第59話

・・・ここがきっと、史実のターニングポイントになるのだろう。俺は遮二無二、ポケットをまさぐった。グリコのキャラメル、かっちん玉、けんぱん、コマのひも、しわくちゃになった板垣退助の百円札、、、あっ!あった、あった。現代最新鋭のスマホ。いざという時、たよりになるのはおまえだけだ。バッテリー容量はどうだ?微かだが残ってる。Y!のアイコンに急いでタッチして。そいでもって、「桃太郎あらすじ」と検索する。さきほどの、鬼、が俺の頭をよぎったからだ。史実のターニングポイント、それは幾多の「鬼」の出てくる伝承の中身がどう転んだか知ることで一事が万事、全てわかるというものだ。さあ、画面がヒットしたぞ。俺の住む現代がこんな異界にまで紛れ込んでくれたとは驚きだ。あらすじが大きな文字で横並びに見える。


客席側に対座したままの謡い(うたい)の一人が裃(かみしも)の懐から1冊の絵本を取り出してページを広げます。スマホの文字が謡いの声となり、桃太郎の物語が明朗快活に朗読されました。


・・・大きく成長した桃太郎は、おばあさんのつくってくれたきび団子を腰にぶらさげ、鬼ヶ島へ鬼退治に出発しました。


あらすじを検索したのですから、登場人物の科白(せりふ)は聞こえてきません。朗読とは別に、お囃子の拍子に合せながら謡いのバックコーラスが、夥しい事象の情景描写やら心理描写やらを言葉にしてうたいます。


・・・


「や、や、こ」

「や、や、こ」


そうです、俺の記憶の中、出雲の踏鞴場でアメノウズメさんが出雲阿国の四股踏みをしてます。それはどうやら古代出雲族の、呪術的な儀式のようでした。この日の本の津々浦々、多くの信徒たちの病気を治癒し、流民に対しは無償で食料を提供し、悪事を行ったものは罪人とはせずに3度まで許し、4度目になると道路工事などの軽い役務を課すだけとする治世を行いました。なので貧窮にあえぐ民らがこぞってアメノウズメさんのもとに集まったのかもしれません。


・・・鬼ヶ島に行く途上で、犬、猿、雉が姿をあらわしました。


アジスキノタカヒコはその錦の紬(つむぎ)が織りなす柄(つか)を鹿革の鞘から抜き出しました。ついに玉鋼の、長い白銀色の一振りがこの世に姿を見せました。するとアメノウズメさんの言ってた葛城の叡智がにわかに曇りはじめます。雲をかき分け、西の大陸では様々な文明が興って戦っては、火花を散らして消えていきます。円形劇場の大伽藍、大きな天井にはメソポタミアを制覇したヒッタイトの鉄器文明が光って見えました。巨大ドームの内側をたくさんの馬車が砂埃をたてて走りまわっています。手に汗握って観た映画ベンハーの戦車たちの競技。高速回転の車輪からは鉄製の鋭い鎌がぐいぐいと突出してきて対戦相手を切り裂きます。これぞヒッタイト、鉄器文明の真骨頂です。それを観客らは大きな拍手で迎えます。だって相手を徹底的に武力制圧して容赦なく息の根をとめることで、自分たち制圧者たちのおだやかな平和が約束されるのですから。


・・・犬、猿、雉の3匹は、きび団子をほしがりました。桃太郎は葦原の中つ国へ同行することを条件に、きび団子を分け与えます。


すでに古代出雲族の治めていた大和の地にと進出してきた新興勢力の安曇一族は出雲国本貫に対し、大和の国譲りを迫りました。そして戦火を免れたいのなら千丁もの鉄の鋤の調達と、多くの出雲族土蜘蛛の賦役と、日の本のレガリアとなる玉鋼の一振りを大和安曇一族に奏上するように言ってきました。悩んだ末にその出自の不明なアメノウズメなる女は武器を交えない条件をのむ代わりに、32丈(96.96m)もの出雲大社(おおやしろ)の普請をしてもらえるように伝えました。こうして出雲の大社大普請が行われます。


桃太郎の朗読は続きます。


・・・葦原原の中つ国では鬼たちが荒れ地をせっせとたがやしていました。そうして葛城というところでは水稲の本格栽培が成功しました。しかし桃太郎は家来たちとその田畑を踏みちらし、鬼たちをめった殺しにしていきました。


謡いのバックコーラスが情景描写をうたいます。


出雲の大社は完成を待たず大きな野分(台風)で、うず柱根こそぎ倒壊してしまいました。しかし出雲族と安曇一族との約束に違い(たがい)、そのあと32丈もの大社がついに建立されることはありませんでした。運よくレガリアの十拳剣だけは、安曇一族に渡ることはありませんでした。


