第69話

・・・・「この大和の国に  吾(われ)のほかに王はなし かくの如(ごと)く行くは 何者ぞ?」


いまさら、こんな場面になってから朗読しなくてもわかってることですから。あなた、オモイカネさん、空気が読めないようですね・・。ようよう赤くなりゆく山ぎ(際)の東雲(しののめ)の彼方、重厚な朗読が天空を覆いつくす。またしてもこの長く、おどろおどろしいストーリーの天上でオモイカネ得意の、メタなナレーションが清冽な空気を震わしてきたのかい。


・・・・「かなたより声あるも、これまた、こちらの問う言葉と同じ」


ああ、泣きたいくらいにその言の葉の、数珠つなぎだけは知ってるさ。古事記は「葛城山」のくだり(件)なんだろ。いまさらなんだい!初詣での一言主(いちごん)さんで、なんどもおまえは胸の裡で自問自答しながらも、どうしても俺であるおまえはだなあ、重たい蓋で塞がれた蜘蛛塚に向かって手を合せられなかったものだったんだよなあ!


おまえらのやらかしてきたことに、蓋をするな!


・・古事記は言ってたさ。葛城山の王と、葛城山に登ろうとする王。まるで、こだまのような、ふたつの声のかけあいのようだったとな。言ってることが同じならまた、従える百官たちの着てる装束もまた同じだった。紅紐のついた青摺(すり)の高貴な衣。ここ古代大和葛城の地に、葛城王と大和王、のふたつの王朝があった。


そのふたつのなにもかも同じで、その力は拮抗していたさ。ただ違ってたのが、干戈(かんか)に訴えるのと、干戈に訴えないのと、だった・・・


なあ。この修羅の地上から遠く離れた、天空の欄干に身を寄せて鳥瞰してる諏訪湖の湖底、2008年のオモイカネさんよう!いまさら歴史の痛みをなぜここにきてさらけだそうとするのだい?アメノウズメさんの言われるような「葛城の叡智」は主観的なる言葉であって、行きつくその向こうは痛みしかなかったよね。見るも無残に、客観的なる大和の軍事暴挙の前でその叡智とやらは木っ端みじんに吹き飛んだわさ。ひるがえってみりゃあ、過去も未来も、殺戮こそが人の世の歴史において貴重なアンチテーゼの役割をしてきたさ。いまさら問わなくてもわかってることだし。


そして俺は。雑兵らをかき分け、まえへと走り出す。火の矢がうしろで一斉に放たれ、頭上の宙をビュンビュン飛び越えていく。左側にそそり立つ古代葛城王朝の高楼天守閣の、檜皮の屋根に無数の矢が刺さり、火の手が上がる。俺はひたすら走るしかなかった。


そうして・・。葛城古道をのぼったところに高天原といわれてる高台の平地がようやく見えたよ。雉の使いの、高木のある高天彦神社というのは、あそこの見える杉木立の狭い参道をずっと上りつめていったところにあったはず。そういえば長柄神社のあった合掌の館を飛び出してから、もう半時も経っただろうか。タカミムスビが天空に放し落とした雉(ぎぎし)はもう高木の枝先にとまっているだろうか。そこの高木の下、いまごろアジスキノタカヒコであるアメノワカヒコに対して、あまのじゃくに化けたシタテルヒメ、つまりアメノウズメがすり寄っているのだろうか。そして古事記が塗りかえられないよう、中臣の古事記記述のまんまの言葉を耳元でささやいたのだろうか。いや待てよ、ここはどうやら、西暦300年と西暦450年とが断層しちゃってるところに来てるようだから、そうしたら高木の下にいるのは葛城円(つぶら)かもしれねえな。どちらにしても気がかりなのはフツノミタマノツルギであり、かつアメノムラクモノツルギでもあるところの十拳剣の行方だ。ここの「目弱王の変」の段で、この日の本のレガリアは大和王朝側へと奪い取られてしまうのだろうか。


そうして・・うめき声、やっぱり。聞きたくなかったが、参道登り口を目の前にして嫌な予感が的中した。そう、参道手前の、あの大きな土手の方からだ。初詣の時に案内パンフレットを開きながら行こうとしてやめた蜘蛛窟(くもくつ)のあったところ。刀で斬られればそりゃあ誰だって痛いだろに。俺はあの時、鬱蒼とした樹林の暗がりの獣(けもの)道に殺気を感じて思わず途中で引き返してしまったものだったが、つまりあそこに見える小高い土手の姿は1500年以上もの年月の間にすっかり広葉樹林で覆われてしまっていたのだ。


