第71話

「あねうえ さま わたし いく」

「・・たかみむすび いずこへ いく」

「われ いわれびこ(盤余彦) ひきいる(率いる) あずみぞく ていさつ(偵察) いく」


・・いわれびこ?それってひょっとして、神武天皇のことではないのかい?天孫降臨で大和土着の民、土蜘蛛らを一斉に打ち平らげて、畝傍の橿原に宮殿を築いて天下を治めたという初代天皇。ということは、ここはとうとう古事記は天孫降臨直後の東方征伐の場面までさかのぼってきたということなんだよな。しかしそれって西暦300年ころ?それとも西暦400年ころの話?日本史教科書に文章の綴ることのできない、うやむやにされたままの日本創生期。中臣一族に古くから伝わる伝承のことごとくをもみ消され、歪曲させられた空白の200年間だったな。その「謎の4世紀」といわれてるところに今、俺は立ち、目の当たりにしているのか。これはスリリング。もっと、もっと耳をすませよ、おまえ。そしておまえの持つ第六感とやらを研ぎ澄ませてみせろよ。


そういえばアジスキノタカヒコのやつ、参道入口の蜘蛛窟の地中深くに行くと、そしてしばらく暖をとるのだと言ってたが、あれきりなかなか戻ってこないな。ぐっすりと寝入ってしまっただろうか。いやもしかしたら雄略帝らに斬首され、分断されたところの夥しい首級と足と胴体とを手探りしながら、一体ずつせっせと継ぎ合わせているのかもしれないな。そうやって古代葛城土蜘蛛たちの息をいくつも吹き返しているような気がする。


・・・うーん、なるほど、やっぱりあそこに見える岩窟だ。床と天井、岩を穿(うが)つ水音が、しかしここにきてとまったから。おっと、石の戸の隙間から風がそそくさとぶっきらぼうに吹き出してきたし。そいでもって、おうよ、まるで韋駄天(いだてん)のように急いで東方へ飛んでいったな。そうか、神武東征の安曇一派が宇陀の土蜘蛛を皆殺しにしたばかりの昨日の今日だったからな。しかし神武の陣地へ偵察に行くにしては、足で雲を掻き蹴散らして常軌を逸してる。如何にも不自然だ。神武のもとへ、銅剣の所在がつかめなかったとでも報告しに行くのであろうか。いやあ、しかしやっぱ、それはないでしょ、だってもしそうだとしたら、弟らしきそいつは、間諜(スパイ)ということになってしまうからな。


そしてあとに残った静寂、満たす、どんどん押し寄せるようにして。おいおい、飽和を越えて夜の暗闇がぎゅうぎゅう膨らんでくるし。前触れなくそれらが顔面と身体もろもろの細胞すべてに騎乗してきたし。息苦し。剥きだした皮膚たち、ぎゅっとわしづかみにされたまんまで、容赦なく責めてくる。痛すぎて心地よい?今、俺の皮膚の表皮の下側、幾つも層が生成され、襞が研ぎ澄まされ、覚醒されてる。


・・きっ、きっ、きっ、


石(いわ)と石とをこすり合わせる残響が、その塞がれた石の戸の奥から顔面を刺してくる。痛い・・


そうか、俺は両腕をぎゅっと脇にしめ、高木の横でひとり木枯らしの寒さに打ち震えていたのだ。しかしなぜか、全身が震えて止まらない。震えは徐々に広がってくる。直立の俺の身体は大きく波打つようにして、下から上へと、おじぎするようにぐらんぐらんと揺れてるよ。はあ?俺はどうした?頭はたしかに覚醒されてるのに、身体の方が気迷いに罹った(かかった)別人のよう。


あの石の戸の方から女のすさび声が聞こえてくる。いや、誰かが何か、丁寧に吐露いるのだ。アメノウズメさんが言ってた言霊(ことだま)飛ばし?刻まれた言の葉、それが一枚一枚千代紙のように丁寧に折り畳まれて、高木の幹の輪郭を沁み込んでいく。そっと手のひらでその幹に合せる。


手のひらの中、耳の奥、奥の歯と歯で、丁寧に噛み、かりんっと割る、その時沁みる、

頭蓋の内側を、こだましてる、言の葉と言の葉が。ぶつかり合う。


・・・みもも いそ あまり やぁ (358本の) どうけん(銅剣) 


おのおの いつつ どころ(5か所) かくした


 おんみつ なれば たれも しらせず たとえ おとうと いえども・・・



「なぜ、銅剣、隠した」


・・・せんちょう(千丁) すき(鋤) いらない つるぎ せんほん ほしい あずみら いいぶん


  われ ない こたえた かつらぎ  えいち つらぬくため



「銅剣、隠して、なかった」


・・・いな かくした いずも やまと ともに かくれでんばた どてのした


  おんみつごと だれも おしえてない われの でんれいやく おとうと おしえてない



「また聞く、なぜ、銅剣、隠した」


・・・おとこ おう たてば また わこく かんか(干戈) まじえ みだれる


  いずも かつらぎ たたらてつ やまつち ひらく ものなり


 なれど あずみらが われら たぶらかす やもしれず

 

   しかれば かんか やむなし


あずみら かこみ いつつ どころ どうけん だして むかえうつ



「そうだった、のですね、で、あなた、アメノウズメさん、でしょ? オモイカネさん、によって、国津神から、古事記の天津神に、引きあげられた、そう、言ってた、よね」


・・・よく おぼえてる のね


 

「あなた もともと だれ ですか」


・・・われ ・・・われ いない こじき でてこない けされた おんな



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