第72話

言の葉、静かに、消えた。女のむせび声のような、頭蓋の残響はここでフェイドアウトしていった。俺は高木から離れようと、10mほど先に見えるいかにも重く閉ざされた石(いわ)の戸のところにまで歩こうと足を動かす。しかし足踏みをしてるだけでいっこうにからだが進んでいかない。あの石の戸にたどり着くのには何十年もの気の遠くなるような年月がかかってしまうように思えた。


「おうい・・」


仕方なくその石(いわ)戸にむかって呼びかけてみた。しかしその「おうい」は俺の前歯のところで引っかかったままゆらゆら浮かんでとまってしまってる。空気の中を音声が伝導しないとは。初めて体験することだし。で、俺はここから動けないのか。ということは、今宵はこの桂の根方で野宿する羽目になってしまったようだ。おもむろに枯れ葉の敷き詰められた地面に大の字になってみる。漆黒の大円蓋にこぼれた墨汁を、手を伸ばして拭い去ったら、いくつもの切込みかがスリットになって見えてきた。小学校の時に見た、お菓子の空箱の中の暗い宇宙さながらだ。しかしそこには、遮光のさざ波のようなものがあったはず。思い出したぞ、あれはピンホールカメラの実験だったかもしれない。


遮光が角膜をやさしく撫でる。さやさやと柔らかな水音たてながら。足裏、三澤の郷(さと)での斐伊川の冷たい感触、よみがえる。もの言えない垂仁帝の第一皇子ホムツワケ、いやあの場面は、アジスキノタカヒコの声だったな。言の葉となって、ついに、この世の、人々の面前で飛んだ。「かわ、き、くさ、やま」のつぶて。そのあとバスに乗り込む直前、俺に飛ばした「逆上なのです」の、文節となった言の葉のつぶて。


・・さいころいわ、きゃばくら、ぎゃくじょうバス、やまたのおろち、たまつくりおんせん、たたらぶみ、あめのむらくものつるぎ、いずものおおやしろ、


それと、


かっぱ、やまめ、しおじりとうげ、おけだいこ、のうがくつちぐも、いなさのはまかみありつき、よわめのみこのへん・・


息継ぎもできないほどの夥しい場面のジオラマが点滅しながら現れる。そう、結局俺の逆上についてはこのストーリーは放置したままで、アジスキノタカヒコ主人公の逆上という、3人旅がらす劇場ストーリーだったのだ。コマ割りの場面ごとにそれが順番に現れた。ひとつひとつのジオラマが回転覗き絵となりながらも、時系列の文脈をつくって帯状に流れ出てくるのが見える。それは、多分、やつひとりだけが持つ「逆上」のうねりなんだろうな。


ストーリーの出だしのところで偶然にも見かけた、暗い廊下でのサルタヒコのお面との対面があった。しかしそこに始まったストーリーはいつだって、あのアメノウズメさんがすぐ俺の隣で関わっていたような気がする・・アメノウズメさん、あの重たい石(いわ)の向こう側の岩窟でひょっとしたらだけど、アジスキノタカヒコよりももっと前の古代からずうっと、ひとりきりでいるのかもしれねえな。アメノウズメさん、俺らの想像をはるかに超えたとてつもない逆上を、実は裡にひそめていたりして。それもありうる話か。だっていつだったか、オモイカネさんからアメノウズメノミコト(天鈿女命)という天津神の名前をもらうまえの、彼女のそのほんとの名前と存在は、中臣らの古事記編纂によって、きれいさっぱりとこの日の本の文献による記述から消されてしまったと言ってたからな。


気づくと、長かったストーリーの覗き絵も、ここにきてそろそろ終わりをつげるとでも言うかのように、コマ送りの速度がゆっくりしてきた。もうじき、あの回転コマも静止するのだろうか。そうすればこの長かったストーリーも終わる、のか。さきほど交わした、アメノウズメさんとの、言の葉のぶつかり合い。それが、今になってとても愛おしく感じるよ。俺の頭蓋の内側に映って、言の葉の文脈が流れて見えてくるよ。ひらがなと漢字まじりの文字がずらり、古事記よりもわかりやすい逸文、見えるよ・・


・・・葛城族の叡智のもとに、出雲族と葛城族はここ大和葛城の荒れ地を、出雲の千丁の鋤(すき)で耕して、陸稲だけでなく水稲も始めておりました。しかし大和にやってきた急進の安曇族一派が、何やらはかりごとを巡らせました。そのはかりごととは、これまでの開墾されてきた田畑(でんばた)を略奪してしまい、それを口分田と言う名前で、まつろう(服従する)良民に分け与えていくことでした。そうして盤石なる新しい王朝の礎にしてやろうというものでした。さらには出雲と葛城連盟が、武力で抵抗してこられないように、千個の剣を供出するように迫りました。そうやって丸腰にさせた状態で、略奪と殺戮を敢行すれば、この日の本がまるごと自分たち安曇族一派の手中におさまるという筋書でした・・


