逆上

ダリダ石川

第53話

ノンレム睡眠の降下にからだが少しずつ傾いていくのがわかる。片手でクラッチレバーを動かすギアがシフトアップする。合わせるように身体が一段、二段と、加速の中へゆっくり溶けていくようだ。霞んだ遠くのレム睡眠の方角から聞えてくるのは車内アナウンスのよう。


・・・・バスは、このまま逆上行きに向かいます・・・


そうか、逆上行バスだったのか・・ああ、このバス、まえにも乗ったことがあるな・・・今度は何処へ行くのだろうか・・・サルタヒコさま、昨夜はぐっすり眠られましたでしょうか。男のアナウンスが聞こえるな。岡谷での逗留はいかがでしたでしょうか・・・背骨が大きく前のめりに湾曲した寿老人のような男がひとり、杖をついていているのが見えました。杖をつきながら諏訪湖の上を歩いておられました。わたしはホテルの屋上からこの不思議な現象を眺めておりました。しかし心の中は手すりをぎゅっと掴み、右と左、それぞれの蝸牛の空洞を点検し、巡回し、縦軸と横軸をたてなおそうと懸命にもがいてました。


そう、おかしな夢を見たものだった。あの老人、「おおみかみが、このひのもとに、ふたりいるのは、おかしい、おおみかみは、ひとりでいい、もつれたおびを、ひもとく、てだてが、みつからない」と鼓膜の裏側の、耳鳴りの狭間でつぶやいていた。湖面を歩いてたあの老人、ええと、なんという名前だったかな。河童橋の芥川龍之介?ちがうな。松本駅でそそくさと別れた、黒のショルダーぶらさげた教授?いや、ちがう、ちがう。そうだ、思い出したぞ、どこかしらんの神社からやってきましたと言ってたぞ、わたしはオモイカネですと言ってたぞ・・・


・・・おおみかみ、とは?ああ、大御神(おおみかみ)のことだった・・大御神というのは、二重に称えた特別な敬称らしい。世の中ではほとんど知られてないのだが、生まれた時から大御神と称されていたのは、古事記のあまたある神々の中では、天照大御神(アマテラスオオミカミ)と、迦毛大御神(カモノオオミカミ)の、ふたつだけだとオモイカネさんは語っていた。カモノオオミカミというのは、一言主の神、つまりアジスキノタカヒコさまのことだとも付け加えて。しかしなぜ、アジスキノタカヒコが大御神となってたのか、理由は昔も今もわかっていないらしいが。


一言主神社・・今年の初詣・・ひとり逍遙した葛城古道、いや隣にはキャバクラで知り合った女性がいたような気もするのだが・・そのあとに立ち寄った因幡の白うさぎ。まだ子供たちが小さかったずいぶんとまえの一コマがたちはだかる。海岸線に打ち寄せる日本海の荒波。雪をかき分けて走るトラック。またトラック。国道沿いの狭い路肩。真冬のアイスクリーム。小さな自販機。


・・・「パパも食べてみたら」・・・

・・・「寒いからいらないや・・・どんな味がするのかな」・・・

・・・「クールミントだよ」・・・


クール、・・・クール、・・・。トランジスタラジオで覚えたばかりのハイカラな言葉が間違えずに言えたから。向こうの道端に豆腐屋さんの看板が見えた。看板が近づく。チューイングガムの甘いにおい。クールというのはチューイングガムのこと?・・・クール、クール・・・保育園の年中さんだった俺は、泣き声の狭間に、思い出したようにその言葉を刻みながら自身の発語をたしかめてた。そう、きっとこうやって子供というのは言葉を覚えていくのだろう、と幼心にも思ったものだった。だけど、戻らない過去が横たわってる・・・。目蓋の向こう側の、道端の瓦屋根の軒並みが、涙でにじんで、にじんでるのに、どうすることもできずにひたすら走ってる。自分のうしろ姿。


