嫉妬の邪竜編

王都アウローラ

 ニーズヘッグとの死闘を征し、長旅を終えたフロース姉妹を極光オーロラのような輝きが出迎える。 巨大な城壁にかけられた防護の魔法によるものだ。 城壁の内側には荘厳な石造りの建物が建ち並び、永きに渡る歴史を感じさせる。 此処は王都アウローラ。 この世界の中心と言われる都であり、姉妹の旅の拠点でもある。


「やっと帰り着いたわね… とりあえず湯浴みしたい… あとご馳走をお腹いっぱい食べたい…」

「そうですわね… とりあえず今は身体を綺麗にしたいですわ…」

 

 冥界の入り口から王都アウローラまでは歩いて四日程掛かる上に、途中で休憩出来る地点が限られている為、二人のうら若き乙女からはある種の濃密な香りが漂っていた。

 

 リリアはすんすんと鼻を鳴らしエリスの匂いを嗅ぐ仕草をみせる。


「大丈夫。 けっこう凄い匂いしちゃってるけど、これはこれでいい匂いだよ、エリス」

「やめてくださいましっ! 姉さまだって乙女が漂わせてはならない匂いがしちゃってますわよ!?」

「そうかしら? でもこういうの、なんか興奮しちゃうわね!」

「姉さまのへんたい…」


 エリスは心底呆れた様子で呟いた。

 このような状況下に於ける乙女の最優先事項は、湯浴みをして身を清める事であろう。 しかし、リリアの考えは違っていた。


「本来なら今すぐ夢見る羊亭の一等客室に向かいたい所なんだけど、生憎私達には十分なお金がないわ。 そこで先ずは冒険者組合ギルドに行くわよ」

「姉さま、この格好のまま行くのですか… ?」

「格好なんて気にしなくていいのよ。 冒険者ギルドなんて所詮、薄汚い荒くれ者どもの集まりなのよ」

「酷い差別発言を聞きましたわ…」

 

 入国手続きを済ませた姉妹は、歴代の英雄を象った白亜の彫像が建ち並ぶ英雄通りを抜け、商業区にたどり着く。

 

 アウローラの商業区は世界各地から食料、衣類、薬剤、嗜好品、武具、魔導書、様々な原材料などが集まる物流の中心である。

 

 市場には幾つかの出店が並び、芳しい香りを漂わせて姉妹を誘惑する。


「ねぇエリス、あれ食べていかない?」

 

 リリアは串焼き肉の出店を指差す。


「止めておきましょう、姉さま。 いかにも正体不明の生物の肉を使ってますって店構えですわよ? 」

「そんな事ないよー? おねーさん串焼き肉二つ頂戴」


 リリアは二人分の代金を払うと、良く火の通った串焼き肉を受けとる。


「エリスも食べなよ、美味しそうだよ?」

 

 エリスは手渡された串焼き肉を見つめる。 外観からはなんの生物の肉なのか類推する事が出来ず、また大量に使われた香料のせいで良い香りしかしない。 結局、空腹には勝てずエリスは串焼き肉に恐る恐る口をつける。 途端に口いっぱいに広がる肉汁と豊潤な味わい。 フロース姉妹は夢中になって串焼き肉を平らげた。


「美味しかったねーエリス」

「そうですわね、でもなんの肉だったのでしょうか…」

「細かい事は気にしないの。 それが人生を楽しむコツだよ?」

 

 リリアは昔からこのような性格をしていた。 悪く言えばおおざっぱ、良く言えばおおらかな性格と言える。

 

 そこそこに空腹を満たしたフロース姉妹は市場を通り抜け、商業区と居住区の境にある目的地にたどり着く。


 その商業区の中でも一際大きく古めかしいただ住まいの建物の入口には、巨大な竜と対峙する冒険者が描かれた印章エンブレムが掲げられている。 此処は王都の冒険者組合ギルド

 

 冒険者ギルドを訪ねる者達は様々だ。 ある者はまだ見ぬ秘境を求めて。 ある者は悪しき魔物を討伐せんが為に。 またある者は莫大な財宝を手にいれる為に。 冒険者達はこの場所に集う。


 リリアは冒険者ギルドの入り口に立つと、勢いよく扉を開いた。 途端に無遠慮な視線がフロース姉妹に集まる。 姉妹の様な若く美しい娘達は冒険者ギルドにおいて稀有けうな存在であり、注目が集まるのも致し方ないというもの。 しかしリリアはそれを良しとせずに、私の妹をいやらしい目で見たら殺すわよ? と言わんばかりの視線で、周囲をめ付ける。

 

 冒険者の面々は危険感受性に長けている者が多いのか、フロース姉妹から視線を逸らして思い出したかの様に馬鹿話に興じ始める。


「毎度の事だけど嫌になるわね…」

 