・・なるほど、と逸文を読み終えてから俺は思った。だから、かつて出雲からはるばる纏向の地に呼ばれたというその巫女は、武器を交えないという古代葛城の叡智を掲げて「剣はどこにもない」と虚偽の返答をしたわけなんだな。しかし巫女の胸の裡にあったのは、憶測通りに安曇らがかんか(干戈)に訴えることがあった場合のことを考えて、夥しい銅剣の武器を隠密に出雲のたたらに工房に命じて用意しておいたのだった。そして出雲と大和の5か所の土手下に埋め隠した。安曇一族の略奪殺戮が起ったらすぐさま、安曇族らを逆に5か所の武器で包囲してしまい、迎え撃つというわけだったのだな。これってたしかに隠密事、巫女の弟であろうと、また巫女の伝令役であろうと、決してその者にも漏れてはならない、守る側の奇策中の奇策といえるな。


しかし、それにしても神武の軍団を偵察に行ったという巫女の弟?という人物とは何ぞや?このストーリーもせっかく終盤にきたというのに、なぜかここにきて唐突に得体のしれない頭を出してきたものだ。蛇足のように末尾にまとわりついて、忌々しい。


俺は大の字になったまま、両手を高く伸ばした。届いた天井の中に手をつっこんでかき回す。そしてとまるのをじっと待つ。そしたらこのストーリーのエンディングとなるジオラマが垣間見えるのではないだろうか。しかし・・・天井のまんだら模様はとまるどころか、ますますスピードを上げて高速回転へとギアをシフトアップしていくよ。なんてこったあ。しかし投光された回転軸のズレたとこにに、すこしずつ、何かの形が浮かんでくるよう。


ジオラマだ。何の形か?俺の疑問詞に連動するかのように、そのジオラマはズームアップされてきた。ピントあわせするのにレンズが行ったり来たり四苦八苦しながらも、きれいにぴたりとまった。見覚えのある紫錦糸で編まれた誇り高き亀甲柄の長い柄。ああ、アジスキノタカヒコの所有物であるところの十拳剣ではなかったか。


ここまでのストーリーによると古事記のヤマタノオロチの段が塗り替えられたことで、戦国末期につくられた玉鋼の剣が古代に遡ってアメノムラクモノツルギとなって創出され、さらにそれを古代出雲でタケミカズチが出雲大社の200メートルもの長い階段に落としていったことで、その剣は古代日の本の大王(おおきみ)が持つされたフツノミタマノツルギともなったのだったよな。しかし、なんでいま、フツノミタマノツルギがズームアップされる?そういえばアジスキノタカヒコの姿が見えてこないぞ。そうか、やつは十拳剣をどこそこら辺にでも置き忘れたまま、きっと今もまだ洞くつの底で、葛城の首と胴体をつなぎ合わせるのに必死なのだ。


フツノミタマノツルギといえばたしか古事記にあったな。イワレビコ(神武天皇)東征で、ぐるりと熊野方面から再上陸して大和征伐に入って危急のピンチの際に天上からイワレビコの手元にその剣が下ろされたというシーンがあったよな。いやそれだけではないぞ、地上を照らして東征の道案内をするという八咫烏(やたがらす)も天上から送り届けられて、イワレビコの握る弓のてっぺんにとまったよな。神武天皇の描かれたあの有名な絵を俺は思い出す。太平洋戦争のときにおいては、神武天皇の八紘一宇の詔勅(みことのり)として重宝された代物。その八咫烏からは旭日旗のようなまぶしい陽光が天地を突き刺すようにひかり跳んでいた。それを目前にして農耕にいそしんでいた大和土着の民らはことごとく殺されていくのだった。


土着の民の土蜘蛛殺しこそが尊い大義だったのが誰もが認める史実。安曇族一派の、誇り高き殺戮者としての血潮を、我のDNAは掻き立てられてしまうのかもしれんな。残念だけども。


しかしなんだな、こうやってイワレビコを天上で鳥瞰しながらサポートしてたのが、何を隠そう、葛城の祖であったタカミムスビに仕立て上げていたとは、いやはや古事記編纂当局の策略も隅から隅まで、徹底管理さtれたものだったのだな。



「おおきみさまの、つるぎが、ぬすまれる!」


声が聞こえてくる、子供たちの声が・・・

漆黒の円蓋に、何の刺繍も施されたない帳(とばり)がせわしく下りさがうと、等身大となったその剣だけが舞台の床の、小さく当たった電照の枠内で、ぽつねんと置かれたままでいるよ。


