第70話
・・・おかしい、暗いぞ。ここは夜なのか?つい今しがたまでの朝はどこへ行った?雄略帝の夜討ち朝駆けによって葛城王朝が滅びた朝はどこ行ったのだ?バリバリと音を立てて降り注ぐこの火の玉のつぶて、葛城の天守閣炎上からのものなんだろうか。あれ待てよ、目の前で死んだはずの共命鳥が消えているし。それだけじゃない、葛城円(つぶら)も消えてる。
火のつぶてはぶつかり合いながら桂の梢に降り注ぎ、枯れた葉っぱの何枚かがじりじりと炎をあげて燃え始めた。その一枚一枚が宙に舞いながら暗い空に吸い込まれていく。桂は高木の傍、ひとつの人影、映る。・・・アメノワカヒコ?それともアジスキノタカヒコ?真正面から俺を見てる。俺は一歩近づいて、顔面に力を入れて口角を上げる。アルカイックスマイルならぬブラックスマイルをつくってみせる。するとおまえの方からは、両腕を俺の方に差しだして、何かを見せてくる。片手には弓、もう片方の手には2本の矢を握っている。なるほど、タカミムスビから授かった弓と矢か。ということは、おまえはアメノワカヒコなんだな?稲佐の浜でおまえが握ってた矢の数は3本だったはず。なるほど、残ってる矢が2本ということは、おまえがあの共命鳥を射ったということなのかな。しかも地中深くから。西暦300年の断層面から西暦450年の弱目王の変にまで、あの矢が飛んだとは恐るべしだな・・俺は声に出してそれを問いただそうとした時、アメノワカヒコがこれまでの神妙な顔を崩し、急に口をすぼめたかと思いきや、この場の状況にふさわしくないエキセントリックな変顔をつくって見せてくる。
「あまのじゃくさんに、あの鳥の鳴き声はたいへん不吉
ですから、射殺しないませと言われました」
「そうでしたか。そしたら古事記の記述通りのことを、
女中に化けた天佐具売(あめさぐめ)というあまのじゃくさんはあなたに言ったのですね」
「私の放った矢は、ちゃんと鳥に命中したのでしょうか」
「ええ、あなたの矢はちゃんと鳥に命中しましたよ、
そう、あなたのずっと末裔の大王(おおきみ)であられた、
葛城円(かつらぎのつぶら)のすぐ目の前でね」
「つぶら?わたしのまつえい?そうでしたか、命中しましたか。
矢を放った瞬間、何も見えなくなってしまったので・・」
俺は迷った、射られた鳥が古事記の雉(きぎし)でなくてよかったということを、ここで言ってしまおうか言わまいかを。もしもあれが雉の使いだったなら、あなたは雉を射抜いた後で天からのタカミムスビの返し矢に逆に射られて絶命し、そうなると古事記は何一つ塗り替えられずに終わってしまっていたのだと。そうか、きっとここは古事記の原風景に来ているのだ。今度こそ、高木にとまった雉をおまえがその矢で射抜いてしまったのなら、その時点でこのストーリーのなにもかもがあえなく終わってしまうのだろう。
「ふふふ」
向こうの木陰から女中らしき女性が立たずんでこちらを見ていた。にこりと笑みを浮かべて小さく挨拶をする。恥ずかしそうに姿を現す。なるほど、この女が古事記に出てきたというあまのじゃくなのか。へえー、顔はまるっきり、アメノウズメさん丸出しじゃないか。一夜の情事のあと、夜明け前までのあわただしい時間帯だっただろうからなあ、合掌の館から稲佐の浜へ行くまでに鏡台に向かっての変身メイクの時間がみつからなかったのかな。
「ふふ、あなた、アジスキノタカヒコにまたもどってしまわれたんですね」
はあ?その言葉を聞いて俺は思わずアメノワカヒコを見遣る。然り、あの縄文顔したアジスキノタカヒコに戻ってしまったようだ。男もその指摘に驚いて自らの服をきょろきょろ見たり、思い出したように自分の顔を手のひらでぎゅうぎゅう触ったりして確認している。
「アジスキノタカヒコの声と顔、やっと戻ってよかったよ」
「サルタヒコさんは、どこへいってもサルタヒコさん、かわらない」
そう言われて俺はすかさず切り返す。
「そういうあなたは新しい場面へ行くたびにいろんな役顔をつけたりはずしたりしている。忙しい人ですねえ。古事記のアメノウズメさんと思いきや、キャバクラのナナさん、でしたよねえ?そのあとまたアメノウズメさんからシタテルヒメ、いまはあまのじゃく?に化けてるつもりなんでしょ?」
「わたしは、ここのじょちゅう、なのです」
「おいおい、とぼけちゃあいかんよ、ここの女中さんよう。・・だけどシタテルヒメさんの褥(しとね)は真っ暗でよく見えなかったけども・・」
「ちょっと、やめてください!」
「いや、ごめんなさい、あれは俺の中の夢の中の妄想でした、忘れますれす」
3人がまたこうしてそろったことに、俺は懐かしい安堵のような思いがした。多分目の前の2人も同じことを感じている。こうやってお互いがお互いの顔を見ては、頬が緩んでいくのがわかるよ。それにしても最後に3人が面と向き合ったのはいつのことだったかな。諏訪湖底?上高地の河童橋?いやもっともっとまえだ、32丈(98メートル)の出雲の大社(おおやしろ)竣工式典以来のことだ。フツノミタマノツルギの奉納先についてもめてる最中にあなた、アメノウズメさんは葛城族や物部族らの重鎮をまえにして「葛城族の叡智はそんな小さなものじゃないです!」と、出雲阿国の歌舞伎衣装を翻し、大見得をきったものだったよな。
