第55話
「そもそも神代よりも太古の昔、この日の本で初めて本格的な水稲栽培が行われた場所が、何を隠そう、ここ、葛城の地だったのです」
「ほう、それは初耳ですな」
俺はそう言って、お地蔵さんに返答を投げる。すると隣に佇む別の、もっと小さなお地蔵さんの背中からお兄さん声がしてきた。
「じっぱひとからげと、後の世になってまるで物以下のように言われては蔑(さげす)まれてきた、わしら土蜘蛛がこの葛城の地で水稲栽培を始めました。遠い出雲から千丁もの鉄の鋤や鍬を携えてきて、この地を耕したのです」
「ということはなんだね、あなたたちが天孫降臨まえの、葦ばっかりが生い茂る不毛の地であった、葦原の中つ国を、稲の豊かに実る豊葦原の瑞穂の国へと、開墾したというわけですかね」
いくつも並んだ石地蔵が口をそろえてこたえてくる。
「然り!」
・・・俺は大きく息を吸った。そして吐いた。大和朝廷成立前の、夜明前の深い靄がかかって見えない蒙昧とした流れのなかから、なにか重大な史実がこれらのお地蔵さんの口から飛び出してくる予感がした。ここは詳しく尋ねる価値がありそうだな、と思ったが否や、頬の筋肉がひくひくと痙攣し、ぴんと背筋が硬直する。見る見る自分の口だけが勝手にぱくぱく動き出した。まるで電動仕掛けの、パントマイムのピエロではないか!一拍おいてから、ぱくぱくを追いかけるように声帯が振動し、言葉の断片が数珠つなぎとなって、喉の外側に出てきた。
「いえいえ、それは、それは、おかしな、おかしな、はなし、です!」
唐突に俺の口から、意図してない言葉が形となって発せられたのだった。次の口がまた動く。矢継ぎ早に言葉が畳みかけて、外の方へと放たれる。
「わたし、わたし、サルタヒコさん、の、のどもと、からです」
「おやおや、あんた、いったい何者じゃ?」
「わたし、アメノウズメ、と、もうします」
「アメノ?女の名前のようだが聞いたことないな。どうせ、のちの、この日の本ぜんぶの神と民を惑わしたところの、藤原不比等の、操られ神の筆頭がしら、アマテラスオオミカミの手先なんだろが?」
「いえいえ。さきほどの、アメノは、うそ、でした。わたしはあなたたちが、この、かつらぎにすみつく、よりもずっとまえから、このひのもと、をみてきた、おんな、です」
「それならほんとの名前を名乗れや」
「なのれないのです」
「じゃあ、おまえさんの言うことは聞けねえな」
「きかなくても、けっこうなのですが、こじきにかかれた、しじつは、ちがいますから」
「古事記だと?あんなものは嘘、はったりの、真骨頂だわい!」
「・・・たしかに、てんそんこうりん、のまえは、ナガスネヒコ、をぞくちょうとした、きみょうに、てあしの、ながいものたちが、すでに、このやまとの、ちに、すみついていました。しかし、まだそのときは、くさだらけの、あしのおいしげる、ぬまち、でしかありませんでした」
「手足の長い先住民?わしら土蜘蛛のことをあんたは言ってんだね」
「そうなのかも、しれません。たかまがはらの、たかみむすび、さまからの、ごめいれいで、わたしたちはこのち、におりたち、そして、とよあしはらの、みずほの、くにへと、そだてあげました」
「違う!瑞穂の国はすでにわしたちがつくり上げていたさ!あの憎き、中臣はだなあ、丹精込めてつくりあげた誇り高きわしたち葛城、つまり瑞穂の国を、やつらは無理矢理奪い取っていったさ。それを口分田として中央集権国家の土台としたのが、今の日本の始まりだったのじゃ」
「そのようなことは、この、ひのもとに、のこされた、ぶんしょの、どこをさがしても、でてきませんよ」
「そりゃそうだわいなあ。大陸の焚書坑儒を、あの中臣らがこの日の本で再現させたのだからな。・・・あのなあ、それともうひとつ言っておくが、あんたの言う高天ヶ原(たかまがはら)のたかみむすび、とはいったいぜんたい、だれのことじゃいな。高皇産霊神(たかみむすび)さまは、このわしたち葛城族の先祖神として、すぐそこの高台にある高天彦(たかまひこ)神社で、古代からまつられてきてるのじゃぞ」
「ざれごとを、おおせになられるな!こんりんざい、たかみむすびさまが、ふたり、いたなんてこと、あるはずがない!」
「馬鹿者め。タカミムスビさまはずっと昔からわしらと一緒に、そこの高台におはしまするぞ。かつての我らが葛城の大王(おおきみ)、アジスキノタカヒコさまも折に触れては、そのにぎった鋤の手をおやすめになり、高天彦神社におむかわれて御手を合せておられたからのう。あんたの言われる天孫降臨とやらの高皇産霊神(タカミムスビ)こそが、偽物なんだろうが」
「たわけたことを、おっしゃい!」
その時だった。地響きのようなものが上空にとどろいた。恫喝とも思える最後の言葉が吐かれたあと、ようやく閉じられた唇を俺はぐっと噛んだ。空を見上げた。もうすぐ、夕立なんだろうか。今、この道端から、なにかが蠢き、はじまろうとしてる。そうだ、ぼおおくたちは、奇跡を、まあっています・・・ええっ?なんだって?
「・・・ぼおおくは、今、じっぱひとからげの、お地蔵さんたちのなかにいます」
「はあ?」
しまった!これはやばい!
俺は自分の中いたはずのアジスキノタカヒコのことをすっかり忘れてしまっていた。これまでの土蜘蛛とのやりとりで張りつめてた思考が思わずひるむ。ひるんだのに合わせて、透き通った諏訪湖の湖底が忽然と上空に現れた。めいめいに桶太鼓を肩からぶら下げた、やおろずの土着神らが取り巻くそのど真ん中。幾重にも重なる山、また山を越えたところの、あの遠い諏訪湖の彼方から、威丈高(いたけだか)に叫ぶタケミナカタの声が、いまこうやって、ここにまで聞こえてくるのがわかる。
「そこの童貞やろうが、わしらのことをおまえらとは、十把一絡げ(じっぱひとからげ)に、よくも、こきゃあがったな!」
・・・じっぱひとからげ。そうか、やつも、この言葉を嫌っていたんだった。
目深に被った甲冑の奥深く。じっぱひとからげ。その言葉。真っ赤な鎧兜の中。漆黒の闇から白い牙を剥き、一匹の狼の雄たけびとなって見えない月に向かい、吠え続けてる。雷雲の入り乱れてうねる開闢の空、何かが音を立てて息巻いている。神羅万象の湖底。地上での正義と正義。唾(つばき)をとばす鎧兜の口角。表日本のアマゴと裏日本のヤマメ。両者をつなぐ壮大なミッション・・・それら事象のことごとくが、俺を威圧してきた。
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