第56話

「じっぱひとからげ、と言うのがなんぼのもんだい!」

「然り!然り!」

「諏訪のタケミナカタをあまく見るなよ」

「然り!然り!」

「ぼおく、いや、ここにいるおれ、アジスキノタカヒコをあまく見るな」

「・・・!ええ?アジスキノタカヒコネさまだって?我らが葛城の大王、アジスキノタカヒコネさまがいま、ここにお見えになられるのですか?」

「そうです、私は今、あなたたちお地蔵さんの、土蜘蛛の中に潜りました」


地響き・・ガツ、ガツ、ガツ!と巨大な重機のドリルが地底にぶち込まれる。見る見る、小さな鳥居の桁が鉛の重い雲に押しつぶされて両端が弓なりに捻じ曲げられていく。足元の、土蜘蛛塚に乗せられてた一塊の石がガリガリ動く。鳥居の向こうの方、葛城のあちらこちらで生息してた石地蔵が一斉に参道に集結して蠢いているのが見える。いったいなんなのだ?なにが起ころうとしてる?しかしこういう時にこそ、旅の案内役を任された俺は沈着冷静に行動しなくてはならないのだ。これら、夥しい石地蔵たちが騒ぎだすよりもさきに、口火を切らなければならない。


「ちょっと待ったあ!アジスキノタカヒコさんよお!」

「なんですか?サルタヒコさん」

「いつの間にやら、俺の中から勝手に外側に出てしまってようだけどな。あなた、諏訪におられるタケミナカタさんからのミッションをお忘れでないでしょうねえ!」

「タケミナカタさまのミッション・・出雲行きのことですか?」

「そうだとも・・・というか、あなた、これまでの子供じゃないね。いつのまにか大人に声変わりしてるぞ」

「出雲行きのことは忘れてないです。でも古事記やらの文献の中のことしか知らないできた私にとっては、古事記の中身を書き換えるために出雲は古代の地へ降り立つよりもまえに、葛城族末裔たちのその後の顛末を知っておかなくてはならないのです」

「そのような寄り道なんかしてると、タケミナカタさんに叱られるぞ」

「いや、タケミナカタさまは叱らないと思います」

「なぜ?」

「それは、それは、あの一柱(ひとはしら)さまも、古事記で同じように骨抜きにされかかったから」


「骨抜きだと?・・・たしかに古代の諏訪で勢力をふるっていた豪族にもかかわらず、タケミナカタは古事記で弱虫のレッテルを張られてしまわれたわな。国譲りの段で中臣らの編纂者らによって遠い諏訪の国から見知らぬ出雲の稲佐の浜にと、無理矢理にも決闘に駆り出された」

「そうです」

「そしてこれもまた同じように無理矢理、常陸の国から天津神の集団へとひっぱりこまれて、にわか仕立ての重鎮にさせられてたタケミカズチと、やつは対決させられたのだったな。そのあとはいつもの、天津神たちにとって都合のよい筋書きが古事記を飾ったさ。国津神のタケミナカタは天津神タケミカズチにコテンパンにやられ、ほうほうのていで諏訪に逃げ込んだという、なんともみじめな顛末記。インパクトのある敗北ストーリーだな。ずっと長らくの間、それがこの日のもとの人々の記憶に刻み込まれてしまった」


「古事記という記録というものは、むごいものです」

「しかしだ、アジスキノタカヒコよ、そのことでタケミナカタが骨抜きにされたとは結び付かないぞよ。タケミナカタのやつ、股間のうしろからわしづかみにされた俺の金玉がよう、いまだにズキズキとして動いてるくらいだわい」


