追憶・運命の双子

 薄暗闇が広がる部屋のベッドの上で、魔法のランプの淡い光だけがフロース姉妹を照らしている。


「エリス、ちゃんと脚開いて見せて… ?」

「恥ずかしいですわ… 姉さまぁ」


 エリスが羞恥を覚えるのも無理はない。 彼女のやや上気し、赤みが差した肌を覆い隠すものは何もなかった。


「恥ずかしがる事なんてないでしょう? エリス…」

 

 リリアのしなやかな指がエリスの背中をなぞる。


「ひゃっうッ !?」


 軽く指が触れただけでエリスの身体が大きく跳ね、熱い吐息が漏れた。


「分かりましたからぁ… 全部見てください、姉さまぁ…」

 

 完全に身体を明け渡したエリスの全身に、リリアの視線が注がれる。 その行為は姉妹にとって重要な意味を持っていた。

 

 エリスの肌は冒険者としては不釣り合いなほどに白く、透き通るほどに美しい。 しかし、その身体の各所には痛ましい痣が浮かんでいた。

 

 竜の呪い痣——それはエリスの肉体に刻まれた竜の形をした死の呪印。 やがてその痣はエリスの肉体を覆い尽くし、その命を奪うだろう。


「右脚の痣、ちゃんと消えてる! エリス、本当に良かったぁ…」


 そこにはかつて暴食の大竜、ニーズヘッグを象った呪いの痣が刻まれていた。 竜の呪い痣を消し去る方法はただ一つ。 この世界に存在する原初の罪を司る強大な存在——即ち五体の竜たちを全て殺す事だ。


「良かったよー! エリスぅー!」

「ちょっ!? 姉さま? 」


 感極まったリリアがエリスに抱きついた。 それも無理からぬことであろう。 ニーズヘッグを殺した事でエリスを蝕む竜の呪い痣は一つ減り、残り三つとなっていた。


「エリスぅ本当に良かった… 」

「姉さま…」


 すがり付き、目を潤ませたリリアをエリスは抱き止める。 重なり合う鼓動と体温が溶け合い、フロース姉妹の心は様々な感情で満たされた。 愛しさ、幸福感、安信感、そしてお互いを喪ってしまうことへの恐れ。 不安を打ち消すように長い間、姉妹はそうして抱き合っていた。


 最愛の姉との至福のひと時を過ごしていたエリスであったが、実のところベッドの上で全裸のまま姉と抱き合っているという状況に、彼女の理性は崩壊寸前であった。


 エリスが姉に対して抱いている愛情や憧れは、時折彼女に抗い難いある種の肉体的疼きをもたらした。 彼女は愛しい姉と抱き合う度に、キスをする度に感じるそれらの疼きを、一人でいる時に自らの手で静める事が度々あった。


「そっ、そろそろ離れてくださいまし、姉さま!」

「エリスぅ、もう少しだけこうしていよう?」

「駄目です! もう服を着ますからあっちを向いていてください!」


 エリスは甘やかな空気を打ち砕き、ぴしゃりとそう言い放つと、リリアを強引に引き剥がす。


 姉に対して背を向けたエリスに背後から視線が注がれる。 リリアのその視線は、妹の背中に今はもう存在しない何かを幻視しているかのようだった。


「昔を思い出していたのですか? 姉さま」

「やっぱりエリスには隠し事できないなぁ」


 まるで心を読んだ様な妹の言葉に、リリアは内心驚いていた。


「わたしも思い出さない日はないですわ。 子どもの頃の事も、あの家での事も、母さまの事も」


 ふたりの脳裏に様々な思い出が甦る。 強く、優しかった母親の記憶。 残酷な運命を告げられた日の記憶。 そして始めて竜を殺した日の記憶。


 それらについて語るなら、今から十年以上の時を遡ることになる。




 ◇◇◇




 森の中に響き渡る赤子の泣き声をレヴィ・フロースは忌々しく思った。 この森には彼女の住む家があったが、好きこのんでこの地を訪れる者はいない。 何故ならこの森には人をとって喰らう正体不明の魔物が住まうとされており、実際に一昔前まで結構な頻度で中級以上の冒険者が、この森で行方知れずとなっていた。