75センチもの十拳剣、満身創痍のアジスキノタカヒコが、日の本の大王(おおきみ)であるレガリアを両手でしっかと握りました。この能楽もついに最終場面に突入したのです。欄干の縁板の上、若い独武者役と対峙します。アジスキノタカヒコが独武者に向かって十拳剣をかまえました。その剣を振り下ろす、その刹那にこそ、天叢雲剣も布都御魂剣もそのこと如くがこの一振りに収束されて、古事記の史実のいくつかが塗り替えられてしまうのです。


・・・桃太郎は上段の構えで、蜘蛛切の刀剣を大将の赤鬼に切りつけようとしました。


安曇一族らは土着の民らを切りつけます。その時に温情は邪魔です。全国津々浦々にまで浸透した出雲族アメノウズメ信徒の民を力で抑え込むことで、新興勢力の安曇一族が日の本を蹂躙できるのです。力ずくで日の本全体の秩序と安定を創出するのです。土蜘蛛を退治して豊葦原の瑞穂の国を略奪してしまえば、あとはそれを口分田の出発点にして発展させ、中央集権国家の礎にしてしまえばいいのです。残るは土蜘蛛の大将、ナガスネヒコをやっつければおしまいです。


・・・赤鬼は中段の構えから、切りつけてくる蜘蛛切の刀剣を打ちそらしました。するとその蜘蛛切の刀剣は、真ん中で真っ二つに折れてしまいました。


な、なんとまあ畏れ多い、玉鋼の威力かな。さあ、どうする!赤鬼のおまえ、アジスキノタカヒコよ!長年幽界に流刑された逆上の恨み、いまここで果たすのかい?


・・・赤鬼は片足を大きく地面にたたきつけると、迷うことなくその切っ先を桃太郎の心臓に突き刺しました。


アジスキノタカヒコのまえに独武者は力尽き、後ろめりに倒れていきました。切っ先の胸元からは血しぶきが噴水のように音を立てて宙を飛び散ってます。それが観客らのところまで勢いよく飛んできます。飛んできた液状の血のりが、持っていたスマホのタッチパネルに命中して張り付いてしまいました。思わず人差し指でなぞったら、それは和紙でつくった細長い、緋色のこよりでした。


これまでずっと後方で奏でていたお囃子の男衆が役者たちよりも前側の縁板のところにまでにじり寄ってきました。そして社殿の欄干にもたれかかって、空に向かって音を鳴り響かせます。天に届けとばかりに朗読の声も、いっそう晩秋の冷気に冴え渡りました。桃太郎の名前はいつのまにか違う名前へと変わっていくだろうことを、わたしたちのそれぞれは知りました。赤鬼の方もアジスキノタカヒコからナガスネヒコ、そしてさらに違う名前へと変わっていくだろうことを、わたしたちのそれぞれは知りました。


・・・安曇悪太郎はばたっとその場に仰臥し、二度とたちあがることはありませんでした。いつのまにか犬、猿、雉の姿はどこにもいませんでした。こわい戦いに怖気づいて、みんなそれぞれの国へ帰ってしまったのでした。戦いに荒れ果てた大和の地で、たったひとり取り残された若い大王さまは、なすすべもなく、毎日、毎日、空に向かって泣いてばかりおられました。



誰もが地上から空を仰いでます。三日月が雲に隠れ、神々たちの夥しい桶太鼓の連打が漆黒の空を駆け巡ってます。そうです、諏訪湖の湖底が天空にそびえていたのを、わたしたちのそれぞれは、今更ながらのように気づいたのでした。この日の本の土着の神々がなんと遠く諏訪の湖底からこの葛城の天空にまでのぼって、古代に起こった日の本の成り行きをつぶさに見ていたことを、わたしたちそれぞれは初めて気づきました。



・・・・・ある日のこと、大王さまは泣いた顔を肘で拭い、空を見上げてみました。すると雲間から日が差し、大きな虹がかかっていました。大王さまは泣きじゃくりながらも、足を踏みはずさないように気をつけながら、その虹の橋をてくてくと空高くのぼっていきました。虹の反対側に下りたら、きっと大勢の仲間たちが待っているに違いない、そう信じて、来る日も来る日も、その虹を歩きました。そして虹の反対側の、日本海の打ち寄せる出雲は稲佐の浜に、アメノワカヒコ大王(おおきみ)さまは下り立ちました・・・



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