「おおきみさまの、つるぎが、ぬすまれる!」


まるで何かの台本でも読んでるかのようにして、またしても子供たちの朗読が聞こえる。それってナレーション?誰かを懸命になって呼んでいる。子供たちの声が場内にずっと残響する。空白が生まれ、一呼吸あって、帳(とばり)の上段に電照が投影された。なんおためだろ?この題目の見せ場?緞帳(だんちょう)に照らされてたのは人の、大きな手だった。それが影絵となって映し出され、今まさに、剣を奪わんと指先が蠢く。


その指先とはタケミカズチか?いやいや違う。稲佐の浜での決闘の段が塗り替えられて以降、国津神になった彼は今、諏訪湖底の天空にいるはずだし。ということはその奪い取ろうとする手は・・。いやその先は考えたくない。古事記にそのような記述は一切なっかたし、やはりありえないことでしょ。古事記の記述外の状況が目の前の舞台で進んでいる。しかし、葛城の祖が敵方の殺戮王イワレビコになびくなんてことは、金輪際、ありえない話でしょ。


「おおきみさまの、つるぎが、ぬすまれる!」


子供たちの声が脅迫してくる。思わず天を仰いで俺は問いかける。この今、諏訪湖底から鳥瞰されてると思われるタケミナカタさんよう!あなた、まさかこの展開の裏側を、見て見ぬふりされようとしてるのじゃないですよねえ!


・・・影絵の、気持ち悪い食指が、とうとう舞台の床にまで伸びてきたよ。この状況を阻止できる誰かはいないのかい。誰かの出番が、ここの台本にはないのよう。ああ、おおきみさまの、つるぎが・・・


「ぬすっとぉ!」


会場を引き裂く女の声が大口径のピストルのように、めいめいの額の頭蓋を射抜いていった。すべてが凍り付くように時間が固まった。その刹那、舞台の影絵の手はびっくりしてはね飛び、あわてて逃げ去っていった。どこを見回しても先ほどの手の影は見えなくなっている。


張りつめてた場面から胸を撫で下ろすように、舞台裏から小学2年の子供たちのナレーションが声をそろえて、客席をほぐす。


・・・殺されたまま岩窟に閉じ込められてた卑弥呼さまの声を聞いて我に返ったアジスキノタカヒコのおおきみは、ぬすまれかかった剣を大事に手に持って岩窟の石(いわ)戸の前に現れました。アジスキノタカヒコのおおきみであるところのナガスネヒコさまのうしろには、蜘蛛塚に埋もれてた、千人もの兵士が隊列をつくっていました・・・


そう読みながらナレーションは幕の間をつないでいる。どうやら緞帳の向こう側では大急ぎで舞台道具をセットしなおしてるようだった。次の古事記の場面はどこになるのかしらん。このストーリーはどんどん時代をさかのぼらせているようだから、予想するのも困難だし。


いや、様子がどうもおかしいぞ、そうではないな、またしても閉じられたままの緞帳の表面に、今度は総天然色の大きな画像が天井から投影されてきたぞ。なんだ?風景の中の人物画だぞ・・


なんとまあ、あれは神武帝の弓の先に留まったといわれる八咫烏の光り輝く絵ではないか。はあ?ここの小学2年の学芸発表会、いったいどんな台本を使ってんだい?今時、軍国主義を礼賛するこんな画像を一般大衆に拡大して見せてしまうなんて、校長さんよう、大丈夫かい。文科省のお役人さんたちよう、許しておいていいのか。


ナレーションは続く・・・ナガスネヒコさまは、持っていた2本の矢から1本の矢を抜き取りました。そして弓に当てると、八咫烏に狙いを定め、大きく矢を引きました。弓がぐいんとしなったかと思うと、放ったその矢は八咫烏の胸深くにまで刺さりました。すると羽根が激しく飛び散り、金の粉が宙を舞いあがりました。イワレビコとその兵たちは金の粉を吸い込んでしまうと、みるみる正気を失ってしまい、その場に倒れて二度と目を覚ますことはありませんでした・・・


・・これまで垂れ下がってた幕がおもむろに上がりだす。目の前には見覚えある高木(桂)の生える庭が広がり、古代葛城王朝の高楼と、岩窟の石(いわ)戸が佇み、静かな朝を迎えていた。

・・・ということは、ここは・・。ついにというかやっと、というか。天空の諏訪湖の湖底からタケミナカタが、アジスキノタカヒコ(阿遅鋤高日子根神)とアメノウズメ(天鈿女命)に対して出したミッションの行き先場面、古事記は「雉(きぎし)の使い」の場面に来たというのか。


俺は固い大地を踏みしめ、足を前に踏み出した。



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