二話 導かれた先
どれくらいの時間が経っただろうか。示された方向へ只管歩き続ける飛羽の頭はやや下を向き、額には汗が流れ、呼吸は整っていない。
進めど進めど変わらない情景に募る不安と、休み無しで歩き続けている肉体的な疲労が飛羽を苦しめていた。
「んん………羽根さん? 本当に、この方向であってるんだよね……?」
それが何回目の問いかは憶えていない。そしてその問いを投げかける度、羽根は上部を前に曲げるだけ。
飛羽は、羽根を信じて進むしかなかった。
裸足と関節が張るように痛み、喉が渇いた。視界に広がっているのは、以前と変わったように見えない宇宙空間。
今なら、同じ道をぐるぐる回っているぞと言われても、何ら疑問は感じないだろう。
「……」
独り言を言う気力もなく、飛羽は無心を志して歩き続ける。
そんな中光明が見えたのは、羽根に方向を確認して間もなくの事だった。
「……お?」
項垂れていた顔をふと上げる。
遠く前方に、周りにある星の光とは明らかに違う、一つの紅く大きな光が見えたからだ。
それを見つけた飛羽の瞳に、掠れていた光が再び灯っていくのが分かる。
「は、羽根さん! 羽根さん!」
漸く現れた目標に高揚しながら羽根を取り出す。へなっていた羽根が「今度はなんじゃい…」と言いたげに起き上がる。
「あれ? あそこに行けばいいの!?」
紅い光を指差して問う飛羽に、一瞬の間逡巡した羽根は二度、三度とこれまでと違い大きく首肯した。
それだけで、飛羽の顔に笑顔が咲く。
「よかったぁ。方向、間違ってなかったんだ……!」
文句を言いたげにクネクネ動く羽根をスルーしつつ、飛羽は自分を待つ紅い光に、大きな希望を抱いた。
(あの紅い光が何なのか分からないけど、あそこに行ったら何かはあるんだ――!)
空っぽ寸前だった気力が満ちていくのを感じ、再び足を上げる。
だが、その瞬間
――ゾワリ
「……っ‼」
身体に電流が走り、背筋を撫でられるような悪寒が飛羽を襲った。
巨大な何かに睨まられるような、ねっとりと纏わりつくような心臓の跳ね方に嫌な汗が噴き出る。例えるなら、振り返った先で拳銃を向けられていると分かる様な悪寒。
振り返りたくない。そう思いつつ首を回した飛羽の目に映ったのは――闇。
ブラックホールとも言えそうな、黒い渦。
「何、あれ……」
それは光を一切寄せ付けず、星々を黒く塗りつぶしながら広がっている。その動きまるで、体内に紛れ込んだ異物を排除しようとしているかのようだ。
決して速いとは言えない速度で、しかし着実に、飛羽へと差し迫っていた。
見るからにヤバイ黒い渦。人間としての本能はけたたましく危険を叫んでいるが、ここは何も知らない世界。早計過ぎるのはよろしくないだろう。
願うような気持ちで、飛羽は無意識に強く握っていた羽根を黒い渦に向けてみた。
「羽根さん……あれは――」
飛羽の言葉が終わる前に、黒い渦へ翳された羽根は反応した。
――クネクネクネクネ!!!!