・・・
「これ以上、古代史を掘り返すのはやめた方がよい」
おやおや、またまた聞きなれた声が天上から聞こえてくるよ、オモイカネさんの声ですね。またしても土足で割り込んできて、ここ3人衆の空気を読まない唐突なメタナレーションを聞かされるのかいな。
「おうよ、おまえが指摘した通り、共命鳥は片方だけでも生き延びることができたのだった、それをわたしも今更ながらに天上で目の当たりにしたな。目弱王(めよわのみこ)の変、すっかり忘れ去った出来事だったからのう。あの事変がものがたってたように、この日の本は、まつろわぬ者たちを抹殺していったことで、盤石になったということだったのさ」
俺は言い返す。
「じゃあ、葛城族を抹殺することは正しかったと?」
「この日の本の、まとまりのためだ、仕方あるまい」
「オモイカネさま、この期に及んでなんてひどいことを言われる!」
「いやいやおまえさん、たとえて言うなら、日の本の近代の夜明けをいまいちど見直してみなさいな。幕末の志士たちが封建制度を崩してくれたことで、これまでの幕藩の弊害もなくなった、それがゆえに大化の改新以来の、この日の本の、みなみなしもじもまでの団結した国の力が復活したのだからのう。じゃがこれもそのうらでは知っての通り、戊辰戦争という、同じ日本人同士の血で血を争う壮絶な殺し合いが行われたわさ」
「たしかに」
「だから、ここいらでタケミナカタさまのミッションは忘れられよ。古事記に手を入れないことの方が、平和のためには肝要なんだよ」
「そいじゃあ、古代葛城族の逆上はどこに行けばいいのですか?あきらめろというのですか?」
「いまここで土蜘蛛たちを掘り返せば、日の本に新たな火種をつくってしまうだけ。もう過ぎ去ったこと、地下深い穴に埋めて、重い蓋をして、金輪際出てこられないように封印すべし!」
「・・・」
「ところでそのなんだなあ、出雲族たちの358本の銅剣はいずこに隠されたかの」
「はあ?オモイカネさん、いったい誰に聞いてるのですかね、現代に生まれたこの私にですか?」
「いや、そこにおる誰でもいいのじゃわい!銅剣はどこかと聞いておるのじゃ!」
「なんと、タケミナカタさままでが同じことをおっしゃるのですか。この期に及んで、古代出雲のひかりものを横取りしようとは見苦しい、諏訪のつわものの名がなきますよ」
「ええい!ちがうわい!そんなけつのあなのちいさいことを言ってるんじゃないわい!ここにおられるタカミムスビさまからの、きっての言入れだからきいておるのじゃわい!」
「あの天孫の祖であり葛城の祖でもある、タカミムスビさまが?なぜにそんなことを言われる?」
「いいかい、タカミムスビさまがいまからおまえらのいる西暦300年の大和の地に降臨されると言われてみえるからな、おまえら、うやうやしくお迎えされよ!」
その時だった、すかさずアメノウズメさんが天に向かって口を挟んだ。
「それは、こまります!おりてこられるな!」
アメノウズメさんはきっぱり言い切る。まるで自分の方がタカミムスビさまよりもずっと高い身分であるかのような命令口調で。
「ことだま(言霊)とばし(飛ばし)は こじき(古事記)で けされた はず」
そう言ってアメノウズメさんが、がっくりと膝をついた。
夜が雷鳴する。
・・・唯、有、妾、姉
夜露に濡れて、言の葉が、漢字一文字ずつが、四つの礫(つぶて)となって、高木の地面に叩き降って、転がった。熱く真っ赤に煮えたぎったそのつぶてが、木枯らしに吹かれてどこかへ転がっていく。転がって、鼓楼の脇の、そこの岩窟の扉をたたく。
あの場所、たしか高天彦神社の脇に置き石で静かに目印されてたところだったよな。これまた古代の蜘蛛塚の場所だったはずのところ。なぜに今頃?古代の、史実の記憶もおぼつかないもやもやと靄深いその向こう側、分厚い石(いわ)がそこの岩窟を覆っていた。石(いわ)の戸の、微かな隙間から風が起り、過ぎ去った言の葉の、秘かな、姉弟の、かけあいが漏れてくる。
「にくらしき いわれひこ うだ(宇陀) つちぐも へいてい(平定)された かつらぎ みなごろし される」
「・・われ まきむく(纏向) いわくら(磐座) みこまい(巫女舞) ひのもとのため」
「あねうえ(姉上)さま ころされた ところ」
「・・おそれる べからず かつらぎ ながすねひこさま みかた」
「どうけん(銅剣) どこ かくした」
「・・おしえられない」
葛城山の木枯らしがザァーと音を立てて吹きすぎていく。古代葛城の高木が震え、枯れ葉のことごとくが吹きちぎれて飛んでいった。それが夜空の果てにぶつかって、粉々に消えていく。
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