・・・豆腐屋さんの看板が横を通り過ぎていきました。あとすこしで僕は、怖い神谷先生のいる保育園へ着くのです。しかし思うようにはつきませんでした。アスファルトの道は、ぬかるみでした。ぬかるみのこの道、葛城(かつらぎ)古道を私は走っていたようなのです。今年のお正月でしたからはっきりと覚えてますよ。そうして、またもや偶然の一致に来てしまったのかしらんと思いました。何かしらの目に見えないものによって、しかしいつも、どうしてもこうなってしまう・・・哀しいところ。


見ると吐く息が白いんです。でも季節はやっぱり夏だったようです。むし暑くて身体中に汗をかいてます。狭い古道は田んぼ道の中に延々と続いてます。大人なのに、まだ幼い僕にはとてつもなく長い道に見えます。


このあたり、大和朝廷成立の前夜の、ちょうど神々と天皇との間の、もやもやしててよく見えないところらしいです。でもこうして遠くを見遣ると、靄に包まれた大和三山が見えます。もうすぐ夕立、僕たちは奇跡を待っています。黒いかみなり雲が奈良盆地の空に垂れこめています。


お正月だというのに、相も変わらず古道の往来はがらがら。人っ子ひとりとしていません。槙の木がのっぽにのびてて蝉が鳴いています。真夏の白いTシャツが一枚、寒空を飛んでいます。道端にはところどころ、小さな石のお地蔵さんがいました。一度、立ちどまって撫でてみました。すると、よろこんでくれました。撫でてあげて、よかったなあと、ぼおおおくはそのようにそのときにおもいました。


・・・・


一言主神社の一の鳥居をくぐったすぐの左手に、四角い枡のような井戸が見えてきます、大きな石が載っていて塞がれてます、「蜘蛛塚」と書いた案内板がたってます。

・・・・・・

「ああ、これが土蜘蛛(つちぐも)の墓なのか」

わたしは、オモイカネさんの言ってたことを思い出しました。ゆっくりと歩み寄って、その塞がれた大きな石を撫でてみました。「人であって人であらず」と言われたこのあたりの土着の民たちのお墓です。神代の時代に、ことごとく抹殺されて、胴体、首、手、足を分断されて井戸深く埋められました・・・。


かつて、この日の本のどまん中に御柱をつったてて、天下にその名を知らしめた葛城族の誇り高き天地がここにありました。出雲はアジスキノタカヒコがここ、葛城山麓の荒れ地を訪れ、出雲でつくられた千丁もの鉄製の鋤(すき)で開墾した、田畑の宝庫ができあがりました。しかし時の権力者たちに無残にも略奪され、葛城族の栄華も日の本の歴史からあとかたもなく抹消されてしまいました。併せてアジスキノタカヒコの神格は古事記、日本書紀、続日本紀と、時を経るごとに、まつらわぬものとして次第に疎まられ、挙句の果てには遠いところに流刑されてしまいました。



「あれから1500年たったのか」

そう言って俺はひとりごちた。まだ姿の見えないアジスキノタカヒコさまとアメノウズメさまを引き連れているのを後ろに感じながら、そろりそろりと一言主神社本殿の脇にある巨大な銀杏のご神木に近づいてみた。めくれ上がった根方には古びた空洞がある。空洞にぶらさがる夥しい乳房。あの時と同じように、両手を伸ばして、俺は一番大きい乳房をわしづかみにした。握ってみる。ざらりと、堅い木、だった。これ、乳房じゃあないな。どうしてなんだ?


「諏訪のタケミナカタさまよ、もう一度、おれの股間を、この萎えたままのおれの股間を、節くれだったその逞しい手のひらで、潰れんばかりに、わしづかみしておくれよ!」


そう言って、動かない巨木を仰ぎ、一言主神社境内の空を見あげた。幾層もの垂れ込めた雷雲の隙間に、稲光が一本、光って消えた。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る