三話 弱さを胸に

 飛羽が剣を抜いてから過ぎる事、約10分。


 荒く渦巻くような感情を宥め、ようやく心身共々落ち着いてきた飛羽は、尺取り虫のように肩へ這い上がってきた羽根へ「器用だな…」と思いつつ笑いかける。


「……何とか抜けたよ、羽根さん」


 そうぼやくように言う飛羽の目に、光は無い。


――……コクリ


 飛羽の言葉に、羽根が肩上で頷く。


(このままじゃ……ダメか)


 深い沼に踏み入り、埋もれる様に沈んでいく気分。これは鬱に入る前兆だ。良くない。


「……ね、羽根さん。ちょっと良い?」


 少しでも気分を盛り上げよう思った飛羽は、指先と羽根の先端で「いえーい」と触れ合ってみる。


 飛羽との行為に“?”と上部を傾げる羽根。


「へへっ……ありがと、ちょっとだけ元気出た」

 

 可愛い羽根と触れ合い、ほんのりと色を取り戻した飛羽の瞳。


 羽根がいてくれたことを心から感謝しつつ、飛羽は右手の傍で寝ている剣を見た。


 宝石から発せられていた紅い光はいつの間にか消えており、それによって大剣の全貌がより見易くなっている。


 そもそも、どうして宝石がひとりでに発光できていたのだろうか。


――――――、


「だめだめ、ストップ」


 思考に耽りそうな頭をぶんぶんと振る。此処は羽根が動くような世界だ、考えたくとも答えに辿り着くための材料が無い。


 改めて、剣をじーっと凝視する。


 飛羽の身の丈以上ある全長は剣よりも大剣と言う方が相応しく、その大剣を構成している黒い金属は見当もつかない。


 その特徴はやはり、人体工学を無視した斬るにも刺すにも特化していない幅広の波形刃だろう。


 見れば見る程、これが斬る為の武器なのか疑わしくなる半面、生まれて初めて見る巨大な剣につい心を惹かれてしまう。


「かぁっこいいなぁ……」


 目を輝かせ、思わず口から出た小並感(小学生並みの感想)。


「まだ……熱いのかな……?」


 恐る恐る、もう赤熱していない柄に爪をコン……コンコンッとリズムよく当ててみる。


「……おぉ」


 爪越しに熱は感じない。どうやら、剣が発していた尋常ではない高熱は引いているらしい。肌で触れても大丈夫そうだと手を伸ばすが、しかし、伸ばした手は寸での所で止まる。


 痛覚を刺激する程鮮明に思い出すのは、手が焼け爛れる激痛。


 改めて爪で触れ、熱くない事を確認するが……それでも、恐れというものは中々拭えないものだ。


「――男は、度胸!」


 結局最後は、“剣に触れたい”“持ちたい”という男の子らしい好奇心が、恐れを負かした。


 火傷上等で剣の柄を勢いよく握り、持ち上げようと試みる。


「熱くない……!――っ、重ッ!?」


 熱くないことに感動したのも束の間。


 座った状態では柄を持ち上げるのがやっとな程、大剣は重かった。いや、体感的に二十キロ程あるその重みは実際の見た目通りだろう。


「あっれ……僕、こんなのどうやって抜いたんだ……?」


 余りの大剣の重さに、苦笑いする飛羽。


 抜けない抜けないと叫んでいたが、単に持ち上がらなかっただけでは……?


 その思考に至った途端、冷静さを欠いた自分の言動が猛烈に恥ずかしくなってきた。


「誰にも見られてなくてよかった……」


 心の底からそう思いつつ立ち上がり、怪我の消えた身体で一気に大剣を持ち上げてみる。


 全身で踏ん張れば、何とか大剣を持ち上げる事は出来た。しかし振る事は愚か、剣道でおなじみの中段の構えを三十秒保つことすら難しい。


 圧倒的筋力不足だ。「うぐっ」と漏れるような声を出し、ゆっくりと大剣を置く。


「ん~……」


 ネックレスを弄りながら2分程考えた後、右肩に大剣を担いでみた。


 意外と頑丈なブレザーに刃を乗せ、両手で柄を握り支える。


「……おお」


 持てる。多少は鈍くなるものの、動ける。


 肩に当たる刃が服を斬り裂くことは無く、予想外の安定感だ。


 むふーっと満足気な鼻息を一つ、しかし直ぐに顔が青ざめていく。


「やっぱ重い……」


 できる限りゆっくりと剣を降ろし、次いで飛羽もその場に座った。


 乳酸の溜まった腕と脚を揉み解して疲労を大きく息に出す。


「……あれ?」


 そこで、飛羽は疑問を持った。


「これから、何処に行けばいいんだろう……?」


 羽根に示された目標である紅い光には辿り着いた。なら次は一体、何処へ行けばいいのだろうか。


――……ツンツン


 肩に張り付いていた羽根が上部をもたげ、飛羽に何かを伝えたそうに頬を突いてくる。


「どうしたの?」と、左肩に首を回した飛羽は目を見開いた。


 S字に起きている羽根の先端が、光っていたのだ。


 瞳に映る仄かに青い光。その光は暖かく、優しさに包まれていて……――それと同じくらいの寂しさ、虚しさ、無力さをも纏っている気がした。


 飛羽には分からない。


 何故光を見ただけでこれほどの感情が流れ込んでくるのか。


 何を理解すればいいのか。この羽根に、何を求められているのか。


 そして、いつしか考えなくなっていた疑問。


“ここは何処なのか”


