第60話
・・・
雲は厚く、寒い北風が国引き神話の白砂青松に吹き付けて肌に沁みる。晩秋の夕暮れ時、遠い大陸からやってきた木枯らし1号かもしれないな。寄せては返す白波の稜線に沿って歩く一人の後ろ姿の男のあとを、俺はさっきから歩いている。突然のつむじ風が男の羽織った紫紺のマントを大きく翻した。さざ波のような金の刺繍の砂子が、沖合に佇む屏風岩をデフォルメする勢いで呑み込んでいく。はためく巨大なマントが身にまとった甲冑の首から下を隠したまま、やつの顔の向こう側の表情はいまだ推し量ることもできないでいる。頭には王冠とおぼしきひかりものがぴったりと首に括り付けられている。紅の麻紐で絞られた甲冑の右の二の腕の先、そこにはむき出しにされたままの剣が握られていた。能楽師謡い方での明朗快活な絵本の朗読通り、桓武帝の独武者を一突きで殺った十拳剣が、アメノワカヒコといっしょに古代出雲の地へと時空移動したようだった。
ここ出雲杵築の郷でつくられた玉鋼の一振り・・あの三澤の郷での、ヤマタノオロチの史実とは違う出来事が起こって以来、出雲の大社の大普請、名古屋のキャバクラ、上高地の梓川、諏訪の湖底と、俺も気の遠くなるような長い旅をしたものだった。そして古代大和葛城族土蜘蛛たちの眠る塚、その真上の社殿の欄干から天空高くに架けられた虹の橋をアメノワカヒコこと、アジスキノタカヒコは渡った。そしてこの荒ぶる日本海は稲佐の浜に再び下り立ったとは・・・。
あの能楽堂での場面を思い返す。十拳剣をその鞘からついに抜き出し、憎き桓武帝の手先を殺し、その瞬間をさかいに、アメノウズメさんの言ってた葛城族の叡智はこの世から雲散霧消してしまったのだろうか。こんなふうにしてひとつずつの史実を塗り替えながら、過去からまたさらに古い過去へと順番に手繰り寄せて、その過去を塗り替えていくのだろうか。そういえばアメノウズメさん、葛城の道端での顔面のえぐられたお地蔵さんとのやり取り以来、声も姿も見せてこないな。どうしたんだろ。土蜘蛛飛び入り参加のアジスキノタカヒコに葛城の叡智を破られて、怒って帰ってしまったのだろうか。どこへ帰った?天津神のもとへ?それとも国津神のもとへ?そういえば彼女、わたし、ほんとは出雲の出身なのですといつだったか言ってたな。なんで出雲出身なのに天津神?つじつまが合わないな。彼女の出自がいっそう謎めいて感じる。
ふと、口角に唾を飛ばしてたタケミナカタの鎧の奥のミッションが頭によぎった。アジスキノタカヒコとアメノウズメに対して命じたものなのだが、諏訪での西暦2018年の時空から鳥瞰し、古代出雲への西暦300年に下りたちなさい、そしてオモイカネさんが言ってた一筋のつじつまを古事記の記述内容にひねってつなぎ合わせなさい、もしそれが成功すればこれまでの古事記の記述内容を大きく塗り替えることができるというものだったな。いったいどのようなつじつまなんだろうか。そして同行しているこの俺の位置づけは?
そうだ、俺はサルタヒコの名前でもって、中臣らの古事記に仕掛けられた道案内という飾り道具の役目を全うするように命じられたのだった。しかしなんだな、古代中臣軍団に名誉を虐げられたタケミナカタやアジスキノタカヒコをはじめとした古事記の登場人物たちの抱える逆上を全うせんがために、俺自身の逆上がこうやって天井裏へ棚上げにされてしまったとは、いやはやなんとも情けない話だな。そう考えてみてもやっぱりあのタケミナカタの人を動かす威力、おそるべしだな。
逆上といえばうっかり忘れていたが、アメノウズメさんはどうなんだ?史実において彼女自身に逆上というようなものがあるのかしらん。彼女のことはいつも実体のない靄をつかまされてるようで、見当もつけられねえな。ほんと、どこへ消えちまったのかな。
またひとつ、木枯らしが白砂を吹き過ぎていく。遠く、白兎海岸の荒波が国道のトラックめがけて躍り出てるのがわかるよ。クール、クールと口のなかでひたすらつぶやいてた年中さんの小さき姿。国道の脇、狭い路側帯を親子4人が冬の冷たいアイスクリームを挟んで最後の会話をした。ああ、おれのなかの共命鳥(ぐみょうちょう)はまだ生きているのだろうか。・・・諏訪の湖底。オモイカネとタケミナカタのかけあい。沈着冷静と豪放磊落だったな。古事記きってのスター二人のやりとりがいまも耳元で聞えてくるようだ。やつらが言ってたように、果たしてこの日の本の、共命鳥は、史実を塗り替えた後になっても、死に至ることもなく安息のうちにこの日の本で生き続けられているだろうか。
おや?アジスキノタカヒコめ、いや間違えたアメノワカヒコとかいうやつめ、よく見たらもう片方の手にも何か持ってるぞ?あれは、弓と矢のようだ。立派な弓矢だな。あれ、ちょっと待ってよ、ひょっとしたらあれ、古事記での天孫の祖、高皇産霊神(タカミムスビ)から国譲りのミッションを携えてアメノワカヒコが出雲に下り立った際に授けられたという、弓と矢ではないだろか。ということはなんだ、古事記での出雲の国譲りの段よりももっとまえのところに、やつとこのおれは来ている?
たしか大国主命(おおくにぬしのみこと)と、少名毘古那神(スクナビコナノカミ)との国造りの段と、タケミカズチとタケミナカタの稲佐の浜での決闘の段があったが、そのあいだに挟まれてた場面があったな。なるほど、あの弓矢、PCゲームソフでのアメノワカヒコものがたりに出てた獲得アイテムにそっくりだし。間違いない。天孫降臨の前哨戦とでもいうところの、いわゆる雉(きぎし)の使いの段のところへ来ているようだ。しかし矢が3本だけとは、古事記もなかなか厳しい設定をしたものだったんだな。それと、もしアメノワカヒコの射る矢の手元がくるって、的である雉を外してしまったらどうなるのか。その矢は宙をきっ裂き、天上で鳥瞰してるタカミムスビの心の臓をまともに射抜いてしまいかねないからな。もつれた筋書きだらけの古事記。記述と記述との混迷を見ても当局は見ぬふり、そのくせ体裁をとることだけに苦慮してる。このような逆上の長旅の行きつく先とは、親指と人差し指の先にはさんだ和紙のこよりをやさしくねじって、そのつじつまを古事記のどこかにそっとつなぎ合わせていくものなのか・・・
刻(とき)、場面、手だて・・何のために、何をどう揃えるというのか。
アメノワカヒコの背中はぶれることなく、稲佐の浜をまっすぐ歩いて行く。俺は天井を仰いだ。諏訪の湖底がきっと遠くから鳥瞰してくれてるはず。俺は足をとめた。そして天井に向かってつぶやく。タケミナカタよ、そしてオモイカネよ。この段で、いったい何を塗り替えろというのかい。
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