「・・人々に称賛される社会的報酬は、その人にとって、次なる行動の原動力となりますよね」

「まるで脳科学の文献よろしくだな。急に難しいことを言い出したものだ。それくらいのこと、俺だってわかってるし」

「しかしそれと反対に、人々から軽蔑され、そのうえに制裁され続けたら、次の行動どころか、この先の生きる意欲すら失って、人間は腐ってしまいます」

「しかしタケミナカタは古事記であれほどの辱めを受けていながら、腐ってなどいなかったではないか!」


「はじめ、お兄様とばっかり思っていたので事実を知ってショックでした。しかしそうなのです、想像していた以上に、タケミナカタさまというお方は居丈高の立派なお方でおられたのです。古事記を天皇に奏上した後の世において、下社(しもしゃ)建立による安曇族中臣らの骨抜き色仕掛け作戦にも決してタケミナカタさまは日よられることはありませんでした。表向きは凍り付いた諏訪面での一見超常現象ともいえる御神渡り(おみわたり)を霊力で起こさせてみせ、いかにも下社に御坐(おわ)す、あでやかな女神のところまで上社から歩いて行くように地上では見せかけてはいましたけれど、一方で実は、諏訪の湖底で穂高連峰の安曇族(あずみぞく)中臣(なかとみ)軍団にクーデターを起こそうと八百万の神々を集めては期を伺っていたことを知りました」


「で、アジスキノタカヒコよ。いったいおまえはなにが言いたいというのだ?」

「痛い目にあわされて骨抜きにされていくのではなく、タケミナカタさまはそれを逆上へのエネルギーに転換されてみえました。なので私も同じように、これからここにある土蜘蛛のお墓に潜っていきます。かつて栄えたこの日の本随一の葛城王朝、しかし時の勢力に略奪と殺戮の末、滅亡された後の我が葛城族末裔たちがたどっていった顛末があったはずです。それを私は知りたいのです。この世の記録と、土蜘蛛たちの記憶を手掛かりに。そのうえで私は、戦わずして国譲りをした出雲の古代へ戻りたい。そうしないと自分の目が曇ってしまうと思うのです。タケミナカタさまも遠い諏訪の地で、そんな私を応援してくださるはず」


バチッ、バチッ。


天井裏の電線がショートしたのだろうか、映画館の舞台装置の照明がその時、激しく点滅した。火の粉が飛び散って天井から降ってきた。こげくさい臭い。いや、鉛色した雲からの鋭い稲光が一言主神社の社殿のまえの、御神木に落ちたのだ。だって、銀杏の葉が稲光で一瞬、黄色で覆われたかと思いきや、さっと葉っぱが全部地面に落ちたから。しかしむき出しになった裸の樹肌にはすでに次の緑の葉っぱが覆い、風になびき、また同じようにまっ黄、黄に光って落ちていった。幾度も幾度も繰り返す、過ぎ去った月日。


「・・だからさあ。その改札口に着くまでの間にまだ、じゃんけんができるから」

「はあ?ふざけんじゃないよ!」

「だって先輩は。いつどこでじゃんけんしても、負けるから面白い」

「バッキャロー、そんなことがあるわけねえじゃんか!」



俺の、じゃんけんの経験則が記憶として立ちはだかる。理不尽な経験則。殻の脱げない、どんごろ。奥の方で耳鳴りが鳴ってる。脱皮しようともがいて、もがみ続けている。


「あほう」

「あほう」


ねえ見てよ。あの銀杏の根方のところだよ、一人の少年の声が聞こえてくるのは。一人木に向かって「あほう、あほう」と言いながら、握った拳を樹皮に打ち付けている。それは、ざらりとした、堅い木でした。日露戦争の終わった明治時代の神社の境内だったようです。小学校1年生のぼくはバスに乗って、生まれて初めておかあさんに街の映画館へ連れてってもらいました。文部省推選の「おかあちゃんのばか」という映画を観ましたが、その時いっしょに上演していた「橋のない川」の方だけをなぜか覚えていました。農民たちが大勢、悲壮な顔をして歩いて行く終わりの場面だけが、白黒から原色映像に変わっていました。まだ1年生だったので内容は全然わかりませんでしたが、映画の中の少年はおなじ教室の子たちにいじわるをされたので、ついにがまんできずに、銀杏の木にむかって「あほう、あほう」と泣きながらその表面を右の拳で叩いているのだと思いました・・。


見ると、社殿の方からはもくもくと煙のようなものが湧き上がってきます。観客席のこちら側にまで下がって流れてきます。手のひらを広げて触ったらひんやり冷たくて、どうやら舞台装置の下から昇華してくるドライアイスの蒸気のようでした。大人になったばかりの俺は前の方の席にすわってそれを観ていました。ずいぶんと高いチケットのようでしたが、こけら落としの歌舞伎席は、満席でした。



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