第74話

・・・




きぎし うて


きぎし うて



天上のオモイカネさんの声が、地上の反射と重なり合って


やまびこのように行ったり来たりしてるよ。




わかりました わかりました わかりました ・・・・




あれ?これって?女の声が混じってる。



わかりました 


わかりました 


わかりました 



オモイカネさんの投げつけた固い石つぶての、言霊の隙間を縫って、女の声が何か言ってる。



  されど


  かつらぎ


  えいち


  つらぬかん


  きぎし(雉)


  うつな



結い上げた髪には襷(たすき)、紅花染めの大袖に沙羅の衣が出雲の大社(おおやしろ)の長い階段を上りながら衣擦れさせていく、澄み切った古事記の空にたなびくもの。



いまこの時、ひとすじのつじつま(辻褄)が天上と地上とを紡いでる。



思わず俺は見返す、葛城高天原の岩窟の石(いわ)戸を。いつのまにか、半分空いてた。ということは、ついにアメノウズメさん、見えないけども多分、あまのじゃくになって高木の下まで出てきているんだな。


「きぎし、うつな」の言葉・・・


オモイカネらの説得に与せず、そう言ってついにあまのじゃくは古事記の記述に反旗を翻したのだ。アメノワカヒコであるアジスキノタカヒコはこれで返し矢に当たることはなくなった。こうして古事記は「雉の使い」の段が塗り替えられ、この時点から末代にいたる古事記の記述すべてがドミノ式に葛城王朝を礎として塗り替わっていくのだな。長かったこのストーリー、やっと日本海側の出雲から大和葛城へと続く確固たる歴史の虹がかかり、同時に遠く諏訪の湖底までのまっすぐな街道が敷かれたというものだ。


俺は見回した。しかし声は聞こえども、あまのじゃくとおぼしき姿がどこにも見えないのが気になる。


「ああ、そういうことね」


俺は無理に独り言ちて、納得してみる。今を境にして、この日本という国家の始まりが大和王朝から葛城王朝へ完全に塗り替えられてしまった。つまり葛城の大王であったアジスキノタカヒコは生き残るけれど、古事記での大和王朝天孫族と称されたところのアメノウズメさんの存在は退出されてしまわれたというわけなのだろう。というよりも、古事記そのものが別の古代文献と入れ替わってる可能性の方が高いのかな。


しかし、だからといって悲観的になる必要はないさ。ここに来るまでいろんなことがあったけども、なんとか3人してタケミナカタのミッションを成功裏に収めたのだからな。そのタケミナカタ本人は、なんとまあ自ら発進したミッションに背を向けてしまったとは嘆かわしいものだ。いまごろ、天空の諏訪湖底では多くの国津神たちが徒党を組んで、穂高連峰のいただきに向かってクーデター計画の評定をしてるのだろうか。まとめ役は、きっと国津神に仕切りなおされたタケミカズチあたりがやっているのだろう。こうやってこの日の本の津々浦々の神々が太古の土着と習合エナジーを取り戻していき、古代中臣軍団に乗っ取られた日の本に幻滅することもなく、意欲を持って前進していけるのではないだろうか。まず己自身を知ってからスタートしていくことを歴史の中で学んでいって欲しいと中学校の先生に教えられた記憶があるが、いままさに俺はそれを体感してる。そしてこの長かったこの旅も、ようやく終止符を打つことができたようだ。



俺は仁王立ちしたまま天上を仰いだ。短くてもいいからもし残り時間があるのなら、シネマのエンディングロールのように逆戻しにコマ送りにしてもらって、これまでの出来事のいくつかの場面をジオラマ情景で上演してもらえるとうれしいのだがな。空いっぱいのスクリーンを見上げながら、しばらく感傷にひたってみたい。それが終わったら、俺のからだは名古屋駅前の、あの暗くて長い地下道にでもきっと戻されるのだろう。でもそこにはもう、アメノウズメさんはいないのか。アメノウズメさん、ずっといっしょに旅してきたけど、なんかまともに話してこなかったことに今さらながらに気づいた。


