一話 白銀の夢
――それはまるで、深い眠りの中で夢を見る様に。実際にそこにいないかのような浮遊感、自由に動かせない身体と視界。極めつけは、見たことのない情景。
始まりは、どことも知れない雲上の世界だった。
ここはどこだろう?と辺りに注意を向けるが、広がっているのは一面の白、白、白。
等間隔に並んでいる雲の上に建てられた建造物。一つ一つに繊細で芸術的な紋様が彫られた床。ドーム状になっていると思えなくもない半透明の天井に至るまで、全てが純白。
(――綺麗……)
雪国もびっくりな銀世界。雲の下には何が広がっているのか気になるが――今は、それ以上に気になる事がある。
人が――飛んでいた。
背中に、広げれば大の大人二人分ほどの大きさはあるだろう純白の翼。頭上に少しイメージの違う厳つい光の輪を浮かせた――所謂、天使と呼ばれているだろう種族の一人が天高く舞い上がり、こちらに向かって羽ばたいている。
天使――幻想とは程遠い世界に住んでいた者には信じ難いが、“本当にいたら面白いな”程度には思っていた物。
明らかなる非現実。いないと解っているのに、何処か実現を望む自分がいた事を否定はできなかった想像。
故に、彼は意識の中で思う。
――なんて素晴らしい夢だろうか、と。
見た事の無い情景。見た事の無い種族。何一つ知らない、全てが未知の世界だ。
今見えている全てを忘れまいと記憶に刻み付ける。
“此処ではない何処かへ行ってみたい”
普通では叶うはずのない、そんな儚い願いさえ叶えてしまうのが夢という世界。
それは稀に、想像の域を越えた世界を見せてくれる。それが彼の楽しみであり、何もかもを忘れて没頭できる至福の時間だった。
未知の世界を見る。これ程までに心躍る事を、彼は他に知らない。
飛んでいた天使が、彼の――正確には彼女の目の前にゆっくりと降り立ち、短い金髪がさらりと風に揺れる。
そう、彼の目の前にはもう一人の天使がいた。
ふわふわと視点が動き、二人の顔がはっきりと見える位置へ移動する。有難い。
片や、ふんわりと煌めく金髪ショートヘアが眩しく、満面の笑みが咲く顔には髪と同じ宝石のような金色の瞳が嵌まり、背は大人一歩手前の高校生といった感じで高くも低くも無い。胸が大きく、つい目線が吸い寄せられてしまう。
片や、腰までを覆う銀髪にピンク色が鮮やかなガーベラの髪飾りを着け、大人びた雰囲気と幼さが相対する小顔を蒼の瞳が彩っている。スレンダーな体躯で、背は先の金髪天使より頭一つ小さい位。ふっくらとした胸は先方に比べ少し劣るものの決して貧しいわけではなく、十分に男の目を引く魅力がある。
“目を奪われる”とはこういう事を言うのか、と彼は理解した。
いつまでも見ていられる。そんな風に思いながら――視線を少しだけ下に向ける。
両者の服装は白いガウン一枚だけで、胸の膨らみが丸見えなのだ。防御力が非常に心配…なんて思いつつ、彼の視線は自然と豊かな双丘へと吸い寄せられていく。なんと素晴らしい絶景だろうか。
(――眼福眼福……)
と手を合わせる彼を差し置いて、金色の瞳を真っ直ぐ銀髪天使に向けてお辞儀する。
『
聴けば思わず崇めてしまいそうな――耳障りの良い声で話しかけてきた。
銀髪の天使が返事を返す。
『
挨拶を交し合う二人の顔には笑みが咲いていた。
仲の良い友達以上の、家族に見せるようなその笑顔に思わず又もや目を奪われてしまう。目尻の下がり具合から口角の緩み具合――造り物では?とさえ思う美しさに見惚れながら、彼は当然の絶望を思い知った。
(――言葉が……解らない……⁉)
夢なのに――夢なのに、彼女たちが何を言っているのかが全く理解できない。
自分の頭は言語を一つ作れるほど想像力豊かだったのか?それは誇らしくもあるが、解らない言語作ってどうするんだ…と、何だか悲しくなってくる。
『
