第68話

葛城古道はどこまでも狭く曲がりくねっていた。農作業の荷車なのか、戦闘用の武器運送牛車なのか、朝霜に濡れてえぐられた轍が幾層も両端に織りなしていた。西側から覆いかぶさってくる山裾には、いくつもの小さな段々畑が這いつくばっていた。水稲なのか陸稲なのかわからないが、すでに秋の収穫を終えていたようで、大豆らしき苗が二毛作として一斉に植えられていた。発酵の保存食品は奈良時代からだと聞いたことがあるし、古代の大和にこのような二毛作なんてものがあったのだろうかしらんと訝しく思いながらも、俺はひた走った。


はるか東方の三輪山を見遣ると、その端(は)の輪郭線は霞んでいた。日の出が近いのだ。向こうの宇陀や吉野山からの深い扇状地が和合し、きれいに開墾された奈良盆地がなだらかな裾野のように広がっている。いくつもの茅葺の集落が点在し、朝餉の煙が青い空の中を立ち上っている。ああこれから、土着、あるいは渡来の人たちの、今日の一日が始まるのだろう。大和三山、そしてこの国の最中(もなか)発祥の原風景。こないだの初詣に見た時と何も変わっていない。畝山のてっぺんは風にたなびく火のようで、いつ見ても勇ましい。


道端を夥しい石地蔵が埋め尽くしてるのはなぜだ?もしや、すでに土蜘蛛退治が行われていたのだろうか。俺は切り立った山裾の断崖を道なりに大きく巻いて走る。あとすこしで高天原への急こう配の上り口、極楽寺あたりにつくのだろう。そういえば奈良盆地を隅々にまで見渡すことのできたその極楽寺の高台には、掘っ建て跡の穴が整然と並ぶヒビキ遺跡があったな。壕や堤、掘が巡らされてた、5世紀最大級の大型建物跡だ。古事記のなかの、いわゆる「目弱王(めよわみこ)の変(へん)」の跡が記述通りに、1500年以上もの長い歳月を経た西暦2005年の真冬の空の下に忽然と躍り出たのだったな。


あの時、粉雪に身を震わせながら剥き出した粘土の上を俺は一人、時間の経つのも忘れて逍遙したものだった。古代豪族であった葛城氏の古代天守閣。しかし古事記のなかの記述に違わず、大和王朝のオオハツセ(のちの雄略天皇)の軍勢に焼き討ちをくらわせられ、古代葛城王朝最後の大王であった葛城円(かつらぎのつぶら)が死に絶え、古代出雲の地から綿々と長らく続いてきた古代大和葛城の栄華もそこであえなく消え去ったのだ。


しかし古事記の中の「葛城山」の段まではまだ、オオハツセと葛城一言主とのやり取りで、むしろ一言主神の方の格が上であったはず。なのにそのやり取りからいくばくも経ってないのに、葛城族は総崩れしてしまった。さらに追い打ちをかけるかのように古事記、日本書紀、続日本記と年代がさがるにつれ、葛城一言主の神格がどんどんと虐げられ、とどめは安曇族中臣一派によって、その神格は冥界へと流刑されてしまったのだよな。だからこそ1500年以上も幽閉されてたアジスキノタカヒコは大胆にもこのような逆上の旅に出たのではなかったのか。そしてそれをこれまでずっと後押ししてきた張本人が、出自不明のあなただったのではなかったのですか。ねえ、そうなんでしょ?


「アメノウズメさんよう!」


そう言いながら俺は体を屹と(きっと)西に向け、葛城古道のこう配を駆け上る。あなたが言ってた古代葛城の叡智とやらはいったいなんだったのですか!なぜそこまでして人のために自らを削らなければならないのですか!・・ここのヒビキ遺跡というところはまさに、大和王朝の強欲による殺戮が繰り返されたところですよねえ。オオハツセは自分の気分次第で夥しい首を斬首しまくり、また人の見てる前で人間を生き埋めしてきました。しかしそんな残虐なオオハツセの前にあっても、葛城円(かつらぎのつぶら)は戦火を交えることを避けようと願い出て、彼の目の前で自らの武器を放棄しようとまでしましたよね。そうして頼ってきた敵方であるはずの「弱目王」のために甲斐甲斐しくもオオハツセとじかにかけあったのでしたよね。しかしその心根の優しさがゆえに、葛城円は自刃せざるを得なかったのでしょ。もはやそこにあるのは、憎しみの情念も見えなくなった、ただの幻滅だけだったのでないですか!


