閑話・魔術ギルド 肆

「私達の勝利ね!」

「お美事ですわ、姉さま!」


 古くから魔法使いの決闘は数多く行われてきたが、くすぐりによって勝利を納めた魔法使いはフロース姉妹が初であろう。 それは同時に初めてくすぐりで負けた魔法使いという屈辱的な称号をフィーリアが冠する事になる事を意味している。


「いやはや予想外です。 まさかそう来るとは思いませんでした。 本当に楽しませてくれますねぇ」

「よもや、我等があのような屈辱的な姿を晒そうとは……生き恥すぎるぅ……」


 たかが小娘と侮っていたとは言え、フロース姉妹に敗北を喫した事は事実であり、気位の高いフィーリアにはそれが耐え難い屈辱のようで、先程からくちびるを噛み締めて目に涙を浮かべている。


「あっはっは~、くすぐり責めされてるフィーリア、すっごく可愛かったですよぉ? ちょっとやらしかったですけど」

「だまれぇ、このしれものぉ……」


 姉妹に敗北した事が余程堪えたのか、フィーリアの口調にはいつものような高慢さがなく、しおらしくしている。


「そういえば、『決闘の敗北者は勝者に全てを差し出す』 って決まりがあってですねぇ。 この娘の事はお二人が好きにしちゃっていいみたいですよぉ?」

「覚悟ならとうに決めておる。 きさまらの好きにするがよい……」


 クロエが口にした決闘の決まり事は大昔のものであり、今日日そのような理不尽がまかり通る謂れはない。 しかもクロエは単にそっちの方が楽しそう、という理由でこの決まりを後になって持ち出したのだ。


「へぇ? そうなのね…… それなら私がじっくりたっぷり可愛がってあげようかなぁ?」

「ひぃっ!?」

「姉さま、おふざけが過ぎますわよ?」


 同意の上での決闘とは言え、妹を傷つけられた事で気が立っているのか、いつになくリリアは嗜虐的だ。


「冗談よ、冗談。 私達も悪かったわ。 自分の大切にしてる人を悪く言われて怒るのは当然の事だしね。 あなたのご主人様を幼女趣味よばわりした事を謝罪するわ」

「……そうですわね。 わたしも仮に姉さまの事を誰かに侮辱されたとしたら、相手の方の命の保証はしかねますもの。 フィーリア様、わたし達の無礼な態度、申し訳ありませんでした」

「きっ、急に畏るな! 今まで通りでよい。 きさまらは我等と決闘し、勝利したのだ……頭を撫でるくらいなら我慢してやる…」


 久遠の守り手ゲニウス達は普段滅多に人前に姿を現さずに王都を守る孤独な守護者であり、心の何処かで自分と対等に接してくれるフロース姉妹のような存在を待ち望んでいたのかも知れない。


「フィーリア〜! 可愛い〜!」

「ぐぇっ! 急に、抱きつく、な!」

「姉さまだけずるい… わたしも……」


 完全に打ち解けあったフィーリアと姉妹をクロエは遠巻きに眺めている。


「恐ろしい姉妹ですねぇ。 エイミーだけでなく、フィーリアまで攻略するとは…… やっぱりリリアさんのギルドの女の子に九股疑惑は真実なのでは?」

「蒸し返さないで下さい! それは嘘ですから!」

「本当に姉さまは仕方のないひとですわね…… ところでわたし達は何のために魔術ギルドに来たのでしょうか?」

「……? 女の子を攻略しに?」

「目的を忘れないで下さいよぉ! より強い魔法の習得の為なんでしょう? あと私につっこみ役をやらせないで下さい!」


 いつの間にかマイペースなクロエまで姉妹のペースに巻き込まれている。


「ふふっ、本当に調子狂うなぁ。 約束通りたくさん楽しませて頂いたお礼にお二人の魔法について、私なりの助言をさせてもらいますね」


 飄々とした態度からは想像もつかぬことだが、クロエは本来魔術ギルドきっての実力者であり、魔法に関する知識はフロース姉妹のそれを遥かに凌いでいる。


「ぱっと見たところ、お二人の使った魔力付与、身体強化、攻撃魔法その全てが高い練度で研ぎ澄まされている様に見えます。 攻撃魔法に関して言えば、力線が一本に収束している為に魔力の消費量に対して効果が有り得ない程に高いようです。 普通の魔法使いが必死になって少しでも力線の収束率を上げようとする中で、お二人だけが我々が決して辿り着けない地点にいる」

「これがわたし達にとっては普通なので、あまり実感がわかないのですが……」

「羨ましい限りです… 次に百合魔法使いの特性として感情の高鳴りによってほぼ無尽蔵に魔力を生み出せる、これもどうやら間違いないようです。 明らかに空間中に存在しない量の魔力を消費しないと発動不可能な魔法を使われていましたし、 隔絶の精霊結界サルコファグスの内部で魔法を使えたのが何よりの証明です」

「その日の体調や精神状態に左右される事もあるけど、だいたいその通りね」

「しかし、力線の範囲の狭さ故に近接戦を主軸に闘っている、ということですね。 実際お二人の闘い方に無駄があるとするなら、その膨大な魔力を活かせていない点だと思います」


