二話 堕ち行く天使
想像を絶する轟音と共に、剣槍から放たれた白銀の砲光。それは唐突に現れ、蔓延る魔を一直線に焼き尽くす。
直径20メートルはあろうかという光線。その射線上に存在していた尽くは――消滅していた。いや、塵すらも残らなかった。というのが正しいか。
どれほど上質な武具に身を包む者、どれほど高度な防御魔法を展開する者でさえも。
神威に等しいその光を前に一切の抵抗を許されず、成す術無く消えていった。
(――はっ……)
乾いた空気が喉から漏れ、引き攣る頬をそのままに銀髪天使を見る。
あれ程の惨劇を引き起こしたにも関わらず、彼女は顔色一つ変えていない。しかし、よく見てみると、光の輪と羽の輝きが少し色褪せている。
『……
槍を片手で真っ直ぐ構えていた天使は疲労を露わに腕をだらりと下げるが、一息付いた途端に羽ばたき、再度移動を始めた。
極光の射線上にあった結界には大穴が開いており、極光の太さを彷彿とさせる。
それから程なくして、目の前に青空が広がる。開いた穴から結界の外へ出たらしい。
戦闘は先の極光により膠着しているらしく、開いた穴を囲むように天使が浮遊していた。
銀髪天使が振り返り、開いた大穴に手を翳す。すると、光が結界の穴を補強するように集まり、あっという間に結界は元通りの姿を取り戻した。
『
一人の天使が近づき、当然の様に空中で跪く。それに続き、周囲の天使も皆膝を着く。
(――っ‼)
しかし、その姿を見て彼は息を飲み、周りの天使を一人ずつ見渡していく。
皆、ボロボロだった。
銀髪天使も彼と同じく各天使の姿を一瞥したのち、膝間ついている天使達に向き直る。
『
彼女は天使達に手を翳す。
すると、どうした事だろう。光が傷ついた天使達に降り注ぎ、その傷や鎧の細かな損傷さえも修復していくではないか……!
自分の身を癒すデタラメな神秘に天使達が驚愕していると、銀髪天使が口を開いた。
『
『
『
迷いの無い返答に、跪く
『……
“最期まで共に戦いたい”。言外に伝わるその意思からは、彼女への信頼の強さ。尊敬の深さが伺える。そして、
上下関係がしっかりしているのだろう。誰もが口を慎み、指揮官の判断を待っている。
『
微笑み、前に出る銀髪天使。
視線の先。下級の天使では感知できない位置で、大きな力が集結している。
無粋な輩が、天使が一箇所に集まるこの場所を狙い撃とうとしているのだろう。
禍々しいプラズマを放つその塊は徐々に膨張していて――
【――
呪文らしき言葉と共に放たれた熱放射。それは空気を焼き焦がし、轟音を響かせながら天使達へ一直線に迫る。
遠距離からの攻撃に、気付いていなかった天使達がシエラリアを庇おうとした瞬間。
彼女らの目前に――巨大な盾が、出現した。
『――
静かに紡がれたのは、第二の神秘。一振りされた手を中心に広がるのは、半透明の光盾。一見薄いガラスに見えるそれは、耐久力に不安を感じさせる。
――しかし、そんな不安は何のその。
ぶつかり合う熱の塊と光の盾。溶かし貫かんとする熱放射の全てを、光の盾は四方へ受け流していく。
空に浮かぶ巨大な十字架に、その場にいる誰もが目を奪われた。
訪れる静寂。
熱放射を完璧に防ぎ切った光の盾には、ひび割れ一つ無い。
『
小さくも大き過ぎる背中を天使達に向け、彼女(シエラリア)は最後の言葉を短く告げる。
『……
天使達は己に課せられた使命を果たす為にその場を離れていく。
一人残された。否、一人残った彼女は、剣槍を約5千の悪魔軍に向ける。
良い位置だ。熱放射で周囲の雲が吹き飛び、敵の全貌が手に取るように分かる。
『――
そして放たれたのは、二度目の極光。
だが、どうした事か。今回は先の半分程の太さに留められている。
「GYAAAAAA!?」
それでも悪魔にとっては絶望以外の何でもなく、眩い光を見た瞬間、恐怖に負けた者達が悲鳴を上げ、逃げようと隊列を乱す。
極光を放った張本人であるシエラリアは、その行く末をじっと見つめていた。