「アメノウズメさんよう、聞えてますか!」


あんた、葛城の叡智がいったいなんだと言うのですか!あんたの言う美辞麗句は、強欲者たちにとっては恰好の餌食となってしまったのがこの世の常ではないですか!あの、桓武帝らの行った葛城族末裔の土蜘蛛退治、それに東北まで逃げた葛城族末裔の蝦夷族長、阿弖流為への京でのだまし討ち打ち首のようにして・・



葛城古道のうねりあがった先の方、人がたくさん見えるぞ。雑兵らしき男たちの後ろ姿、鈴なりに延々とつながってるのが見える。


まいったなあ、あの集団をかいくぐってこの狭い道を走り、オモイカネさんの言ってた高木のある高天原まで俺は急がなくてはならないのだ。オモイカネさんはあと半刻(1時間)くらいで雉(きぎし)の使いは桂の高木の枝先に止まり降りると言ってたから。アメノワカヒコがあのシタテルヒメの、いや正しくはアメノウズメの化けたあまのじゃくにそそのかされてしまったら最後、その雉を射抜いた矢はそのまま天上からのタカミムスビの返し矢に射られてアメノワカヒコは絶命してしまい、この日の本の古事記は何ひとつ塗り替えられずに終わってしまうのだ。葛城族末裔の幾たびもの殺戮された犠牲も、その姿形の小さな片りんさえも、後の世に残すことができずにいいように悪者にされて封じ込まれてしまうのだ。


よしここは、あれら雑兵の仲間というような風を俺は装わなければならないようだ。やつらの服装は白袴を脚絆のように絞って、麻のような貫頭衣に帯紐、頭には頭巾をしている。しかしこの俺はというとジーンズにゴアのアウターといういで立ちだし。果たしてここを無事に乗り越えられるであろうか。おやおやきっと先頭が使えているのだろう、長い人間の自然渋滞を俺はだなあ、こうやって一人ずつほいほいと追い越していくのさ。こわいことはない、普通に堂々と行動すればいいにさ。弓足軽、矢箱持ち、旗持ちらの雑兵を追い越し、時折、武官なのであろうか、鮮やかな草木染めの木綿羽織に帯紐を結び、太刀を腰からぶら下げている者もいたが、怖がらずにそれも追い越していくさ。


・・・ふと気づくと遠く前方の方から次の後ろの者へと順々に、なにやら伝言してくるのが見えた。まるで子供たちが時代服をまといながら運動場で長い伝言ゲームをしてるようでいささか滑稽にも見える。しかしその伝令がどんどん後ろの者へとやってくるではないか。ついに目の前にいた男がうしろの俺を振り返る。一瞬、おや?という顔をしてくる。ああ、これまでか。打ち首?


「ふつのみたまを、うばいとるぞ」


はあ?ふつのみたまを?誰から?

逡巡しながらも同じ文言を直ちにすぐ後ろの雑兵に伝言した。なんでこの場面で、あのフツノミタマノツルギが登場するというのか。あれはもうすでにアジスキノタカヒコ、いやここではアメノワカヒコが古事記を塗り替えたことによって、古代葛城の大王であったやつの手のもとにもどされてるはずだし。おかしいな。


・・ということは?


つまりいったいぜんたい、この気の遠くなるような長いひとつなぎの行列は、これから葛城族を滅ぼそうとする雄略側の軍勢なのではないだろうか?古事記の「弱目王の変」が始まってる?とすればここの時代は、タケミナカタのミッションであったところの西暦300年の地ではなく西暦450年くらい先の世に行ってしまってることになるぞ。


おもむろに行列の中の弓足軽たちらがこぞって、狭い道を行ったり来たりし始めた。そして矢箱係りの雑兵から矢の束を受け取ってはもとの位置に戻っていく。フツノミタマノツルギを奪い取るという合図が、どうやら戦闘開始の準備だったようだ。やばい、古事記の記述通り、もうすぐ古代葛城族の天守閣が火だるまになるというのか。


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