第58話

筋書にはなかったアクシデント・・。観客のすべてが息を呑んで見守ってるのがわかる。肩透かしをくらった独武者(どくむしゃ)たち、そのなかのひとりが目の前の悪夢を振り払うかのようにして、手にしていた太刀を頭上高く掲げた。そして観客らに誇示してみせた。切っ先からは土蜘蛛の血が滴り落ちているのが見える。


「なにを、たわごと申すか!」

独武者が吟じるように声を張り上げた。隠れてた縦髪がしろがね色に逆立つ。

「我が手に持つ太刀は、大王(おおきみ)様から授かった名刀、蜘蛛切(くもぎり)なるぞ!大王さまの地に住みながらおまえらが祟り(たたり)をおこすから、天罰としてこの蜘蛛切で成敗されるのだ。因果応報、自業自得だ!さあ、これからおまえの生首を掻っ切って大王さまのもとへお届けするのじゃ」


能舞台でのシテとワキ、両者のかけあいが終わったようだ。一呼吸おいて、観客から拍手が湧きおこる。拍手が拍手を呼んで、会場の風向きが独武者側に一辺倒していく。筋書き通りに事が運べばつつがなく完結するというものだ。正面を対峙するアジスキノタカヒコの顔が歪んだ。窮地に立たされたおまえ、どうするんだい!


「タケミナカタさま!」

舞台の筋書に全くない名前がやつの口から絞り出た。

なんだ?なんだ?タケミナカタだと?初めて聞く名前。いったいどこの、誰だ?独武者の表情が最後の大きな見せ場に二の足を踏んでいる。最後のクライマックスを目前に寸止めされ、会場全体が及び腰となった。


はるかかなたの天空。まるで下界での異変を察知したかのように、凍てつく冷ややかな風が一陣、上空から吹き降りてきた。皆の目が空を見上げる。田舎の境内に佇む小さな芝居小屋の屋根、その尾根のずっと上の方、三日月に照らされた漆黒のかたまりのようなものが紫の光を帯びている。その紫が、何やら発信せんがために身もだえているように震えている。この世に起こってはいけない予想だにしなかった一大叙事詩が、漆黒のかたまりとなって震えている。何かが聞こえてくる。すべての耳がその声に集中する。


「アジスキノタカヒコよ、おれの声がそこまで届いているか!」

「タケミナカタさま、聞えます!」

「おぬし、天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)の鞘からそのひかりもんを抜かんかい!侵略者のそいつらと早く戦わんかい、このうすのろめが!」

「タケミナカタさま、しかしこれは布都御魂剣(ふつのみたまのつるぎ)でもあります。ものを断ち切る霊剣、それは災いと憎しみしかもたらさないと古代葛城(かつらぎ)の叡智が言ってます。だからどうしても抜けません」

「たわけもの!葛城の叡智が笑っとるぞ。どうせそこらに隠れてるアメノウズメにでも、たぶらかされたんだろうが!」


「アメノウズメさま・・・。アメノウズメさまが言われるように、この十拳剣(とつかのつるぎ)は、我らがこれから向かう古代出雲は杵築の地、32丈もの出雲の大社(おおやしろ)に戻して御祀りするのが、叡智にかなった、一番正しいことなのです」

「アジスキノタカヒコよ、よく聞け。おぬしの言わんとすることはわからんでもない。理にかなっとる。じゃが、そのような葛城の叡智の陰で、古代から近代にいたる葛城のものたちがすべからく泣かされてきたのも事実じゃ。大和土蜘蛛である古代葛城族の、その末裔たちはいまそこに立っている平安朝は桓武帝の手先らによって、ことごとく手足を引きちぎられ、地の底にうち捨てられてきたことを思い知れ!」


満身創痍のからだが欄干にささえられている。

「然り・・・」

真っ赤な目が真正面をにらみつける。

「アメノウズメさま!かたじけない。あなたとの約束をやぶります」

「おうよ、おぬしがいまここで、日の本唯一の大王(おおきみ)の剣を一振りすることで、ヤマタノオロチの作り話も、神武東征の長髄彦(ながすねひこ)への謀殺も、それら古代神話のことごとくが木っ端みじんとなって、白日のもとにさらされようぞ」

「・・そしてそれらのことごとくがなかったこととなり、あわせるように史実のことごとくが塗り変えられていく・・・アメノウズメさま、おしえてください、それでよかったですか、よかったですか!・・・あなた、いったい、もともと、なにもの、ですか、いったい、なに、たくらんで、いる、ですか・・・こたえてください!」


「かわっ!きっ!くさっ!やまっ!」


たちまち、蜘蛛塚の穴から十拳剣が現れたかと思いきや、その鞘におさまった玉鋼の一振りが芝居小屋の軒を突き破って夜空に噴き上げられた。ああ、出雲阿国の天秤ふいごで息を吹き込まれた、玉鋼の懐かしい一振り。そして古代から伝わる日の本随一の一振り。それが宙髙く、秋の葛城の三日月に照らされてるよ。天空から降り注ぐ、諏訪湖底の威光にしばらく照射されたあと、今度は地上に落下してくる。そしていま欄干によりかかってるアジスキノタカヒコの、その手におさまっていくのだろうか。



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