羽毛を逆立たせ、掴んでいる手から離れそうな程激しくくねる羽根。その意図を正確に読み取ろうと思考を凝らす…までも無い。
「しっかり掴まってて!」
やけくそで応え羽根を素早く胸ポケットにしまった飛羽は、紅い光を正面に見据え走り出す。強く踏み出したことで足が鈍く痛んだが、歯を食いしばり、勢いは一切緩めない。
未だに湿り、肌にへばり付いてくる服を忌々しく思いながらも、闇を置き去りにせんと足を回す。
空気を切って走る感覚はやはり気持ちの良いもので、足の痛みを忘れてどこまでも走って行けそうな気さえしてくる。
この調子で走れば、きっと逃げ切れる。そう確信し自然と笑みが浮かぶ。
だが、その気の緩みが不幸を招いた。
「あッ――!」
足が絡み、バランスを狂わせた飛羽は無様に転ぶ。それなりの速度で走っていたためか、ゴロンゴロンと勢いのまま二回転を決めた後、何とか体制を立て直した。……だが
「いづっ……」
転んだ際に右膝を強打してしまい、唯でさえ痛めていた関節に追い打ちをかけてしまった。
「今……距離は――」
そして、闇との距離を確かめるために振り返ってしまう。
「――っ」
言葉を失った。
飛羽の目の前に広がっていたのは、星々広がる幻想的な景色とは異なる闇一色。一切の光を受け付けないそれが、飛羽を飲み込まんと口を開けているように見えた。
時間が間延びしたように、ゆっくりと流れていく。
全身が強張り、息が詰まる。足が固まって動かせず、迫る闇をただ眺める事しかできない。
転んだ痛みなど歯牙にもかけない恐怖に、腰が抜けていた。
それでも辛うじて機能していた防衛本能は、無意識に身体を守ろうと左腕を前に動かす。
そして――
翳された飛羽の左腕を容赦なく、闇が飲み込んだ。
「あがっ――ああああああああああああああああああ!!!!」
絶叫。
左腕を通して体内に入った何かが内臓を巡り、骨を、血を、肉を侵してくる。
「あ゛……あ゛っ……」
身に余る苦痛に意識が混濁し、全身が痙攣を始める。
一瞬何もかもを諦めかけたが、腕の中から蟲が這い上がってくるような嫌悪感に耐え切れなかった、飛羽は意識を取り戻した。
「――~~~~!!!!」
形相を歪め、言葉にならない叫びを上げながら、半狂乱になって左腕を振り回す。
へばり付く闇から左腕を救出した瞬間、飛羽は身を翻し駆け出した。
ふと視界に映った左腕は炭のように黒く、肉を抉られているような激痛が鮮明に残っている。しかし、痛みがあるという事は、神経が生きているという事に他ならない。
「嫌だ、嫌だ、嫌だ……!」
二度と捕まりたくないという恐れが、背中を押す。
視線の先で輝く紅一点を目指しながら、飛羽は直走る。
背後に、しつこく追いかけてくる闇を感じながら。
◆◇◆
「何……これ……」
辿り着いた先で“それ”を見上げながら、飛羽は思わず足を止めていた。
目の前に聳える硬質な灰の体は、それが石で構成されているのだと知覚的に解る。
一枚一枚が美麗に形の整えられた鱗が全身を覆っており、蛇のように長い胴体から広がる一対の翼は折り畳まれている。
一見して蜥蜴に見える四肢は知識にある細い物ではなく、短いが筋骨隆々としており大木の様に太い。威厳と貫禄を感じる巨大な頭には二本の角が生えており、形容し難い圧迫感に襲われる。
「……龍……?」
それは、巨大な“龍”の石像。
「――…」
思考が吹き飛び、引き攣る頬が抑えられない。呆けながら頭を巡るのは「デカい、龍、ヤバイ、カッコいい」等の知能が足りないワード達。
自分が逃げていた事も忘れ、飛羽の視線は龍の石像に釘付けだった。
「痛っ!?」
針に刺されたような痛みを頬に感じ、驚きに身体を震わせる。
痛みの方向へ首を向けると、いつの間にか左肩に乗っていた羽根が、固い羽柄を飛羽の顔に向けていた。
自分の意識が彼方へ旅立っていたことをハッ…と思い出し、正気に戻してくれた羽根に「ありがとう」と感謝しつつ、右手で優しく摘まむ。
「羽根さん……僕は、どうすればいい?」
飛羽の言葉に反応した羽根が、クイッと上部を斜め上に向ける。それにつられ、飛羽の視線も同じ方向を見上げた。
「あれは……」
石像の背中辺りから漏れているのは、うっすらと光る紅。
それは、石像のインパクトが余りにも強く、すっかり失念していた目標だ。
何が光を発しているのかは分からないが、あの光へ辿り行くには石像を登らなければいけない。
だが、言うは易し、行うは難し。
幸運な事に石像は横たわっているが、それでも背中までの高さは学校の三階程。
果たして、体力が持つかどうか……。
肩越しに振り返り、闇との距離を確認した。
離れているのは凡そ30メートル。
「迷ってる場合じゃない……か」