 そのような経緯でこの森は帰らずの森と呼ばれていだが、お陰でこの辺鄙な土地に住うレヴィは、帰らずの森の魔女として周囲の村人から畏怖される存在になっていた。


 もっともレヴィの外見は村人が考える恐ろしい魔女のそれではない。 彼女の絹のような金髪は腰の辺りまで伸び、しなやかな身体には程よく肉がついている。 金色の瞳には強い意思が宿り、凛々しさと優雅さが完全に調和した顔立ちは眩い美しさを纏う女神のようですらあった。


 この森の魔物の平均的なレベルは決して高くない。 とはいえ泣き喚く年端もいかぬ赤子を放置すれば、すぐに魔物に喰い殺される事は明白である。


 レヴィは面倒事を嫌う性格であったが、その為に赤子を見捨てる程に冷淡ではなかった。


 レヴィが泣き声のする辺りの草むらを掻き分けて進むと、すぐにその声の発生源である小さな籠を見つけた。


 棄てられた小さな籠の中には二人の赤子が入っていた。 一人は燃える様な紅い瞳をしており、もう一人は空の様な澄んだ碧い瞳をしている。


「全く持って皮肉が効き過ぎてる。 この世界をお創りになった女神さまは、私に何をさせようっていうんだ?」


 その二人の赤子との出会いが自分に何をもたらすのか、レヴィは既に理解していた。


「まぁ悩んでも仕方ないし、取り敢えず家に帰るか…」


 そう独り呟くと、レヴィは赤子の入った籠を持って家路についた。


 レヴィの家は帰らずの森の中にある。 この地は決して住むのに適しているとは言い難いが、レヴィは結界魔法により、この森に自分だけの聖域を築いていた。


 結界魔法とは魔力により空間そのものを支配する術である。 当然ながら膨大な魔力を必要とするが、幸いな事にこの地には自然界に存在する魔力の巨大な流れ——地脈が流れており、レヴィはそれを利用して結界を作り出している。


 レヴィが二人の赤子を拾った場所から、森の中心に向かってしばらく歩いた所に、不可思議な光景が広がっていた。 草木がびっしり生い茂る中で、ある地点を境に植生が変化し、麗しい花園が円を描くように広がっている。 この地こそが彼女の創り出した聖域であった。

 聖域に着いたレヴィを一人の木の精ドライアドの女性が出迎える。


「おかえり~レヴィ、その赤ちゃん達なに~? 今晩のおかず?」


 その間延びした脳天気な声は眠気を誘う。


「そんなわけないだろ、オリーブ。 拾ったんだよ。 今日からここで育てる」


 オリーブと呼ばれたドライアドは彼女の種族の大半がそうであるように、のんびりとした穏やかな性格と可憐な容姿をしていた。


 ドライアドは基本的に、ある一定以上歳を取らない為、千年以上の時を生きる彼女に於いても、その外見的年齢は人間でいうところの二十歳くらいであった。 その全身からは蜜のような良い香りが漂い、翠の瞳を輝かせて笑顔を浮かべれば、周囲が華やいで見える。 やや緑がかった肌は滑らかで、髪の毛は蔓のようであり、オリーブはまさしく森の乙女と言った姿をしていた。