“後輩”という二文字がしっくりきそうな金髪ショートの天使が「はぁ…」とがっくり肩を落とす。
『
銀髪天使が項垂れている金髪天使の頭を、慈しむ様に優しく、宥める様によしよしと撫でる。「
微笑ましいその光景に、彼ははにかむ口を抑えられない。
言葉は解らないけれど。
『
金髪天使を撫でる反対の手で、銀髪天使がグッと拳を握る。
『
『
『
銀髪天使が何か鼓舞する事を言ったんだろうか。金髪天使は迅速だった。
何かの言葉に反応しガバッと顔を上げたかと思えば、姿勢を低く翼を広げ羽ばたく。
バフンッ!という空気の塊が叩き付けられる音と共に半径50メートルの雲を吹き飛ばす風圧が発生し、ロケットの如く、一瞬というのも短い速度で飛んでいった。
(―――はっや…)
でも、あれだけ速く空を飛べたらどれだけ気持ち良いだろうか……。
『
遥か彼方に消えた金髪天使を見送った後、視点が移動を始めた。目の前では銀髪天使が鼻歌を口ずさみ、足取りは優雅にステップを踏むくらいに軽やかだ。
連なる建物の上に敷かれたレッドカーペットならぬホワイトカーペットを進んだ先に見えるのは、日光に照らされた眩く壮麗な城。
無駄に横幅の広い階段を上り、獣のように見える壮大な装飾の施された両開きの鉄扉(自動扉)を抜けた先。そこを一言で言い現わすなら、神殿だった。
壁に張り巡らされたステンドガラスが色鮮やかに内部を輝かせ、その奥には一段と強い光芒が一つの像を照らしている。
その像は天使たちと同じ光の輪と翼が模られており、意識しかない彼をして、言葉にできない神々しさ……
『
銀髪天使は像の前に跪き、両手を組む。
すると、彼の意識が像の前に移動し銀髪天使を正面から見下す形になった。
跪いている天使に光芒が差し、少し汚れていた衣服や体が清められ、光芒から降りた光の粒が天使の輪や羽の輝きを更に強めていく―――いや、“戻していく”が正しいだろうか。
神秘的で、幻想的なその光景を目にした彼は言葉を失ってしまう。神聖なその時には呼吸すら背徳的で憚られる行為である事を、直感的に悟ったからだ。
天使を照らす光芒が消えた頃には、光の輪はより強い輝きを纏い、翼は白すぎて光を反射し光っているようにすら見える。
彼の意識は銀髪天使の傍へ戻った。
『――♪』
立ち上がった天使がそれらを満足げに見つめ、上機嫌にくるり――と一回転した後、その場を後にしようと扉に近づく。
その瞬間だった。
揺れている事が目視できるほどの強い振動が発生した。
『――……っ‼』
明らかな異常に血相を変えた銀髪天使が開いている扉を潜り、即座に閉める。
(――な、何っ⁉)
彼も強い揺れを感じ焦燥感に包まれ、心臓をキュッと握られたかのような不安に違和感を覚える。
『
銀髪天使が声の方へ振り向く。
そこに飛んでいたのは白に金の装飾が施された
少し早口になっている様子から、こちらにも緊張と焦燥が伝わってくる。
『
全く理解できない長文が頭の中へ流れ込み、一単語も聞き分けられないまま報告が終わる。
『…
『
『
余りの高さに「ひぅ……」と情けない声が出てしまうが、そんなことはお構いなし。銀髪天使は大きく翼をはためかせ、最高点から下るジェットコースターの如く速度で移動していく。
目指すのは、戦闘が起きている方向だ。
◇◆◇
凄まじい速度で流れて行く情景の中。雲上の世界、“天界”で最高位の位階を授けられた彼女――シエラリア――は、前触れもなく訪れた異常事態に動揺しながらも思考を回す。
仲間や部下からは冷静沈着で知られた彼女をして、その顔には確かな焦りが見えていた。
攻めてきたという悪魔は欲に忠実な種族だが、決して理性が無いわけじゃない。
そして彼女は知っている。悪魔達の指導者は理性的かつ利己的な者であり、襲っても利益の無いこの場所を突然襲撃してくるような愚者ではないことを。
(どうして……突然……?)
