第63話

口々に「おお、さむい、さむい」と言って、浜にあがってきた末裔らはかがり火に濡れたからだを乾かした。そのうちの一人がようやく屹立してる若侍に気づくと、急に何を想い出したように近づく。いかにも融和な表情を見せながら声をかける。

「お兄さん、その十拳剣、もしやあなたさまは、われらが古代葛城の大王、アジスキノタカヒコさまではありませんか」

「いいや、わたしはアメノワカヒコという帝(みかど)のものです。今宵、シタテルヒメさまと契りを結ぶために、天から下りてきました」

「ええっ?下照姫さまとですか?今宵は神迎え神事という日なのに、これはまたおめでたい日だったのですな。下照姫さまは、出雲オオクニヌシさまのご息女でありますし、それどころかわれらがアジスキノタカヒコさまと同胞の兄妹ときいておりますがな」

「・・・な、なんと、下照姫さまとアジスキノタカヒコさまが兄妹(きょうだい)だったとは」

「それとあなたさま、アメノワカヒコさまのうわさもわしら遠い蝦夷の地にまで届いておりますだがな。たしか、我らが卑弥呼さまの跡を引き継いで、大和地方の統一を成し遂げられた大王さまだと。しかしそれにしても、わしらが知ってるアジスキノタカヒコさまとはお顔が瓜二つでごぜえますだな。ほんと、実によく似ていらっしゃる」


・・・おやおや、なぜこんなところで唐突に卑弥呼の名前がでてくるというのだ?たしか卑弥呼は西暦249年ごろに亡くなってたはず。中国の正史に倭国の女王としてそう記録に残ってるのだから間違いない事実。しかしここは西暦300年の出雲の地なのだ。卑弥呼はもう死んでいないはずだし。俺は諏訪湖からはるばる、タケミナカタのミッションを携えてきたのだからな。中国の魏志倭人伝では鬼道で人を惑わすと書かれてた卑弥呼、しかしここで俺は惑わされてはいけないのだ。オモイカネさんの言われてた、古事記の中でこれから始まろうとしてる、なんらかのつじつま合わせの賭けというものが、いったいどういうものなのか、この目でちゃんと確かめなくてはならないのだから。


次から次へと裸の男衆が陸にあがってきては、かがり火に暖をとっている。どの裸からも湯気が立ちのぼっている。

「みなさん、こんやは、たまつくりおんせんのおやどで、ごゆるりされてください」

女の声が聞こえた。聞いたことのある馴染みの声だし。俺は回りを見回した。しかし海からあがってきたふんどし姿の男たちしか見えない。

「玉鋼のお酒、今度もまた振舞ってもらえるのかのう」

「もちろんです」

「酒の相手にかわいいおぼこが欲しいのう」

蛇腹を演じたうちの誰かが言う。

「なにを言われるか!今宵はアメノワカヒコさまとシタテルヒメさまとの、めでたい祝言(しゅうげん)の日なのですぞ。この神聖なる日に、戯れ言は失礼です!」

ぴしゃりと女の声にダメ押しされると、かがり火の周りにどっと、男たちの笑いがどよめく。


男たちは三々五々、いつのまに来てたのか、あそこに見える観光バスの方に向かっていく。俺は頭の中をフルに巡らす。古事記の天孫降臨の前哨戦、国譲りの交渉に天孫族のアメノワカヒコは出雲の地に下り立ったが、そこにいた見目麗しい下照姫に惹かれて結婚してしまったとあったな。そしてついに天孫のタカミムスビとアマテラスのもとに復命しなかった、天孫から見れば裏切り者・・・そう、まぎれもなくここは古事記の中の、雉(きしぎ)の使いの場面だ。そのうちに雉の鳴女(なきめ)が天のアマテラスのミッションで天空からやってくるはず。それにはたしかアマテラスだけでなく、オモイカネとタカミムスビも関わっていたような気がする。今頃、諏訪湖はどうなってるのかしらん。あの時オモイカネさんが諏訪湖畔から湖底を覗いて言ってたように、おとうさんのタカミムスビを口説いて、これまで古代安曇族中臣一派のぬるま湯にゆかっていたところから外への引っ張り出しに成功したのだろうか。


かがり火の前、おまえはいまだ仁王立ちしてる。手には十拳剣。そしてもう一つの手には立派な弓と矢を握ってる。俺といっしょに大和葛城の地から虹を渡り、天空にさしかかったとき、きっとタカミムスビから授かったものなんだろう。


「おい!」

うしろから俺は声をかける。やつは振り返る。しかし目線はバスの方。俺をみてない。それならと俺はやつの顔を固視する。王冠の下の端正な顔。髪を耳のところで束ねている。

「だれかがおれを見てるきがする・・・」

ふと、アメノワカヒコが言葉をこぼした。

「そうとだも、俺だよ。おれの姿がみえないのかい!」

「・・・」

おれは続けた。

「おまえの方こそ、ずっとこの俺のあとをつけてきたものだったよな。覚えてるかい?四日市駅のベンチ、御在所岳のサイコロ岩、キャバクラ店、逆上行きバス、葛城古道、出雲三澤の郷、玉造温泉宿、田儀櫻井の踏鞴、32丈の出雲の大社、鳳来寺山のモリアオガエル、上高地の河童橋、真夜中の塩尻峠、諏訪湖・・・」

俺は時系列にひとつずつ記憶をたどりながら、ことばにして吐き出した。


バスの方へと全員が移動してしまっている。かがり火が燃え尽き、共命鳥の明かりも消された。その高張提灯はバスの隣に停泊してる大型トラックの荷台にとすでに積まれたようだ。また今度のねぶた祭りに使うのであろうか。


暗闇が二人を包む。シタテルヒメとの祝言、しかしアジスキノタカヒコの同胞の妹・・。古代ではこういうこともありだった?いやあまりに血が濃すぎるから。どう考えたってこのような近親婚はありえない。俺はためらうことなく、やつの背後にまわった。からだが前に進んでふたつが合わさる。


「バスが発車しますぜえ!アメノワカヒコさま、はよう、乗ってくださいまし!」

俺は小走りしながら、男たちの声のする方へと急いだ。


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