不安を押し殺し、“大丈夫、登れる”そう自分を信じながら羽根をポケットに直す。邪魔な靴下を脱ぎ捨て、助走した。
「ふっ……‼」
下顎に足を乗せ、上顎辺りの鱗に手をかける。
幼い頃に木登りで培った登攀能力を遺憾なく発揮し、冷たい石像をスムーズに登っていく。
「ッ……ぐぅっ……」
途中、飛羽の口から漏れる呻き声。意識しないようにしていた左手や、足の裏から擦れるような痛みが走る。
立派な角に足をかける事に背徳感を感じながら、ヤスリのようにザラザラした鱗に体を傷つけられながらも、止まらず石像を登る飛羽の目には…大粒の涙が溜っていた。
「……ふ――……ふ――っ。……やって、やったぜ……?」
乳酸が溜り痙攣している掌は皮が捲れ、どくどくと血が流れている。
「泣かない……。この程度で、泣くもんか……」
痛みに耐え、熱く火照る身体を鎮めるために、飛羽は荒い呼吸を繰り返す。
「……よし」
落ち着き、歩き出した。龍の背中に“刺さっている”光の許へ。
◇◆◇
石像の背中は暑かった。籠ったような熱が皮膚を焼き、傷ついた身体に染みる。
眩しく視界を照らす紅の光。その正体が、遂に飛羽の目の前にあった。
「……剣」
そう、それは―――剣だった。
全体を通して黒曜石のように黒く、半分程石像に埋まってはいるその剣は、一目見ただけで飛羽の身長よりも長い事が分かる。
鋼が剥き出る幅広の刃は、滑らかとは相対した肉を削ぎ落す為の波形。
何より目を引くのが剣の鍔。その中心に嵌っているのは、ドクン、ドクンと脈打つように発光している大きな紅い宝石。
それこそが、紅い光の正体だ。
いつの間にか飛羽の左肩に乗っていた羽根が剣を差し示し、クイックイッと屈折を繰り返している。
「“抜け”? ……うん、勿論さ」
半ば“そうだといいな”と思っていた通りの指示に従い、剣の前に立つ。
突き刺さっている剣を抜く。それは、男なら誰しも一度は夢見るシーンだろう。
齢14歳の飛羽も例外では無く、剣を抜く気満々で柄に手を近づけていく――が。
「――は……はは……冗談、きついって」
余りの熱さに、その手を止めた。
よじ登ってきた石像と同じく、剣もひんやりしているものだと飛羽は思い込んでいた。
しかし、眼前の剣は淡く赤熱しており、陽炎すら纏っている。
「まじか……」
その熱気を正面から受ける飛羽の額に滝のような汗が流れる。その汗はきっと、熱気だけによるものではないだろう。
――ゴクリ
嫌だ、触りたくないと叫ぶ心を唾と共に飲み下し、深呼吸を一つ。
赤熱する剣の柄を――握った。
「あ゛っ……――ぐぅぅぁ――……!」
肉が焼け、形容し難い苦痛と不快な音に口を噤み、歯を食いしばる。
「くッ……ぐぬぁぁッ……!」
涙を流しながら痛みに耐え、やけくそになりながら剣を引っ張る。
しかし、固い。
揺らせばぐらぐらと揺れ動き、すぽっと抜けそうなのに、抜けない。
「抜けろよッ!!!」
怒り混じりに出てしまう魂の叫び。しかし、それでも剣は抜けない。
何かに引っ掛かるように固定されている剣が、石像と一体化している気さえしてくる。
角度を変え、持ち方を変え、尚も引っ張る。踏ん張りすぎて足の爪が割れる音がした。
しかしその甲斐あって、根気よく持ち上げ続けた剣は徐々に、へばり付く石を落としながら少しずつ……上昇を始める。
そんな中で……。
「来てる……来てるんだよッ……!」
石像を登り、剣を抜くまでの間に追いついた闇が、飛羽の直ぐ後ろまで迫っていた。
振り返ればそこに、闇がいる。
闇から逃げたいというエネルギーを腕に加え、最後の力を振り絞った。
「――ぉぉぉぉぉぉぁああああ!!!!」
――ドクンッッ!
脳天まで響く強い鼓動。
石を砕きながら抜いたそれを、闇目掛けて振り下ろす。
落とすように振られた大剣は、闇を易々と両断した。拓かれた先に見える星々は、飛羽の切迫感など意に介さず輝き続けている。
「……はぁっ……はぁっ……」
霧散していく闇を見ながら剣を落とし、息も切れ切れ、焼け焦げた両手を見る。
見たくはないが、見ずにはいられなかった。
「はっ…………あ、れ?」
目を剥く。何故か――そこにあったのは、傷一つ無い綺麗な両手だった。
闇に食われ黒く染まった左腕すらも元の肌色へ戻っており、まるで、時間が巻き戻ったかのように全身の傷が消えている。
「……なん、で?」
手には依然として、焼けるような痛みと熱が残っていた。左腕にも、思い出すだけで寒気の走る悍ましい感覚がこびり付いている。
「絶対……夢なんかじゃないのに」
しかし、今の飛羽にそれを考える余裕は無かった。
張り詰めた糸が切れる様に、その場でへたり込む。
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