 あの光に触れれば、それが分かる……そんな根拠のない確信。


――いや、もしかすると、飛羽はそれをもう知っているのかもしれない。


 飛羽の手が導かれるように伸びる。


「……」


 光に、そっと触れた。


 ◇◆◇


 目を開くとそこは、全方位が真っ白のだだっ広い空間だった。


 先程まで居た星々輝く空間の方が大分マシだと思えるほどに何もない。静かで、色彩の欠けた寂しい場所だ。


 視線を動かしても映るのは白い床に白い壁と、空間を照らす四つの灯台。それ以外は、一つを除いて何も無い。


 光を失い、白いとは言えない色褪せた灰の翼。


 閉じられたそれが、純白の空間の中で良く目立っていた。


 そして翼の間に見えるのは、地面にまで垂れる白の長髪と小さな背中。


 飛羽の少し先にぽつんと、何かが縮こまっていたのだ。


(……天使?)


 その背中に生えた翼は、飛羽の中から天使というワードを無意識に呼び起こす。


 どうしようか……等と考えたのは一瞬で、飛羽はその背に近づいていく。


(ねぇ、君。どうしたの?)


 声の射程範囲に入ると共に話しかけてみる。恐怖心を煽らないよう、優しい声調を心掛けながら。


(――あれ?)


 しかし、その声は形を持たず、ただ空気に溶けていくだけ。


 まるで真空のような音の無い世界に違和感を感じた飛羽が、ふと自分の手を見てみると、その手はゆらゆらと陽炎のように揺らいでいた。


(なんじゃこりゃ……)


 身体にも目を向けるが、透けて床が見えている胴、足首から先の無い足を見て、とても実体を持っているようには感じなかった。


(幽体離脱みたいな感じ……なのかな)


 近頃そういった経験が多いからか、“これは夢だ”と自己解決すれば焦りや不安も少なく、それ故に揺らめく身体を見て大袈裟に驚く事もない。


 飛羽にはまだ、動く羽根の方がインパクトがあった。


 声を出すことを諦め、天使の前にふわふわと回り込む。


(……女の子)


 その天使は、飛羽よりも幼い少女だった。


 身に着けているのはガーベラの花に似たピンク色の髪飾りと、明らかにサイズの合っていない白くぶかぶかのガウン。


 そして


(……何だよ、それ……)


 三角座りをしながら塞ぎ込む少女の四肢と首に付いているのは、大袈裟な程太く、禍々しい枷。


 しかも、少女の両足を縛っている枷に至っては、長く頑丈な鎖が地面へと続いている。


 白髪の隙間から僅かに覗く蒼い瞳に光は無く、まるで生気を感じさせない。


 生きている事を疑問に思う程、少女は身じろぎ一つしない。


 余りにも酷な少女への仕打ちに怒りを抱きつつ、飛羽の視線は一点に少女を見つめていた。


 何故か目が離せない。この少女に、何処か見覚えがある気がしたのだ。

 

―――――、


 飛羽はしつこい程、焦点の合っていない蒼い瞳を見つめ、記憶を漁る。


 そして何かと照らし合わせる様に数秒目を瞑った後


(もし、かして……)


 と声にならない声を出した。


 その少女は、否。その天使は、夢の中に出てきた銀髪蒼眼の天使。その面影に似ている。似すぎている。最早同一人物だ。


 何故縮んでいて、枷に繋がれているのかは分からないが、間違いない。


 白く透き通るような髪を、青空を凝縮したような蒼眼を、視界がぼやけていても見間違える筈がない。


(でも、何でこんな所に……)


 彼女はあの後、雲の中へ消えた筈だ。


(誰かに助けてもらった? でも、それならこんな仕打ちを受けてる筈がないし……)


 飛羽が思考の海に沈みかけた瞬間。


 ふわり…と髪が揺れ、風に反応した銀髪天使が少しだけ顔を上げる。


(……ッ!!)


 銀髪天使は瞼を赤く腫れさせ、泣いていた。


 それを見た途端胸の中が強く、苦しい程締め付けられる。光を失った瞳から流れている涙が、鮮明に網膜へと焼き付く。


(――待ってて。今、そこへ行くよ)


 飛羽は目を瞑る。“もう十分だ”と。


 天使が救いを求めているのかは分からない。でも、もし、本当に救いを求めているのなら。


 孤独であることに、涙しているのなら。


 理由なんていらない。心配損ならそれでいい。


 浮上感。夢が覚めるような、意識が昇ってくる感覚を感じながら目を開いた。


 相変わらず見えない床に、満面の星空。それが今では不思議と落ち着くのだから、人間の適応力というのは些か侮れない。


「ふぅ……」


 朦朧とする意識の中身体を起こすと、頭に乗っていたらしい何かが腹の上に落ちる。


 羽根だ。羽根は、飛羽を心配するように上部を持ち上げていた。


「……羽根さん。何の力も無い僕だけど、あの天使さんを救えるのかな?」


 飛羽の問いに、羽根は大きく頷いた。


「――わかった」


 結局この羽根が何なのかは解らない。だが、あの天使に関係している事だけは確信できた。


 飛羽は羽根をしまい、剣を担いで立ち上がる。

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