夢見る羊亭

 王都アウローラの商業区には幾つかの宿屋が建っていたが、その中でも一際目を引く建物があった。 増築と改築を繰り返して周囲の建物を取り込み、一つの巨大な建造物と化したその宿屋は夢見る羊亭と呼ばれていた。

 

 それは王都に住む者ならば誰もが一度は泊まってみたいと夢想する、最上級の宿である。 特に最高クラスとなる一等客室では天蓋付きベッド、魔力装置を用いた浴室、舌の肥えた王族の者すら唸らせる絶品料理等々まさに至れり尽くせりといった待遇であった。 当然の事ながら宿泊費もそれなりの額を要求される。


「姉さま、本当にここに泊まるのですか?」

 

 リリアに比べて常識的な金銭感覚を持つエリスは戸惑いを隠せない様子だ。


「勿論よ! お金は幾らでもあるのだから、どんどん使っていかないとね!」

 

 エリスには分かっていた。 姉の手に掛かれば、その幾らでもあるお金とやらが数日の内に消えて無くなる事を。


「姉さま、こんな調子でお金を使っていたら、直ぐに馬小屋で寝泊まりするような生活に逆戻りですわよ?」

「うっ… ぐぅ…」

 

 珍しくリリアの言葉が詰まる。 自分はまだしも愛しいエリスに再び極貧生活を強いる事は、妹思いのリリアには出来そうもなかった。


「分かってるわよーエリスぅ、でも私達は竜を一体倒したんだよ? お祝いくらいしても良いでしょう?」

「… そうですわね、今回だけ特別でしてよ?」

「もっちろーん! よし、そうと決まれば早速入ろう!」


 そう言ってリリアはエリスと共に、夢見る羊亭の戸口をくぐる。


「いらっしゃいませ! お客様」


 笑顔のまぶしい若い女の子の店員がフロース姉妹を出迎える。

 

 夢見る羊亭では魔法使いを雇用し、多数の使い魔を使役させる事で人件費削減を図っている。 その為人間の店員は比較的珍しい存在と言えた。


「お客様、お部屋の方はどう致しましょう?」

「一等客室に一泊させて貰うわ」

「あのぅ、不躾な事を申しますが一等客室は、お一人様あたり一泊十万アウルムでして…」


 その店員の表情は二人がその様な大金を持っているのかを訝しんでいるようだった。


「心配無用よ、支払いは魔法石でもいいかしら?」


 リリアは腰に下げた道具袋から二十万アウルム分の魔法石を取り出す。


「はいっ! 勿論です!」


 代金を受け取った女性店員は羨望と憧れに満ちた視線を二人に向けた。 装いは汚れていても、姉妹の麗しい姿は高貴な生まれに間違えられてもおかしくない。 その上、大金持ちとなれば憧れを抱くのは致し方ないことであろう。

 

 フロース姉妹を一等客室に案内し終えた女性店員は、簡単な部屋の説明をした後に恭しく一礼した。


「ではごゆっくりお過ごし下さいませ、お客様」


 そう言って退室しようとした女性店員をリリアが呼び止める。


「待ちなさい。 忘れ物よ」

「何か至らない点がありましたか!?」


 慌てて女性店員が問いかける。


「そうじゃなくて、貴女の素敵な笑顔に代金を払い忘れていたわ」


 リリアは女性店員の手に大きめの魔法石を握らせる。 それは優に彼女の一ヶ月分の給金に匹敵する代物であった。


「こんな高価な物、受け取れませんっ!」


 困惑した様子の女性店員はリリアに魔法石を返そうとする。


「受け取っておきなさい。 貴女にはこれを受け取る権利があるわ。 可愛い店員さん」


「はっ、はい…有り難う御座います。 お客様…」


 顔を赤らめた女性店員は、魔法石を受け取ると足早に退室した。


「姉さま、ああいうことをなさるのは感心しませんわ」


 エリスはリリアをジト目で見ながらそう言った。


「ああいう事って?」


 まるで何の事か分からないと言う様なキョトンとした表情でリリアが答える。


「だからっ! その… 初対面の女性を口説くような事、です…」


 リリアは時折女性に対してそのように振る舞うことがあり、それを見る度にエリスは胸の奥が締め付けられる様な感覚を覚えた。


「エリスの考え過ぎよ。 あれはただの感謝の気持ちだよ?」

「でもっ! 相手の方には誤解されるかもしれませんわ! とにかく止めて下さいまし!」

「あっはは、エリス嫉妬してるの? 可愛いなぁ」

「へっ変な事を言わないで下さい! 早く浴室にいきましょう、姉さま」


 顔を真っ赤に染めたエリスは足早に浴室に向かう。


「待ってよエリス~」


 エリスの後を追ってリリアも浴室に向かった。


 脱衣所で軽鎧と衣服を脱いで一糸纏わぬ姿となった姉妹は、お互いの身体を見やる。


 普段は軽鎧に隠された姉妹の肉体は、非常に魅力的であった。 豊満な胸にくびれた腰。 引き締まった筋肉とたおやかな柔肌の描き出す絶妙なコントラストは、芸術的とさえ言えた。