それは、何かを試しているようにも見える。
轟と唸りを上げて悪魔に迫る死の光。
『――!』
――それが、悪魔軍に届くことは無かった。
直進していた光は何かに弾かれたように、天高く…遥か空へと軌道を変え消えて行く。
シエラリアがその現象に目を見開くのは一瞬。まるで、そうなることが分かっていた様子だ。
スッと目を細め、睨むような…あるいは“敵を定めた”ような表情になり、先程はいなかった、悪魔軍の最前に浮遊している影を見据える。
――刹那、何の前触れもなくシエラリアの姿が掻き消えた。
ジェット機もかくやという風切り音の後、空気を揺るがす金属音が数秒遅れて耳に届く。
見れば、瞬間移動の如く速度で移動し、白銀の剣槍を突き出しているシエラリアと――
素手で剣槍の切っ先を受け止めている――古びた重鎧に身を包む何かがいた。
形状的には人間のそれだが、見るからに巨大。凡そシエラリアの二倍はあるかというボロボロの鎧からは黒い靄が溢れ出ている。
何より目を引くのが、肩に担いでいる大斧。ギラりと鈍い光を放つソレの全長は、シエラリアの身長に負けていない。
(コイツが指揮官……?でも――)
疑問がシエラリアを襲う。
このような異質、天使である彼女をして見た事がないからだ。
『……貴方は、何者?』
自分よりも遥かに大きい異質を前に、一歩も引かないシエラリアが問う。
「……」
しかし異質は答える素振りすら見せず――凄まじい膂力で剣槍を押し返した。
『――っ!』
剣槍を無造作に押し返され一瞬体制が崩れるシエラリア。その隙を逃さず、一切の躊躇なく振り下ろされた大斧が彼女の脳天へ迫る。
それを半身になるだけで回避したシエラリアは下がり、剣槍を握り直す。
『……いい度胸ね……!』
尾を引きながら流れる銀閃。瞬時に距離を詰めたシエラリアが剣槍を薙ぎ払う。
「――ッ」
その剣槍を大斧で受け止めた異質。力が拮抗し、ギチギチと互いの武器が音を鳴らす。
そして始まる、剣槍と大斧の乱舞。
剣槍が縦横無尽に閃き、数多もの銀線が異質に向かう。
その猛攻に対し、異質は大斧と素手で対応する。
瞬きすら許されない剣閃の嵐。その中で、異質は負けじと防御の合間に攻撃を織り交ぜていく。
山が降ってくるのではと錯覚しそうな大斧の剛撃をシエラリアは目視し、風に舞う木の葉の様に躱す。受け止めるでも、受け流すでもなく、ただ躱す。
大斧を避けられた事でがら空きになった異質へ、遠心力を活かした薙ぎを放つ。しかし、分厚い鎧は浅い傷しか許さない。
即座に踏み込み上段からの二撃目を頭目掛けて入れるが、それは翳された腕甲に防がれ、右手一本で振られた大斧を避ける為に距離を取る。
一歩も引けを取らない両者の戦いに、周囲の悪魔が時折魔法を放つが、全方向如何なる位置から攻撃したとしても剣槍の一蹴にて消し飛ばされる。
構ってられるかと天界の方へ動く悪魔もいた。そういった輩は一つの例外なく、極細の光が何処からともなく薙ぎ払われ、生命を絶たれた。
一撃で勝る大斧、連撃で勝る剣槍。防御で勝る異質の重装、速度で勝るシエラリアの軽装。
攻撃は入るが、決定打が生まれない。彼女がこれまでに対した何よりも、黒い靄を纏う鎧は硬い。
一撃必殺の大斧を片手で振り回し、鎧の繫ぎ目を狙った攻撃は必ず防ぐ異質の技量は計り知れない。
消耗戦の予感。短期決戦の戦闘スタイルを好むシエラリアは、確かな焦りを感じていた。
大斧の横薙ぎを海老反りで躱したシエラリアは、跳ね上がるようにサマーソルトを放つ。それは異質の顎を的確に捉え、爽快な音を響かせながら跳ね上げる。
だが、やはり決定打にはならない。脳震盪さえ起こさず体勢を立て直した異質は、シエラリアが立っている場所を見ず、しかし正確に大斧を薙ぐ。
『――くっ』
攻め切れないシエラリアは顔を顰め下がる。しかし、下がった彼女を追って異質が突撃し、怒涛の追い打ちを仕掛けた。
