第62話

西に沈んだ日の残照も刻々と暮れていく。アジスキノタカヒコは仁王立ちをし、その屏風岩の沖の方を眺めている。やつはこのままとっぷり日の暮れるのを待ってるのか。遠く大陸からやってきた木枯らしが稲佐の浜に辿りつき、こうして足元の砂地を巻き上げている。


木枯らしといえば11月末ころの季節風だったはず・・ということは、今は旧暦の10月の神無月だな。いやいやまてよ、ここは出雲だから神有月なんだよな。いやあこれは面白いことに気づいたぞ、それって全国の神様がこの出雲の地に集まって、あれこれ評議を行う月だったよな。多分俺は今、異界にいる。だからその八百万の神たちがここに集まってきて、わいわい評定してる情景をこの目でみられるのかもしれねえぞ。しかし、どうなんだ?神有月とはいっても古事記では出雲族と天孫族とが国譲りの段で決めた約束事で始まったことだったからな。だからもっとずっとあとの話なのかもな。32丈(96メートル)もの高さを誇る古代出雲の大社(おおやしろ)は国譲りの話し合いのあとにつくられたしな・・


それにしてもなぜあのようなとてつもなく高い高層建築物を、出雲族出身のアメノウズメさんは時の大和勢力に望んだのだろうかしらん。常識をはるかに逸した頼み事だし。ひょっとしたらこれもまた、古代中臣の安曇一族の罠だったのかもしれねえな。地上の政(まつりごと)に出雲族が一切関われないよう、見せしめとして高いところへの隔離措置のような。物事を反転して考えてみれば、それもありえなくもない話、アメノウズメさんは騙されてるのかもな。他の何よりも高い社殿の方が稀有であるから崇めるにふさわしい、などという論理的必然性などもともと存在しない。脳が勝手にそのように情報処理してしまってるのに過ぎないものだから。やはり、隅から隅まで、古代中臣のしたたかさは畏るべしだな。アメノウズメさん、騙されてるのも知らないまま、古事記編纂時に天津神の役柄を無理矢理押し付けられたのかもしれん。


しかしどちらにしてもタケミナカタはこの稲佐の浜にはやってこないだろう。だって神有月になっても天照大御神と建御名方神(タケミナカタ)だけは出雲にはやってこないと、まえに来た時の観光パンフレットにそう載っていたから。中臣軍団のでっち上げ天照大御神が伊勢から動かないのはわかる気がする。だってあれは神様でもなんでもない、中臣氏のでっちあげ傀儡神としての飾りだ。動けるわけがないでしょ。じゃあ国津神タケミナカタはどうしてなのだ?もしかしたら古事記で無理矢理に諏訪に封じ込められたうえに、諏訪の下社の色仕掛け作戦や穂高神社の古代中臣安曇族一派に取り囲まれ、見張られて出られないようにされてきたからかもしれないな。そういえばあのパンフレット、ニッサンシーマのダッシュボードの下に隠しておいたけど、その後どうなったのかしらん。いまとなってはどうでもいいことだけど。


つるべ落としとはいえ、日がとっぷりくれるまでは枝葉末節のよもやま話が頭の中で行ったり来たりした。もう真っ暗だし。やつは仁王立ちのままでいる。いったい何を待ってるのか。まさか神有月に行われるという、出雲大社の神迎え神事を待ってるとでもいうのかい。つい昨日まで、おまえの首級(しるし)は桓武帝の手先によって袈裟懸けに斬り落とされ、胴体と足は分断されて蜘蛛塚の底へ蹴落とされてたよな。その断末魔の悲鳴がいま、木枯らしの息吹によってよみがえろうとしてるのかい。


誰が設営したのだろうか、縄に垂れさがった大きな白い幣の紙が風を受け、小刻みに震えているしな。波打ち際にはかがり火が焚かれてる。神迎え神事とは、こうして海蛇の竜神様を迎えるのだろうか・・・


真っ暗な沖、たくさんの子供たちの声、聞こえてくる・・・

たしかに聞こえる。

「ようたぞ、ようたぞ」

俺は舞台のこちらから見ていた。一斉に叫ぶ声。あれは小学校2年の演目「スサノオノミコトとヤマタノオロチ」だったから。一番先頭のひろし君の声がまず「ようたぞ、ようたぞ」と舞台の上で叫んだのだった。それに呼応してうしろで数珠つなぎしている何十人もの子供たちも「ようたぞ、ようたぞ」と続く。


「ようたぞ、ようたぞ」


大きな波がどどーんと稲佐の浜に打ち寄せ、仁王立ちのアジスキノタカヒコの脛を濡らす。かがり火はいっそう紅蓮に燃え盛る。


その大きかった波が引く。すると「ようたぞ、ようたぞ」が大人の声に変わる。大人たちの掛け声、あの沖の屏風岩の陰あたりだ。黒い帯のような塊が不気味に見え隠れして光っている。うねくりながら少しずつ、異界のサマランダーのように、荒波を縫って浜辺に近づいてくるのがわかる。


大きなオロチが背後の投光器に照射された。いや投光器ではなくて、あれは巨大な高張提灯ではないか。海水に濡れた大蛇のうろこが重なり合い、深緑色にねじれて動く。それらがいったん波に浮かんだと思ったら一気に浅瀬のところまで来ていた。鈴なりの男たちがめいめいに立ち上がって、びしょ濡れの白装束を肌にくっつけて歩いてくる。ああ、あの斐伊川のほとり、三澤の郷で、ヤマタノオロチを演じた大和葛城族末裔たちではないか。こんなところで再会するなんて驚きだし。


あの場面、スサノオ役のアジスキノタカヒコはヤマタノオロチを退治しなかったから。古事記からすればそれは想定外の変更だった。


おや、オロチを照らしてる背後の大伽藍のごとき高張提灯に何やら絵柄が見えるぞ。なんだあれは?大きな鳥の美しい天然色、それが名人の筆で綺麗に描かれている。ひとつの体からふたつの首が突き出てて、そうだあれはオモイカネさんが言ってた共命鳥(ぐみょうちょう)の絵だ。ということは青森県でやってる、ねぶた祭の張りぼてだったんだ。共命鳥のふたつの顔、謀略と犠牲との対をなしている。見るからにおぞましき姿。それにしてもはるか遠い青森の地から、なぜこの出雲の神迎え神事に、わざわざおまえたちはやって来たというのかい?


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