第54話

瞬く刹那の切っ先。稲光のあの雲間。檜皮葺屋根に交差する2本の千木が天空を突き刺している。それが稲光に浮かび上がったのを見た。八雲立つ古代出雲の大社。32丈(96メートル)もの高さを誇る檜皮葺屋根だった・・。雷雲の中から初めてその姿を現したタケミカズチ。その天空の屋根に下り立ち、フツノミタマノツルギをその手に奪い取った。その情景がデジャブのようにカタカタと音をたて、コマ送りの古い映画フィルムのように俺の海馬側頭部あたりで鳴って揺れる。


しかし、ここは奈良の葛城の地のはず。俺は自分の両の視神経を、ぐっと眉間に集中させた。力の限り空の雲間、頭上の一点に覚醒を試みる。見える何かが。あの雲間から・・。俺の立つ地上に向かって斜めに伸びてくる光のようなもの。それが諏訪湖のときのように、見る見る鮮明に映し出されてきたぞ。空中の虹か?いや違う、あのメタリックな輝きは空から諏訪湖底を突きさしてきたプリズムと同じ。水底の壁画だ。そうか、ヤマメとアマゴの仕業だったんだ。分水嶺を隔てたその両者が諏訪湖で同時に水中を跳ねて、描かれたその刷毛。そこから泳ぎ出した、延々と続くプリズム。それがこのようなプロセスをかたちつくっていたのだ。だとしたらここはまだ、諏訪湖の湖底なんだろうか。そして塩尻峠を越え、穂高連峰を超え、虹となって中国山地の遠い向こう側へとアーチを掛けているのだろうか。あの虹、ひょっとしたら日本の反対側、日本海の出雲の地までつながってるのかもしれんな。


こちら側の大地に流れてくる虹、手を伸ばせばすぐにでも掴めそう。しかし空のずっと高いところでその先端が途切れていたのを知る。俺は背伸びをして、空に手をかざしてみた。砂浜の底深い岩盤に打ち立てた、古代出雲の大社の高い宇頭柱が手の指の先に見える。古代出雲のお社が見える。天空高いところで支えている宇頭柱。俺の指の先に何かが触れる。ふと、口角から泡を飛ばして檄を飛ばしてた、血気盛んな赤ら顔の男のことが頭によぎった。葛城のあの男、すこぶる逞しかったな。無念にも古代出雲の大社の大普請で、宇頭柱の下敷きになって死んでしまったが・・・。


かざした指の隙間から誰かの声が降ってくるよ。

「葛城族の叡智とはなんだったのですか!」


・・・これって、誰が言った?


アメノウズメさんよう、聞こえてますか。古代神代の出雲大社の天空で、あなたはあの時、一喝されましたよね。あの場面、たしか葛城氏と物部氏らの重鎮らが並んでいたような気がする。32丈もの古代出雲大社の竣工式典だったか、それとも古代出雲大社へのフツノミタマノツルギ(実はアメノムラクモノツルギでもあった!)の奏上式典での時だったか、記憶は定かでないがね。あなた、アメノウズメさんは誇り高き出雲は亀甲の紋柄を両袖に翻し、出雲阿国の歌舞伎さながらに天秤ふいごを踏みしだき、おもむろに重鎮たちの面前で立ち上がりましたね。そしてアジスキノタカヒコに対し、炎の形相で迫った。

「葛城族の叡智はそんなちっぽけなものじゃ、ないはずです!」・・・


・・・だけども。だけども、それもこれもすべての所作は、実をいえば安曇族中臣からのミッションだったのでしょ?神代の古代葛城の大王を騙すための。ちがいますか?一流の演技女優だよ、あんたは。今ここに、私と一緒にいるアメノウズメさんよ、俺の声が届いてますか?届いてるならこたえて下さい。そもそもあなたはいったい、もともと何者だったのですか?あなたの目的は何だったのですか?



・・・道端、小さな石地蔵が笑っている。いや、目鼻立ちがすっかり削げ落ちてしまっているから表情自体はわからない。しかし笑みだけはこちらに投げかけてくるように思える。ここ?葛城古道だよ。だって、足元の道が真冬の霜柱が解けてぬかるんでいるから。濁った水たまりに、もうすぐ真夏の夕立が降り注ぐ。


「さきほどは、なでてくれて、ありがとう」


ふいに、男の声が聞こえてくる。日本昔話のアニメに出てくるナレーターのおじいさんのようなしゃがれた声。このお地蔵さんがしゃべってるのかしらん。しかしこの石のお地蔵さん、よく見ると頭の中ほどまで割れたようにえぐれてるよ。もとはどんな顔をしていたんだろう。きっと1500年以上もの悠久の年月のあいだに、多くの人間たちの手のひらで顔面を剥ぎとられていってしまったのだろう。略奪と殺戮、か。おっと、いかんいかん、ついついものごとを悪い方へと考えてしまうからな。それにしてもなあ、首から上のその表側、泥とも判別しかねる苔が蜘蛛の巣のようにへばりついて付いているな。俺は幼いころ、ほんとうにこの気色悪いお地蔵さんの顔を撫でたんだろうか。


「・・・じっぱひとからげ・・・」

「はあ?」

また何か言ったぞ。

「・・・十把一絡げの土蜘蛛(つちぐも)なんです、私たちは・・・」

「じっぱひとからげ?」

つい最近、どこだったかで聞いたむずかしい言葉だ。しかしどこで聞いたのか、すぐに思い出せそうにない。


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