「あっはっは、どうやって育てるの~? レヴィおっぱい出ないでしょ~?」

「うっ… そこは何とかならないか? オリーブ」


 レヴィの要求は全く以って無茶振り以外のなにものでもなかったが、オリーブの反応は意外なものだった。


「なんとかなるかも~? ドライアドの蜜って森の生命力の集まりで、栄養たっぷりらしいから~」

「本当かっ! ならば早速頼む! 抱き方には注意してくれ、まだ首が座ってないからな」

「わかった〜二人同時はきついから~レヴィが一人はあやしてて~」


 オリーブは紅い瞳の赤子を慎重に抱きかかえると、授乳するような格好で蜜を与えた。


「あっはっは~いっぱい飲んでる~お腹空いてたのかな」


 オリーブは優しい表情で赤子を見つめる。


「この子、女の子だね~将来は美人さんになりそうだよ~、もう一人の子も女の子みたいだから美人姉妹だねぇ」


 オリーブが蜜を与え終わると紅い瞳の赤子は泣き止み、大人しくなった。


「オリーブ、この子にも頼む…」


 レヴィは必死で腕に抱いた泣き続ける赤子をあやそうと、あたふたしているが一向に赤子は泣き止む気配がない。


「あっはっは〜レヴィあやすの下手だねぇ」

「私も母乳が出せれば良かったんだが…」


 オリーブはやや落ち込んでいるレヴィから碧い瞳の赤子を受け取ると、慎重に抱きかかえて蜜を与える。


「たっぷり飲んで大きくなりなよ〜」


 二人の赤子に無事に蜜を与え終わり、げっぷを出させた後に、レヴィとオリーブは赤子をなんとか泣かしつけ、安堵の溜息をついた。


「なんで赤ちゃん拾ってきたの〜? 面倒事は嫌いなんでしょう?」

「色々あってね。 すまないが、これから面倒をかける」

「別にいいよぉ、なんだか賑やかで楽しそうだし〜わたしとレヴィの仲でしょう?」


 レヴィとオリーブは異なる種族で、価値観も性格もなにもかもが違っていたが、お互いを想い合う心は同じであった。


「それにしてもあの子たち、変わった瞳の色をしてるね〜?」


 二人の赤子はオリーブが草木で編んだ即席ベッドで静かに寝息を立てている。 今は閉じられたその瞳は、紛れもなく紅と碧の色彩を宿していた。


「変わっているのは眼の色だけじゃないさ」


 そう言ってレヴィは起こさないよう慎重に二人の赤子の服をはだけさせた。


 一人の赤子の肌はなんの変哲もない綺麗なものであったが、もう一人の赤子の肌には至る所に奇妙な痣が浮かんでいた。


「この痣、なんか嫌な感じがする〜」

「無理もない。 これはこの世で最も強い死の呪印、竜の呪い痣だよ」

「それっておとぎ話のやつでしょう〜? 百合魔法使いリリウム・マギウスと竜のお話の〜」

「あの話は一部始終を除いて本当さ。 可哀想に… この子達はきっと呪いを恐れた両親に捨てられたんだ…」

「なら、わたし達がお母さんになればいいんだよ〜」


 オリーブはそう言って花が咲くような笑顔を浮かべた。


「そうだな… この子達は私が守り、育てる。 今ここで誓うよ」

「わたしも〜一緒に、ねっ?」

「オリーブ……」


 同じ誓いを胸にした二人はしばらくの間、静かに見つめ合っていた。


「そういえば〜あの子達の名前を決めないと、だねぇ」


 オリーブが思い出したように言った。


「それなら実はもう決めてあるんだ。 紅い瞳の方がリリア、碧い瞳の方がエリスだよ」

「良い名前だね〜なにからつけたのぉ?」

「この世界を創造した双子の女神さまの名前さ」


 永き時を生き、少しばかりは言い伝えや歴史を知るオリーブであっても、その女神の名は聞き覚えがないものであった。


「レヴィは物知りだねぇ」

「まあね、私は神話とか歴史には結構詳しいんだ。 この子達の名も歴史に語り継がれる日が来る。 全ての竜を殺した百合魔法使いリリウム・マギウスの姉妹としてね」

「竜と闘うの〜? それは大変だぁ、いっぱい食べて大きくなろうね〜リリア、エリス」


 二人の母親から沢山の愛情を受けて、リリアとエリスはすくすくと育っていった。 近い未来に二人を待ち受けている残酷な運命を何一つ知らずに。


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