故に考える。悪魔達が此処を攻める理由を。利益となりえる目的を。
『……!』
しかし、その思考は断念されてしまう。
前方から飛来する紅い光点。それに反応したシエラリアの左手には、いつの間にか白銀の剣槍が握られていた。
――ガキィン!!!
眼前まで迫っていたそれを目で捉え、難なく弾き飛ばす。速度を失い回りながら落ちていくのは、赤い毒のような液体が塗られた鉄の矢。
『……誰?』
シエラリアは攻撃を受けた方向を見据える。一見すれば虚空のそこに、一瞬光の揺らぎが見えた。それは姿を現さないまま、喉を締めたような聞くに耐えない下賤な声を上げる。
「ヒヒッ…流石は天使サマ。俺っちの不意打ちを弾くとは…あん――」
『貴方達の目的は何?』
「――ッ!?」
言葉を
そこに何かがいるのは明白だった。
「ま――」
『もう一度だけ聞くわ。目的は、何?』
“何故分かった”と言い終わる前に叩き付けられる濃密な殺気に、周囲の空気が一気に凍り付く。
巨大な怪物を前にしたような恐怖、死神に鎌を突き付けられているかのような絶望、生と死の狭間。
言わなければ殺す。そう思わせるには少々―――度が過ぎる殺気だった
透明化の魔術を維持できなくなったのだろう。滝汗を流しながら胸を押さえ、絶望に顔を歪めている上等なローブに身を包んだ悪魔がシエラリアの前に現れた。
どう見ても、正常な思考ができているようには見えない。
外見からは想像もつかないほど容赦のない彼女に、若干引くような気配がしたが気のせいだろう。
「た……たた――助けて……」
悪魔は涙を流しながら助けを乞い、意識を保っていられるのが不思議なほどに痙攣している。これでは喋る事すらままならないだろう。
『…口数は、もっと減らした方がいいわよ』
シエラリアは鋭い目つきのまま呆れ混じりにそう言い捨て、殺気で動けなくなった下っ端悪魔の脇腹へ、見事なミドルキックをかます。
対象は体をくの字に曲げながら吹き飛び、彼方下界へと消えていった。
その行く末に一瞥もくれず、シエラリアは再び羽ばたく。
(――無駄な時間を食わされた)
遠く結界の外で、天使達が悪魔の軍と空中で戦っているのが見える。
先程の透明悪魔は結界無効のローブを着ていた。恐らく他にも侵入者はいるだろうが、それは避難を任せた
都合悪く、シエラリア以外の最高位天使はここにいない。それぞれが与えられた使命を果たしている最中だ。
故に、頼られるのは当然自分であり、この場の責任は全て自分が受け持っているといっても過言ではない。
(――そう…いえば…)
ふと、シエラリアは気づいてしまう。
そういえば、つい先程見送った
胸騒ぎがする。
不安を掻き消すように、シエラリアは剣槍を前に突き出す。そして紡ぐのは、主の残した器と自分を一体化させる為の奇跡。
『――
彼女がそう唱えると共に光を放つ剣槍。その輝きはまるで、“待ってました” と言わんばかりに眩く、力強く。光となって彼女に降り注ぐ。
その光は瞬く間に形を変え、純白のガウンに身を包んでいる彼女を覆っていく。
決して全身鎧とは言えないが、重要な部位は守られている白銀のバトルドレス。
防御より動きを重視しているのであろうそれが、見た目以上に主を守る力を感じさせるのは気のせいでは無いだろう。
鎧にばかり目が行きがちだが、剣槍にも変化が起きていた。穂先に黄金の刃を纏い、柄が少し伸びているのが分かる。
『――
そして、白銀の閃光が咲いた。
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