厄介な事に異質が大斧を振る速度は徐々に上昇しており、残像を残すシエラリアの動きにさえ、今ではぴったり付いてきていた。攻撃の回数も格段に増え、何度か大斧が掠った傷からは赤い血が滲んでいる。
いつ攻撃が直撃しても可笑しくない紙一重の回避が続き、彼女の焦りを加速させる。
「……ハァ―――」
着実にシエラリアの速度へ近づく自分の動きに、異質が感嘆するような靄を吐く。
だが、その“慣れ”こそが油断となり、命取りになる事を、異質は知らない。
『―――‼』
上段から放たれた袈裟斬りを、揺れる様に躱したシエラリアの目が驚愕に開かれる。
その視界には、これまでに無かった挙動で跳ね上がり、自分に迫る大斧が映っていた。
幾度となく攻撃を躱し続けたシエラリア。それが可能だったのは偏に、異質の攻撃が単純明快だったからだ。
横から来た攻撃は左に、上から来た攻撃は下に。フェイントもフェイクもない、力任せな脳筋戦法。だからこそ躱し続ける事が出来た。
だが、ここにきて、異質は初めてフェイントを使ってきた。
袈裟斬りを振り終わる前に大斧を切り返し、避けたシエラリアを追う。それは今までの、一撃一撃の合間に僅かな遅延のある『連撃』に比べ、避ける先を見越しての一撃。
予想外の攻撃にシエラリアの反応が一瞬――遅れた。
「グオオオオオオオオオオオ‼」
勝利を確信した獣の如く叫びと共に、異質が大斧を両手で振り抜く――!
コツン――……
「――オァッ!?」
鎧の奥から聞こえたのは、明らかな驚愕の声。
それもその筈だ。
攻撃を縦横無尽に躱し続けていた天使が。
自らの膂力を前に躱す以外の選択肢が無いと思っていた天使が。
自由で余裕のある両手を巧みに操作し、華麗な、卓越した槍捌きで…大斧を軽々と受け流したのだから。
“その攻撃を待っていた”と言わんばかりに笑うシエラリアは空中に踏み込み、強く拳を握った。合わせる様に剣槍から溢れた光が、その拳を包み込んでいく――!
異質は受け流された動揺により、全くと言っていいほど反応できていない。
『はああああああッ!!!』
気合一発。閃くのは、白銀の光を圧縮し幾段にも強化された破壊の拳。
その無慈悲な一撃は“倒す”という気があらん限り込められている。
銀痕引くそれは流星の如く。神速の域に達した拳は異質の腹部を捉え――銀色の光が硬い鎧を貫く。
『――あああああああああ!!!!』
そのまま、傍観者となっていた悪魔軍の中心目掛けて拳を振り抜いた。
胴体に大穴を開け、破裂の勢いも相まって空気を切りながら吹き飛んでいく異質。
シエラリアは剣槍を構えた。
『――
あの異質を塵すら残さない為、渾身の気合と共に三度目の極光を放つ――
彼女は、気付いていなかった。
一匹たりとも悪魔を後ろへ通さない。目の前に現れた異質をここで仕留める。それにばかり気を向けていた為、気付けなかった。目を向けなかった。
極光を曲げた犯人が、異質の鎧では無いという可能性に。
5千もいた悪魔軍の、下っ端の魔術師や召喚士を主とした構成に。
異質は囮であり、敵将が別に存在した可能性に。
何処かを攻めるという事は、最悪の想定の中でもその場所を攻め落とせるだけの戦力、戦略、切り札が揃っているという事。
最悪の想定。それは恐らく、四人存在する最高位天使が揃っている場合。
多少の想定外、予想外はあったとしても、押し通せるだけの“何か”が敵にはあった。
『――……』
今彼女の目の前には、巨大な至極色の“腕”が、空間の裂け目から生えている。
ぱっくりと、目蓋が開くように悪魔軍と天界の境目に裂かれた空間。腕の隙間から覗くその先は、闇。
数千いた下っ端の悪魔達は贄として捧げられ、巨腕の奥では数百もの召喚士が幾重にも重なる円となり、未だに冒涜的な詠唱を続けている。
その腕はシエラリアの放った極光を、簡単に、いとも容易く、正面から握り潰した。
極光を打ち消して尚、無傷の巨腕は掌を天に向け、極光を遥かに凌駕する力を球状に溜め始めた。収縮する闇。禍々しい魔力。空は光を遮られ、闇に染まっていく。