 リリアがげんなりした声で言った。


「わたしは気にしませんわよ? 姉さま」

「私が気になるの! 私のエリスがこんなケダモノどもの瞳に映ってるかと思うと耐えられない… いっそ私以外誰の目にも届かない場所に隠してしまいたいわよ…」

「姉さま、本気で怖いですわよ…」


 エリスは姉のある種の狂気的な愛情を嬉しく思うと同時に僅かな恐怖を抱いた。


「冗談よ、冗談。 さあて手早く用件を済ませちゃいましょう」


 そう言うとリリアは受付嬢に話しかけた。


「依頼完了の報告に来たわ。 依頼人はライアス・エスクードよ」

「ライアス・エスクードって… ウチのギルドマスターですかっ!?」


 受付嬢は思わず声を荒げた。 フロース姉妹の冒険者としての等級は初級冒険者ワンダラーであり、本来ギルドマスターから直接依頼を受ける事などあり得ない。 しかし、リリアが提示した依頼書は間違えなく本物であり、ライアス・エスクード本人の署名がなされている。


 受付嬢の困惑をよそにフロース姉妹は係の者に、速やかにギルドマスターの書斎に案内された。


「此方がギルドマスターの書斎になります。 くれぐれも失礼のないように」

 

 そう言うと係の者は扉を開けて恭しく一礼すると退室した。


「やぁ。 リリア、エリス久方ぶりだね。 また会えて嬉しく思うよ」

 

 その男はにこやかな笑顔でフロース姉妹を出迎えた。

 

 ライアス・エスクード――若くして冒険者ギルドの頂点まで登り詰めたその男は、冒険者と言うには余りにも穏やかな風貌をしていた。 体格は並程度であり、取り分けて筋肉質と言う訳でもなく、顔には傷一つない。

 

 その外見からかギルドの内外でライアスの実力を疑問視する声が後を絶たなかったが、彼の冒険者としての実力は確かなものだった。 特に魔物の安全な対処法の確立やダンジョンの安全なルートの確保といった、これまで個々の冒険者に委ねられてきた分野を共有化する組織態勢を作り上げた手腕と功績は、非常に高く評価されている。


「こっちは全然嬉しくないわよ。 あなた、冒険者を名乗るならこんな所に篭ってないで冒険者らしく旅に出なさいよ」

「中々に痛い所をついてくるなぁ、まあそういう訳にもいかないものなのさ」


 ライアスは苦笑混じりにそう返した。


「さて、早速本題に入ろうじゃないか。 冥界の入口の最深部に潜む暴食の大竜ニーズヘッグの討伐、君たちは成し得たと言うのかい?」

「勿論よ。 こうして生きて帰って来たのが何よりの証拠よ」

にわかに信じられないな… 」

 

 ライアスの疑心は当然のものと言えた。 冒険者ギルドに於いてニーズヘッグは数百年に渡り、並みいる冒険者を退け続けた最上級の魔物とされていた。


「依頼の品は此方に…」


 エリスが大型の道具袋を机の上に置いた。 鈍く重い金属音が響く。


「中身を改めさせて貰うよ」

 

 そう言ってライアスは道具袋の中身を取り出す。

 

 道具袋の中から出て来た物は、ニーズヘッグに挑み、敗れ去った冒険者達の遺品だった。 そのどれもが最上級の業物であり、冥界の入口に向かった後に消息を絶った上級冒険者シーカーの遺品も含まれていた。


「これはほんの一分よ。 これの百倍以上のお宝がまだあの洞窟に眠ってる」

「素晴らしい。 契約のとおりに安全なルートを示した地図と冒険者達の遺品は買い取ろう。 報酬は直ぐに用意させる。 勿論持ちきれない分は例の貸金庫に運んでおくよ」

「嬉しそうでなによりよ。 では私達はこれで…」


 そう言って去ろうとしたフロース姉妹をライアスが呼び止める。


「待ってくれないか。 もし冥界の入口の最深部まで君たちが案内してくれるなら、こんなに心強いものはない。 報酬は弾もう。 だからどうか…」

「話しはお仕舞いよ。 後はあなた達で何とかしなさい」


 ライアスの話しをリリアが遮る。


「それは残念だ。 良い儲け話があったらまた頼むよ」

「ええ、それではまた」

 

 そう言ってフロース姉妹は書斎を後にした。


「相変わらずいけすかない奴ね」

「その様なこと… 立派な方ではありませんか」

「さぁどうかしらね。 少なくとも私達の事を便利な手駒にしようと考えてるのが透けて見えるから気に食わない」


 リリアの考えは最もであったが、相手を自らの目的の為に最大限利用するという点に於いてはお互い様であった。


「リリア・フロース様、エリス・フロース様、報酬の準備が出来ました」

 

 フロース姉妹がそんな話をしているうちに、報酬受取窓口の受付嬢に名前を呼ばれる。


 フロース姉妹は窓口で報酬を受け取ると、冒険者達の羨望のまなざしを受けなから冒険者ギルドを後にした。


「さぁてエリス、お金も沢山手に入ったし、久し振りに豪遊するわよ!」

「とりあえずは湯浴みをして今日の所はゆっくり休みましょう、姉さま」


 ともすれば一晩の内に賭け事で有り金を全部溶かしかねない姉の豪遊体質をどうやって矯正しようかと思案しながら、エリスはリリアと共に夢見る羊亭に向かった。




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