見ないと決めていたが、しかし登る直前、振り返って見てしまった。まさに古代大和王朝による土蜘蛛退治の真っ最中だった。何十人もの葛城の民らしき者たちが後ろ手に縄で縛られてその土手に並んですわらされていた。順番に太刀で斬首されては掘られたすり鉢状の大きな穴の中央に首が転げ落ちていく。残された胴体がうしろから蹴られ、ずるずると粘土の壁伝いに滑落していく。底にたまった死骸には老人や幼い子供もたくさん混じっている。若い女たちはどこかに売られていくのだろう、何十人も十把一絡げに葛の網に生け捕りされたまま、ぎゅうぎゅう詰めにして荷台に積み上げられてた。草木染めの装束を着た重鎮らしき者たちについては一旦首をその穴に落としてから、さらにその手と足を分断させてから荷車ごとに分別しては載せていた。古代の文献の記述通り、あとになってから殺した方に呪いがかからないよう、ひとつの身体をいくつかに引き裂き、違うところへ分けて埋めるためなのだろう。手、足、胴体を、1個ずつ、雑兵たちが粛々と積み重ねていく。


・・君たち、ひとついいこと教えてやろうか。人を斬るというのは時代劇の映画のようにはなかなかうまくいかんもんだぞ。わたしは支那事変で陸軍の士官だったが、追いつめた敵に自分で穴を掘らせてな、そのあと手を縛って順番に日本刀で首っ玉を斬っていったものだが、そりゃあ5人も斬ったら立派な日本刀といえども血の油がべっとり刃に絡みついてきてな、だんだん斬れなくなってくるんだ。20人目くらいになると同じ首を何回も日本刀で叩き斬るようにしてな、殺すにも苦労したものだったさ・・まあ、君たち学生はこのよき時代に恋を語り、未来を語り、今日は美味しい酒を飲んでだなあ・・いつだったかの村祭り・・呼ばれた旧友宅での酒の宴での小噺だった。そこに主観的言葉の入り込む余地などなかった。


今、俺の目の先で淡々と、一人ずつ順番に執り行われている古代葛城族の斬首も、残酷であるが明快で客観的なる経験言葉だったのだ。わかりやすいその言葉は文献にも残されたし、能楽の演目にも使われるし、また酒の肴にだってなったのだ。


・・・

参道を上りつめたところに、鼓楼が建って見えた。後の世になってここがきっと高天彦神社になるのだろう。たったひとり、静かな庭に若武者が屹立していた。見てる目の先は、杉木立の向こう、燃え盛る古代葛城の天守閣だ。そしてその手に握っていたのは十拳剣ではなく、小さな短刀だった。自らの喉元に当て、自刃しようとして顔を仰いだ。「目弱王の変」がいまこの瞬間に幕を閉じようとしていたのか。


桂のまっすぐな幹と枝。まさに高木。その頭上から赤茶けたひと葉の枯れ葉がくるくると旋回しながら若武者の額に落ちる。

「おや?」

若武者は喉元に当ててた短刀をいったんおろした。彼の目線の先、高木の太い幹のつなぎ目に大きな鳥が爪をたて、その彼をじっと見下ろしている。晩秋の紅葉そのままに羽根が全部紅葉に染まってたからこれまで俺は気づかなかったのだ。ダチョウのような長い首についた尖ったくちばし。威嚇するように羽毛を逆立てて、木の下の男を鋭い目でにらみつけてる。この鳥の顔、ああ、稲佐の浜で見た行燈に浮かび上がった共命鳥(ぐみょうちょう)ではないか。そうか共命鳥、ということは、ここはやはり雉(きぎし)の使いの場面ではなさそうだ。俺はほっと胸を撫で下ろす。


いや、しかしそれにしてもおかしいぞ、あの鳥のやつ、首の付け根のところからもうひとつの長い首がだらりと垂れ下がったままにさせているではないか。そいつは目蓋が白く塞がってるし。なるほど、そのひとつの方は死んでるのか。


「ひとつが死んだら、ふたつとも死ぬはず、なのにな」


俺は思わず独り言ちた。オモイカネさんの言ってた阿弥陀経の話と、この生き地獄の世界とでは、まるっきり事象が異なってるではないか。同じ日の本の葛城王朝を殺して、しかし殺した方の大和王朝は生き残った、ということは共命鳥の寓話は偽りだったということだよな。オモイカネさんよう、あんた、古事記逆上のストーリーにおいてこの意外な展開、何と弁明するのだい?


男が天空に向かって吠えた。

「我らが葛城の祖、タカミムスビさま、これで葛城の叡智も終わりました・・・」

彼は持っていた短刀をもう一度自分の喉元に当てなおす。その時だった。ビュンという鈍い音が地下深くに鳴ったと思いきや、地面から1本の矢が飛んできた。あっという間に、高木の枝にとまっていた共命鳥の胸元にその矢が突き刺さった。刺さった勢いで夥しい羽根が宙に飛び散る。その大きな屍もろとも、若武者の頭上にばっさり降りかかってくる。金粉があたり一面に濛々と舞い上がり、目の前は何も見えなくなった。



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