第66話

・・・


・・・わたし? わたしは ナマハゲとおなじ まれびとよ


まれびと?ああ、紅の小袖と袴を着たりする、野外舞踏会の来訪人のことですよね。あなただったら東京の渋谷で、素敵にハロウィーン祭りでコスプレ仮装しちゃったりして、スクランブル交差点を悩ましく闊歩しても、なかなかのもんだったろうにね。


・・・あのヤマタノオロチも やまとかつらぎのまつえいも いずもをおわれて まれびとに なってしまいました


ヤマタノオロチ? 小学校2年の時に、講堂の舞台の上にまでぞろぞろとやってきましたよ。だけどあの学生服の鈴なりの長いオロチが、常世(とこよ)からやってきたとは、これまた新説ですよね。


・・・ひょうはく(漂白)の、みこ(巫女)も まれびと


あなた、伏せた桶のうえで見るもおかしな足拍子を踏み鳴らし、まるで神がかりのように乳房も露わ、腰に巻いた裳を押し下げて、大事なところもみえかくれさせていた・・・


・・・あめのいわやどのわたし、たしかにあれはいきすぎてたのかもしれないけど、いろいろと、おとなのじじょうというものがあったの


大人の事情?


・・・サルタヒコさん、あなたいま、ふらちなこと そうぞうしてる おもいかねさん いわれた むずかしい できごとだった・・おねがい そんなに はだかの わたし じろじろ みないで


おっとあんたは赤ら顔の、あの時の毛皮の男ではないですか!玉鋼のお酒をいっしょに酌み交わしましたよね。それにあんたはアメノウズメさんの出雲大社勧進帳の中で、一番最初に記されてた葛城の末裔でしたよね。造営中に32丈もの高いうず柱の下敷きになって死んでしまわれたのはお気の毒でしたよ。なるほどあんた、神迎え神事をいいことに、ヤマタノオロチに乗っかって、常世からはるばるここまでもどってこられたというわけですね?


つまりあなたはだなあ!


唾がとんできましたよ、それって汚いです。


つまりあなたはだなあ、わしが言ってるのはそっちの女子の方じゃよ。あなたは、海を渡ってきた渡来人の末裔なんだろ?後漢の怪しい鬼道で日の本の民のすべからくを惑わすのに成功した、どうだ、図星じゃろが。そいでもってあなたの言い分はこうだ。わしらまつろわぬ土蜘蛛たちをひのもとの隅から隅まで殺し、生首を人前に晒し、天照大御神の一強をつくる。そうすれば大陸からの侵略に乗っ取られず、対等に渡り合えるとな。


・・・ちがいます、ちがいます。たしかに、まきむくのみやこにいずものわたしがよばれてからは わこくのたいらんは なくなりました。しかしそれは ごとべいどうよりも やまとかつらぎの えいちをわたしがしったからなのです。


かつらぎ わたし ともに こうどうした

でも わたし ころされた こじきに わたしのなまえ けされた 

だまされたのか わからない

でもそれは ただしかった

ぐみょうちょうは たすかったから

だから

あめのわかひこも だまして ころしてしまえばいい

ころしてしまえば なにもかも まるく おさまる


あのう・・・・

アメノワカヒコさま、門のところに雉がとまっていて、何やらこちらに話をしてますが、その鳴き声がなんとも不吉に感じますので、矢で射殺した方がよろしいかと思います・・・


はやく ころせ

はやく ころせ


・・・


夢だったか。嫌な夢だったな・・・

それにしても寒い。掛け布団を首にまで引き寄せたがまだ寒い。昨夜の木枯らしが一気に冬を運んできたようだ。そっと薄目を開ける。遠くの格子戸の障子紙が仄明るく光彩を放ってる。もう朝がやってきたのかな。

おや?

俺は咄嗟に掛け布団をあげる。敷布団の隣が空だ。アメノウズメさん、ではなかったシタテルヒメさん、どこ行った?一夜を過ごしたこの敷き布団の跡を見た。そして昨夜の木枯らしの音に紛れたぬくもりを反芻しようと、手のひらを当ててこすってみた。しかしそれはもはや昨夜での出来事、朝の近い今は、冷めた寂寥だけだった。

シタテルヒメさんは起きるのがいつもきっと早いんだな、どこ行った?


俺は上半身を起こして目を巡回させる。あれ?部屋の隅に据え置かれてる鳥居型の衣桁(いこう)が、なんと丸裸ではないか!アメノワカヒコの紅の陣羽織やらの正装の数々、昨夜脱ぎ終わってたしかに俺はそこへいくつも掛けておいたはず。くたくたになった俺のジーンズとアウターがほらよ!と言わんばかりに、無造作に放り捨てられている。アメノウズメのやつ、持ち逃げしたのか?

ああっと、それと。俺はすかさず立ち上がった。大きな長持ちのような行李の蓋を持ち上げる。ない!十拳剣もなければ、タカミムスビから授かったという弓も矢も、ないではないか!


やられた!


そう独り言ち(ひとりごち)した。

「いや、ため息ついてる場合じゃないから」

ことの重大さを自分に言い聞かせた。天孫族からのミッション、「雉(きぎし)の使い」の段のことを咄嗟に思い起こしたからだ。そこには女中に化けたあまのじゃくがしゃしゃり出てきてアメノワカヒコを騙す。そして天孫の祖、タカミムスビから授かった弓矢で雉を射ってしまったのだ。それが逆にあだとなって天からの返し矢にアメノワカヒコは射られて死んだ。こうしてアメノワカヒコはこの世から消え去り、次の、あの稲佐の浜での、中臣氏傀儡神のタケミカズチの国譲りの段へと古事記のストーリーは進んでいったのだった。だからなんとしてでもここで食い止めなくてはならないのだ。アメノワカヒコを殺してはいけない。でなければ古事記の中身は何一つ変わらないまま、日の本の根底を成す血となり、肉となって、日本の後世を席巻させてしまうのだから。


俺は床のむしろを踏みつけ、切妻の格子窓にまで走り寄った。障子戸を勢いよく開ける。宍道湖を囲む神奈備山の端(は)はすでに赤みを帯びていた。たしか古事記の雉の使いの場面、早朝の出来事だった。東の空の上、遠く漆黒の夜がいまだ、かすかに霞んでる。俺はじっと凝視する。


タケミナカタよ、どうしたらいいんだ!おまえからのミッションも、ついにここにきて、果たせなくなってしまいそうだ!


遠くの方で、首から掛けた長い勾玉どうしが触れ合う音が聞こえる。東の上空の彼方、漆黒の夜の欠片(かけら)がたまゆらに顔を見せる。するとみるみる墨汁のような幕を張り、諏訪湖の湖底の、壁に描かれた群青の帯が水を打つ音に揺られ、天井の彼方でたなびくのが見えた。



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