・・


梢にまだ残っていたのだろうか、1枚の高木の桂(かつら)の葉っぱがくるくるとスクリューしながら俺の鼻先に舞い落ちてくる。甘い香りが鼻腔を衝いてきたぞ。これってまさか、枯れ葉の匂いなのか?枯れ葉の匂いなんて嗅いだこともないけど、いい臭いがするな。


スクリューしながら、地面の夥しい落ち葉と静かに重なった。とその時、地鳴りのような咆哮が耳をつんざいた。瞬間、目の前が黄色に暴れまわったかと思いきや、真っ黄色の桂の絨毯が甘い香りといっしょに、のぼり龍のトルネードとなって空高くに駆け登っていった。



  アジスキノタカヒコさま


  さいごのや(矢)


  いころ(射殺)し


  なさいませ



「えっ?」


俺は耳を疑う。目の前のアジスキノタカヒコ、その女の声に違わず、最後に残されてた1本の矢を抜いて一尋をゆうに超えるその大きな弓の弦に当てる。天上に向かって弦を深く引く。全身の筋肉がしなって硬くなる。強靭なベクトル、構える彼の矢先でぐっとこらえている。そこに声が降りかかる。



  てんじょう


  ふきつ


  いころ(射殺)し


  なさいませ



・・天上の声が不吉だから矢で射殺してしまいなさい?それってどういうこと?女の声だし、まさかアメノウズメさんの声?「雉(きぎし」の使い」塗り替えミッションはもう終わったのだよ。アメノウズメさんよう!最後の最後にきて、なに血迷ったこと言ってんだい!



狙う矢の先、その延長線上の天上の襞がみるみるスキャンされていくのがわかる。年末紅白テレビ放映目玉となるだろう8k顔負けのクリアな天井絵図が現れてきたし。いったいなんだ、この映像のようなものは。欄干越しのオモイカネさんとタケミナカタが後方に少しずつフェイドアウトされていくよ。その代わりにこれまで後ろで小さくなってたひとつの男らしき残影がどんどんとズームアップされてきたな。8kといえども、小さな被写体がこれだけズームされると靄がかかってて顔かたちがまるっきりわからない。あの残影のうしろでぼんやり遮光を発してるのはよく見ると八咫烏だな。イワレビコの軍勢も見える。しかしやつらは仕切り直しの古事記で、アジスキノタカヒコ演じるナガスネヒコの射る矢によってすでに滅亡したはずだし。


しかし許せないのは土蜘蛛に対するあなたの裏切りだ。お姉さまが何者かに殺されたあと、土蜘蛛の要塞やら隠れ岩窟やらの場所の情報をやつらイワレビコに売ってしまったがために、田畑(でんばた)の略奪と大量虐殺が行われたんだったよな。ひょっとしてあなたは、天孫の祖であり、葛城の祖でもあった、そして古事記にはでてこない名もなき巫女の弟でもあったという、タカミムスビだったのではないですか?ありえない話だけど、そう考えるしかないよ。


天蓋の、青垣に点在する茅葺の集落からは土蜘蛛たちの朝餉が立ちのぼっているよ。まだ土蜘蛛退治のなかった、お姉さまがいたころの、静かで穏やかだった大和の地。東方の三輪山の麓の纏向(まきむく)に、城壁に囲まれた堅牢な高楼が映し出されてきた。そこの高楼の床からひとつの梯子が据え付けられている。高楼を支える高床式の四隅の柱のうちのひとつ、その陰にあなたは息をひそめて身を隠していた。そしてお姉さまが降りてくるのをじっと待っていた。



  かつらぎえいち


  つらぬかん!


女の声が轟いた。と同時に、柱の陰から男の残影が梯子をめがけて飛び出す。男の剣が梯子に達した。その刹那、真っ赤な血しぶきと女の声が、宙の上を引き裂くようにほとばしっていった。


 いまです!


   や(矢)を


    はな(放)ちなさい!



高木の下からアジスキノタカヒコの矢が放たれ、気づいたときには、天上の男の胸はすでに射抜かれていたのだった。


・・・


我にかえると、岩窟の石戸は固く閉ざされていた。雉の姿も、アジスキノタカヒコの姿も消えていた。木枯らしがやってきて、なにごともなかったかのように頭上の枯れ枝をさっきから揺さぶっている。何かとてつもなく重大なことを見落としているような不協和音が、俺の全身を包んできていた。










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