自分を凌駕する神の如き存在を前に、絶望や恐怖、初めての感情がシエラリアを駆け巡った。
腕が放つ力の大きさを例えるなら“月”、シエラリアは“地球”だ。
皮肉にも、絶望によって感情が抑制され、考えるべきだった事が今更になって頭に浮かんだ彼女は、自分の失態に押し潰されそうになる。
自分の責任だ。
目前で溜まり続けている闇は、最早一つの星。
天界には、シエラリアが行使する光の盾よりも強い結界が幾重にも張られている。それを数枚犠牲にすれば、或いはあの闇を防ぐことができるだろう。
しかしそれには、相応の被害を覚悟しなければならない。
――そんなこと、許せる筈が無かった。
他の誰でもない。自分が、自分を許せない。
自分の失態で天界が傷を負う位なら、自分の全てを懸けて守り切る。
それが、彼女にできる償い。自分が犯した罪に対する、贖罪。
責任からの逃げ。失態の隠蔽。そう言った見方もあるだろう。
しかし、少なくとも彼女は、部下の安全を誰よりも願い、天界を守る為に全力を尽くしていた。今、この瞬間でさえも例外は無い。考えているのは、自分以外の安全。
――果たして、誰が彼女を責められるだろうか。
三度目の極光と長く続いた高速戦闘により、光の輪と純白の翼は目に見えて分かるほど、当初の輝きを失っていた。それは、光――天使の力の源であるそれが、危険域に達していることを意味する。
天使がこの光を失えば、戦う事は愚か、自由に空を飛ぶ事すら出来なくなってしまう。
シエラリアは光の形容量が他の天使よりも少ない。そしてそれこそ、彼女が長期戦を不得手とする理由だ。
そして今、度重なる力の酷使により、彼女は光が尽きかけていた。
『主よ、我が愚行。どうかお許し下さい』
決死の覚悟を抱き、天界を庇うように羽ばたいたシエラリアは剣槍を両手で握り―――紡ぐ。
『――
全てを懸けた五重の盾。その盾は一枚一枚が大きく、天界の側面を覆いつくす程。一枚の盾が広がっていくのに比例して、彼女の光は徐々に消えていく。
そして、五枚目の盾が完成した瞬間。シエラリアの視界は“黒”に染まった。
闇が放たれたのだ。
衝突する光の盾と、闇の塊。
全方向に闇を受け流す光の盾は、修復を許さない速度で一枚……又一枚と割れていく。
熱放射を無傷で防ぎ切った無敵の盾だとは思えない程、簡単に、呆気なく割れていく。
――ピシッ
そして、五枚目に罅が入った。
残っている力は、後一枚分。これは正真正銘、最後の力。
これを失えば、自分は天使ではなくなる。
一瞬の葛藤。これまで積み上げてきた物、守ってきた物が脳裏を過る。
『でも、だからこそッ――!!!』
彼女は迷わない。自分のせいで、大切な物を傷付けられたくないから。
背中を任せた部下達の信頼を、裏切りたくないから――!
『は――あああああ!!!』
叫びと共に、シエラリアの身体から光が消えていく。
抜けていくのではない、消えていく。
(――届け、至れ、この瞬間だけいいから‼)
消え行く力を感じながら、それでも残る全てを盾へ注ぎ込み、押し返す。
最後の力を注がれた盾は、彼女の想いに応えるかの様に強く輝き――
――傷一つ許さず、天界を守り切った。
『……守、った……?』
シエラリアが落ちていると認識できたのは、空に浮かぶ天界が遠ざかっていくからだ。
その身体に光は宿っておらず、頭上の輪も消えていた。
飛ぼうとしても翼が石のように固まって動かず、大人しく落下に身を任せるしかない。
視線を動かす。あの“腕”がどうなったのかを確認するために。
『いない……』
空間の裂け目も、巨腕も、綺麗さっぱりその姿を消していた。
彼女は満足したかのように目を瞑り、落下に身を任せる。
――無意識に、天界へと手を伸ばしながら。
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