 たった一度の闘いを観ただけで百合魔法使いの特性を見抜く、クロエの魔力視の精度は驚くべきものである。


「近接戦を主軸にするなら、おあつらえ向きな魔法があるかも知れません。 ……少しだけ試してみましょうか」


 クロエは意識を集中させ、闇の魔力を集めて自らに纏わせるように魔法を紡ぎ出す。


漆黒の纏衣ダークローブ


 それは闇の魔力によって編まれた、底無しの深淵を体現したかのようなローブだった。 "漆黒の纏衣"は魔力によって具現化された物質特有の異質な存在感を放っており、纏う者自体が闇と同化しているかのような錯覚を生むことで視覚的に捉えるのを困難なものとする。


「これは纏衣てんい魔法と呼ばれる類いのものです。 体を動かすのは苦手なのですが、 この状態で少しだけ動いてみます」


 クロエは影に沈み混むように静かに、それでいて目で追うことが困難なほどの速さで、リリアに対して迫った。


「なっ!? 速ッ…… 消え、た……?」


 リリアがそう錯覚するのも無理はない。 クロエの見せた動きは視覚的な撹乱効果を差し引いても捉えることが不可能に近い、人の限界を遥かに越えた身のこなしである。


「私ならここですよ? リリアさん」


 クロエは一瞬にしてリリアの背後に回り込んでいた。 身体能力が優れているとは言えないクロエに、このような動きを可能とする纏衣魔法とは如何なる業であろうか?


「どうなっていますの? まるで死霊レイス邪影ジェイドみたいな動きでしたわ」

「纏衣魔法は物質化させた魔力の衣を纏うことで物理法則から解き放たれ、魔法法則が支配する領域に踏み込むことを可能とする業です。 そして属性に応じた様々な恩恵と高い魔法的防護効果をあわせ持つ、正に究極の戦闘衣なのです」

「でもこんな魔法使ってる人、今まで見たことないわよ?」

「それはですね……」


 クロエが言い終わるが早いか、彼女が纏っていた漆黒の纏衣は淡い光と共に魔力がほどけ、虚空へと消えさった。


「調子に乗って究極の戦闘衣とか言っちゃいましたけど、この魔法は維持する為に必要な魔力の消費量が桁違いに高い為に、あまり実戦向きではないのです」

「なるほど、理解したわ。 確かに私達向きな魔法みたいね」


 多量の魔力消費を伴う代わりに、物理的な限界すら突破し得る力を与える纏衣魔法。 これ程までにフロース姉妹に向いている魔法は他にないだろう。


「感覚的には身体強化と魔力付与を同時に使うような感じですかね。 それと魔力を糸のように紡いで形作るイメージです」


 魔法を扱う上で想像力は重要な意味を持つ。 魔力を集め力線を展開し、また収束させ魔力の放流に乗せて魔法を作り出す。 その一連の流れを如何にイメージ出来るかが、正否を分ける。 魔法を使う際に名称を発声するのも、より強固なイメージを固める為である。


「新しい魔法を創るなら、まずどの系統にするか決めます。 今回なら纏衣魔法ですね。次に属性はどうするか、効果・範囲・威力はどうするかを決めましょう。 後は名前も決めた方がいいですねぇ」

「そんなに難しく考えた事なかったわね…」

「わたし達は気づいたら新しい魔法が使える様になっている感じですわね……」

「天才ですか!? 嫌味だなぁ」


 フロース姉妹の使う百合魔法は二人だけのオリジナルであり、その全てに花の名前が使われている。 これから姉妹が創り出す事になる纏衣魔法、殲滅者の纏衣リコリス・ラジアータも彼岸に咲く深紅の花から名付けられている。


 "殲滅者の纏衣"を纏ったフロース姉妹は、これから先も夥しい量の鮮血を浴びて、その深紅の花をより一層紅く染めることだろう。




 ◇◇◇




「……結局ものの数時間で纏衣魔法をモノにして帰っちゃいましたねぇ。 あの二人…」

「全くもって無茶苦茶な姉妹であるな…… あの姉妹は、ほんの少しだが我等が主人アルカナム様に似ている……」


 昔を思い出しているのか、フィーリアは何処か寂しげな様子だ。


「それで、どうだったんですか? あの二人」

「奴らの魔法的脅威度は高く見積もっても殺戮者スレイヤー級、と言ったところであろうな……虐殺者カルネージ級の貴様には及ばぬ」


 フィーリア達、"久遠の守り手"は魔物や魔法使いに魔法的脅威度を定めており、一定以上のものや王都を脅かす可能性のあるものには監視・封印・殲滅のいずれかの対処がとられる事になる。


「あの姉妹、私なんかより絶対ヤバいですよ? 妹ちゃんを傷つけられた時のリリアさんは、明らかに異常な殺気を放ってました。 多分今までに相当殺してるんじゃないかなぁ?」

「それが分かっていながら、あのような魔法を教える貴様もどうかしておると思うぞ?」

「だって〜、気に入っちゃったんですもん、あの二人。 また会える日が楽しみだなぁ」


 クロエは好奇心に瞳を輝かせる。 光と闇。 その二つの相反する魔力を操る彼女の心はどこまでも純粋で、正義や悪といった枠組みを超えて行動する危うさがある。


「相変わらずであるな、貴様は。 心配せずとも遠くない未来、我等は再び会うことになるであろう……」


 姉妹の進む未来に待ち受ける脅威は竜だけではない。 フィーリアの予言めいた言葉はそれを暗示しているのであろうか? いずれにせよフロース姉妹の未来には、これまで以上に激しい闘いが待っている事だけは確かだろう。









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