隅に追いやった。


「――ハァァァァ……」


 頭を冷やす為、大きく吸った息を吐く。


 何故か、術者達を見ていると気分が高揚する。闘争心が半分、憎しみが半分混ざった綺麗とは言えない感情が溢れ、飛羽の内側を侵していく。


 そして、半ば本能に抗えないまま歩き出した。


「――……」


 何だろう。暴れたくて仕方ない。猪突猛進は良くないと頭では分かっているのに、進む足は止まらない。


 胸に溜まる熱を、全身に流れる力を、解き放ちたくて仕方ない。


 目指す先、進む先に、道を阻むものがいる。


(あれは、敵?)


 攻撃してきた。傷を負った。吹き飛んだ。死にかけた。故に、疑うまでも無いだろう。


(――あれは、敵だ)


 敵、倒すべき対象。曇りない紅眼が一層強く輝き、広がった瞳孔に術者達を映す。


 瞬間、飛羽の姿が掻き消えた。


 地面スレスレの低姿勢での移動は銃弾の如く、瞬く間に術者の最前列に接近していく。飛来する数多もの火球が視界を埋めるが、焦りはない。


 直撃しなければ大したダメージは無いと知った。ならば、向かってくる全てを斬り落とせばいい。


 視線は迫る火球の雨から外さない。速度は落とさずそのまま、大剣を右肩に担ぐように構える。


 今飛羽には、視界を埋め尽くす火球一つ一つの軌道、角度、距離が見えていた。


 それらを点と点を結ぶように、火球と火球を繋げるようにして剣を通すルートを頭の中で構築していく。


 しかし飛羽は、剣の振り方なんて知らない。


 だから


(思いっきりっ、叩き潰す――!!)


「――ッ!」


 無言の気合。イメージしたルートに剣を通し、寸分の狂い無く火球を破裂させていく。


 火球を叩く度腕に伝わってくる少しの手応えが、心底心地良い。


 だが――


(ッ……!)


 両手で持っている筈なのに、剣を一振りするだけで、右腕へとてつもない負担が掛かる。

 

 痛みに耐えながら大剣を振る速度はお世辞にも速いとは言えず、故に幾つかの斬り漏らしが出てくる。


 たった今叩き漏らした火球を回避しながら、飛羽は歯痒さを感じていた。速過ぎる身体の動きに対し、知覚と技術が全く追い付いていないのだ。


 飛羽の中に、力を使い切れない申し訳なさが溢れる。


(これじゃ……ダメだ。もっと、もっと巧く……速く……‼)


 ドクン…ドクンと、力を求める飛羽に呼応し脈を速める心臓。体の内に余りある力を引き出し、目の毛細血管に至るまで染み渡らせていく。


 すると、黒い殻の表面に血が通うかの如く紅い線が浮かび上がってきた。


 迫る火球群を斬りながら、身体の中にあるもう一つの意識に導かれるように、剣を振る動きを最適化していく。


 最高を出せる最短を、最長で叩ける最速を。


 剣の握り方、足捌き、体重移動、体幹、腰の捻り、身体の底から湧き上がってくる知識と技術促されるがまま一挙一動を研ぎ澄ます。


 両腕が鉛の様に重い。右腕に至っては、腕橈骨筋わんとうこつきんが焼けるように痛んでいるが、まだ動かせる。


 最早、飛羽の中に理性という名の邪念は存在しない。


 そこで剣を振っているのは正しく、本能に動く一匹の獣だった。


「――ガ……!」


 無我夢中で剣を振っていると、目の前に杖を構えている人影が映った。それは、今の今まで火球を飛ばしていた術者の一人。


 何の躊躇も無く剣を振り上げたが――静止する。


 殺す必要なんかない。殺したくない。罪を犯したくない。


 殺す事に対する忌避。命を奪う事に対する葛藤、罪の意識。償う事も、後戻りもできない過ち。


 瞬きよりも短い一瞬。それらの感情が怒涛の勢いで押し寄せ、飛羽の中で渦を巻く。


 考えれば考える程、迷えば迷う程、剣を持つ手から力が抜けていく。


 だが


(――迷うなッ!!!!)


 自らに怒号を放ち、その勢いで剣を振るう。


 肩口から入った剣が肉を裂き、骨を断つ。


 吐き気がするほど鮮明に腕を伝う厭悪えんおを振り切り、尚も剣を押し進めた。完全に動きを止める為、殺す為に。


 結果、呆気なく両断された術者が一人、闇となって霧散した。


 大剣を振り切った形で静止する飛羽。


 その手には、火球を斬る軽い手応えとは全く違う感触がこびり付いていた。肉を斬り、骨を断ち、確かな命を奪った――殺しの感触が。


(――……これで、もう、後戻りはできない)


 飛羽の心で、何かが外れた。


 縦横無尽に駆け回り、視界に入った一人目の術者の首を水平斬りで断つ。


 二人目は杖を掲げる腕を斬り落とし、二の剣で脇下から両断する。


 三人目は膝を蹴り潰し、頭を踏み砕く。四人目は鳩尾に剣を刺し、背骨を断つ。


 五人目は脳天から大剣で叩き潰す。六、七、八人目を一振りで両断し、その斬波で背後の集団を吹き飛ばす。


 ここは固い、ここは柔らかい、ここは斬りやすい、ここは斬りにくい。


 一人一人を斬りながらそれを確かめ、狙いをより鮮明にしていく。


 意識の加速感に身を委ね、息を切らしながらも流れるように、一切の躊躇無く剣を振るう。


 多を圧倒する一。つい、自分が強いのだと勘違いしてしまいそうになる。


 敵を斬る度体の内から込み上げる何かが染み渡り、気分を更に上げてくれる。


(アハ……!)


 気持ちが良い。


 身体の疲労を忘れ、息を吸う事も忘れ、狂ったように剣を振り続ける。


 筋肉が震え、心が躍る。一方的な殺しを、楽しいと思ってしまっていた。


「……ハァ、……ハァ、――フゥ」


 一度立ち止まり、不足していた酸素を肺一杯に吸い込む。


(……こんなの、違う、ダメだ)


 興奮するな、冷静になれ。

 高揚するな、抑えつけろ。

 野性の間に理性を捻じ込め。


――僕は、人間だ。

――知性と理性を持つ、人間だ。


 決して、本能だけで動く獣じゃない。

 決して、殺しを楽しむ化物じゃない。


 飛羽が自分は何者であるかを再確認した――その時だ。


【―――――ra上位 blastola熱放射!!!】


 嘗て天界に向けて放たれた魔術が、飛羽一人に向けて放たれる。


 空気を焼きながら迫る炎の咆哮。たった一息、されど一息、戦いから意識を背けていた飛羽は立ち竦んだ。


 視界を埋める紅蓮を見て、最早回避は不可能だと悟る。防ごうにも、手段が無い。


 せめて即死は免れようと大剣を動かすが、その時にはもう全てが手遅れで――


――炎が勢いよく、飛羽を飲み込んだ。

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