「エリスのお胸またおっきくなったんじゃなーい?」

「姉さま、それ毎回言っていますわよ?」

「お姉ちゃんには妹の成長具合を確かめる義務があるからねー♪」


 そう言ってリリアは手をわきわきとさせながらエリスに近づいて行く。


「止めてくださいまし。 早く身体を綺麗にしてしまいましょう。 姉さま」

「つれないなぁエリスは」


 姉妹のこのやり取りは二人の間で最早お約束と化していた。


「すっごーい! 広いよエリス!」

「すっごーい! ですわね!」


 浴室に入った姉妹は低下した語彙力で驚きを表現する。 二人で入るには余りにも大きな浴槽には湯が満たされ、中央の魔力装置からはこんこんと湯が湧き出している。


「この魔法文字ルーンに触れるとこっちの如雨露じょうろの先端からお湯が出るんだ! すごーい!」

「すごーい! ですわね、姉さま!」


 ひとしきりはしゃぎ終えた姉妹は魔法の如雨露で身を清めると、仲良く並んで浴槽に浸かった。

「生き返るねーエリスぅ」

「そうですわねぇ姉さまぁ」


 湯に浸かっているとまるで疲れが溶けだしていくようだ。 お湯にも何かしらの魔法が掛けられているのかもしれない。 姉妹は久し振りとなる湯浴みを存分に堪能した。


「さすがに長く湯に浸かり過ぎたわね…」

「そうですわねぇ姉さまぁ…」


 何故か途中から、どちらが長く湯に浸かっていられるかの、耐久戦をする流れになった姉妹は、完全に茹であがっていた。

 

 勝負は両者譲らずに、途中で倒れそうになったエリスをリリアが介抱する運びとなった。


「ご免なさい、姉さまぁ…」

「私の方こそ、意地を張ってしまってご免なさい…」


 リリアは湯上がりに使う布で身体を拭いて浴室から出ると、部屋に備えてある水差しをエリスの元まで運んだ。


「エリス、お水飲ませてあげるね」


 そう言ってリリアは水差しから直接口に水を含む。


「姉さま? んむぅっ!? ちゅ、ふぁ、ぷぁっ… ん、んふっ…」


 口移しで水を与えられエリスは困惑と恍惚の入り混じった表情でリリアを見つめた。


「姉さまぁ、水くらい自分で飲めますからぁ」

「そうだったの? 私はてっきりエリスが死んでしまうのではないかって、気が気でなかったわ」

「本当に姉さまは仕方のない人ですわね…」


 エリスの介抱を終えたリリアは、エリスと共に備え付けの寝間着に着替えて、部屋の呼び鈴を鳴らした。 すると何処からともなく魔法使いが使役する妖精シルキーの使い魔が表れる。


「ご用件があれば何なりとお申し付けください」

「晩御飯の用意をよろしく!」

「かしこまりました、直ぐにお持ちします」

 

シルキーの姿は立ち消え、それから直ぐに魔法人形ゴーレムの使い魔が料理を運んで来る。


 運ばれて来た料理は正に絢爛豪華。 この世界の美食を全て集めたような絶品料理の数々であった。


「この火蜥蜴サラマンダーの炭火焼き燃えてるのだけど大丈夫!?」

「こっちの魔蛸クラーケンの活き造りはまだ動いてますわよ!?」


 見たこともないような料理の数々に戸惑いつつもフロース姉妹は二人の晩餐を楽しんだ。


「そろそろ眠くなってきましたわねぇ」


 空腹を満たして一息ついた姉妹に穏やかな眠気が訪れる。


「そろそろ寝ようか。 おいで、エリス」


 そう言ってリリアはエリスをベッドに誘う。


「ねぇ、眠る前にエリスの綺麗なからだ、見せて…?」

 

 リリアは隣で横になっているエリスの髪を優しく撫でながら、熱を帯びた声で催促した。


「もう… 先程浴室で飽きるほど見ていたでしょう?」

「だってぇ、湯気とかで余り見えなかったのだもの…」

「本当に仕方のない姉さま…」


 エリスは恥じらいながら最愛の姉の眼前に生まれたままの姿を晒した。

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