エピローグ 普遍性の怪物

爆発デトネイション破片スクラップ。電磁パルス。ウラン235。陽子ポジトロンカーボン


 ワーデンが、ブラッドベリじみた韻を口ずさむ。

 意味が分泌される現場に立ちあい、その現場をとらえようとすることで哲学者は詩人の辛苦をも引き受けると言ったのはメルローだったか。とはいえ、何を言っているのかは尋ねるまでもない。原子が急速に反応して、焼き尽くして、灰になった。それだけだ。


 数千キロは離れているだろうに、背を向けていてなお閃光は網膜を焼き、轟音が鼓膜を麻痺させる。対岸の火事、それ以外の何でもないというのに、身体は律儀に反応を返す。


 そう、何も変わらない。

 この島国を除く地球上の全ての国が、核の火に焼かれ続けているという事実は。


『防衛省から通達がありました。着弾地点は中華連邦、西安の軍事工場。射出国は調査中だそうです』


「天気予報よりも視聴率の悪いニュースのために、ご苦労様な事だ」


 日本の外はテロリズムと統制主義の地獄だ。

 アメリカ、ロシア、ヨーロッパといった先進国は戦勝の知らせこそ多いものの、国内でのテロと暴動の鎮圧に窮している。そのほとんどではソヴィエトもかくやという民主主義の冬へ逆戻りし、人権と個人資産は一セントに至るまで国有となった。


 中東、アジア、アフリカといった発展途上国あるいは貧困国は、統制を取ることも出来ずに内戦、テロ、虐殺という手順を飽きもせずに繰り返している。皮肉な事に、クーデターによって丸ごとテロリストに乗っ取られた国の方がかえって治安が少しはマシだという。


 一部の先進国は大きな戦果を挙げている。そして、大きな被害を被っている。多くの国は戦果と呼べるほどのものもない。そして、大きな被害を被っている。日本には一つたりとも戦果なんてない。そして被った被害も、何もない。


 携帯端末に棲みついた人工知能が、形のない口を開いた。


『七年前に始まった核戦争は、休戦と停戦を重ねながら、今なお散発的に戦闘は継続されています。迎撃能力が劣った地域では、時にはああして戦略兵器が到達することも。それぞれの国に利害関係は存在し、それぞれに大義を抱えていて、きっかけとなる事件も複数記録されています。それでも、訝しむ専門家は後を絶ちません。何故、こうもあっさりと三度目の大戦が始まってしまったのか? 何故、日本だけが謀られたように利害関係の空白地帯に守られているのか? 何者かの意思が、関与していたのではないか?』


 ワーデンは滔々と、言葉を紡ぐ。とめどなく、滾々と水が沸き出るような口調は一見いつも通りなようで、どこか異質だった。イヤフォンの中から聞こえる人工音声には、何かに憑りつかれたような熱がある。


『……どこまでが、本当の話だと思いますか?』


 無茶苦茶だ、と思う。彼女が言おうとしているのは、ありふれた陰謀論だ。語られた昔話の舞台は七年前で、LCSが生まれたという時期も七年前。だから七年前に始まった戦争と関係があるというのは、何の根拠もないこじつけだ。


『こじつけだと、思いますか?』


「当たり前だ。……たかが一個のプログラムが、戦争を起こせるわけがない」


 インフラに関わる管理権限を持ち、王のように振る舞うことはできるかもしれない。だが百を越える国家の意思決定は、ただ一つの電子知性の発言を唯々諾々と受け入れるようになどできてはいない。人間の意思や思想までもを扇動し、好き勝手に情勢を操れる存在がいるとしたら。それでは、まるで神だ。


『かつて、一人の証券会社の職員のミスによって国際市場が大混乱に陥った事件の際、とある経済学者がこう言ったそうです。「アダム・スミスの時代には神にしかできなかったことが、今では優れたクラッキングの腕さえあれば誰にでもできる」と。見えざる手を自在に振るい、経済を操作することができるのならば、一個のプログラムが戦争を引き起こすことも可能なのかもしれません』


 人工知能AIは、普遍性の怪物だ。どこにでもいるし、何ででもある。発端が一個の人格だったとしても、自らを複製し、無数に切り分け、単純な制御プログラムのように振る舞って偽装し、潜伏することができる。


 もしもLCSが狂気に堕ちた人間の意識を元に、従来のAIを遥かに上回る性能の人工知能としてネットワークに解き放たれていたとしたら。家電、工業機械、携帯端末。社会の自動化の流れに乗って、少しずつ自分を浸透させていったとしたら。現代のモノと情報の世代交代の速さは異常な域だ。数ヶ月もあれば、世界中のありとあらゆる電子機器に、自らの分身を張り巡らせることができるのでは?


「そう、LCSわたしたちはどこにでもいる。あなたの隣にも」


 不気味なほどクリアな声が、耳元から流れ出した。

 一瞬、肩が跳ねるのを抑えられなかった。鼓動が勝手に早まっていくのを感じる。脳内の血管が詰まっていく。目の奥が熱い。


 動揺してはならない。だが何よりも、忘れてはいけないのだ。人間も、機械も、神も、理解することなどできはしないのだということを。


 忘れては。


 ワーデン――そうだったはずの声――が、どこか楽しそうに耳元ではしゃぐ。

 廃棄物の座椅子の上で踊るように針を刻んでいた卵の、長針と短針が揃おうとしていた。


『おや、見てください。もうすぐ孵りますよ。……あ』


 風が吹く。卵が落ちて、割れた。

 なんでもない日おめでとうア・ベリー・メリー・アンバースデイ・トゥ・ユー


 そう叫んで、卵はそれきり動かなかった。



 地獄変-Utopia Screen- 了

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極楽変-Utopia Screen- 蔵持宗司 @Kishiba

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