閑話・ゴブリンを殺す姉妹の話

 暗き洞窟に仄かな明かりが灯っている。 その近くには簡易的な天幕が建てられ、その中では一人の少女が静かに寝息を立てていた。 その傍らにはもう一人の少女が寄り添い、眠る少女の美しい横顔を紅い瞳で愛おしげに見つめている。


 この二人こそが世界で一組の百合魔法使いリリウムマギウスにして竜を殺す姉妹、リリア・フロースとエリス・フロースであった。


 先だってニーズヘッグとの死闘を制したフロース姉妹は、冥界の入り口を無事に脱出し王都アウローラへの帰路についていた。 その道すがら大雨に降られた姉妹は、付近の安全そうに見える洞窟へと避難し、やや開けた場所に天幕を張って休息していた。


「姉さま… ダメですわ… わたくし、まだ… そんな…」


 なにやら夢を見ているのか、エリスが寝言を漏らす。


「ふふっ、夢の中でも私と一緒なの? 本当に可愛いいなぁ私のエリスは」


 リリアの表情がより一層綻んだ。


 静かに流れて行く時間、穏やかな夜になる筈だった。 奴らさえ現れなければ。

 

 それは最初ほんのわずかな違和感であった。 鼻先をかすめるかすかな獣臭、続いてぎぃぎぃぎゃあぎゃあと喚くような耳障りな声。 段々と数を増して近づいてくる。


「これはマズイことになったわよ… エリス、起きてっ!」


 事態の深刻さを理解したリリアは、エリスを叩き起こす。


「ふぇっ!? なんですの? 姉さま」

「おはようエリス、この洞窟どうやら悪鬼ゴブリンの巣と繋がってたみたい。 かなりマズイ事になってるのよ」


 ゴブリンの群勢は巣穴から大挙して押し寄せ、フロース姉妹の天幕を包囲しつつあった。


「むにゃ… わたくしまだ夢を見てますの?」


 エリスは寝起きが非常に悪く、いまだに夢と現をさ迷っている。


「寝てる場合じゃないのよぉ、エリスぅ。 しょうがないなぁ」


 極めて緊急性の高い事態であった為に、リリアはエリスを目覚めさせる最も有効な手段を行使した。 即ち夢と現をさ迷う麗しい姫君 (妹) に対して目覚めの口付けを。


「ん… ちゅっ、ふぁぅ!? んちゅ、んぷっ、リリア姉さまぁ… 」


「やっとお目覚めかしら? ねぼすけさん。 キスの続きしていたい所だけど、そうも言ってられないの。 三十秒で支度してくれる?」

「よく分からないですけれど、いわゆる緊急事態ですわね、姉さま」


 目覚めて即座に状況を把握したエリスは、身支度を整えるとリリアと手を繋ぎ、魔法を発動させる。


 二人を繋ぐ一本の力線に百合力リリウムフォルティアが行き交い全身に行き渡ると、姉妹の魂に火が灯り内側から湧き出す無双の力。 無尽の魔力は周囲の空間を僅かに歪め、血のように赫い光を放つ。また姉妹がその手に携えた細身の長剣、愛の祈りの剣オラティオニス・アモリス勝利の剣ヴィクトーリアには光の魔力ルクス・フォルティアが収束し、攻撃範囲と威力を飛躍的に上昇させる。


 百合魔法の特性上、魔法攻撃が使える状況が限定される為、フロース姉妹は主に強化系の魔法に依存していた。 即ち鬼神の舞踏ランシフォリアムによる身体強化と、愛の祈りと勝利の宝剣グラジオラスによる武装強化である。


「準備は良いかしら? エリス」

「いつでもいけますわ姉さまっ!」

「じゃあ、こちらから打ってでましょうかね!」


 リリアとエリスは手にした長剣で天幕を切り裂き、外へと躍り出た。

 天幕の外にはかなりの数のゴブリンがひしめき合い、ぎぃぎぃぎゃあぎゃあとわめき散らしている。


「エリス、ゴブリン語分かるかしら?」

「分かりませんけど歓迎してくれてる雰囲気ではないですわね…」


 姉妹がゴブリン語を理解出来なかったのは幸いであった。 もしその言葉を理解出来ていたなら余りの下劣さに顔をしかめていただろう。


「話が通じるか分からないけど一応言葉による解決を図ってみるわ。 私達に敵対の意思はないわ。 縄張りを荒らされて怒っているなら今すぐ出ていくから、大人しくしていて頂戴」


 ゴブリン達に言葉が通じたかは定かではなかったが、その群勢が大人しくフロース姉妹を見逃す事などあり得なかった。 ゴブリンとは残虐で野蛮で野卑で下劣で卑怯で汚く、病気持ちであらゆる種族を憎み、特に美しい人間を原型を留めない程にぐちゃぐちゃにして喰らうことを好んでいた。 ゴブリン達にとってフロース姉妹は正に格好の獲物と言えた。


 大多数のゴブリンが様子見に回る中、一体のゴブリンが痺れを切らし、棍棒を振りかざしてエリスに飛び掛かる。


 そのゴブリンの凶器がエリスに届く事はなかった。 目に見えない程の疾さで閃いたリリアの剣がほぼ反射的に、妹を傷付けようとする害虫ゴブリンを真っ二つに切り裂いていたからだ。


 途端にゴブリン達の怒号が洞窟内に響き渡り、殺気が充満する。

 しかし、殺気立っていたのはゴブリン達だけではなかった。


「あなた達、覚悟は出来ているかしら?」

 リリアの紅き瞳に激しい憎悪が浮かぶ。


「私の可愛い妹を汚ならしい血で汚した罪は重いわよ?」

 

 リリアの剣により真っ二つにされたゴブリンから迸った鮮血が、僅かにエリスに掛かっていた。


「あなた達には死んで償って貰うことにするわ」

 

 リリアは血の滴る長剣の刃をぎらつかせて、暴君の様に言い放った。


「姉さま、わたしはこのぐらい気にしませんわよ?」

「どのみち平和的解決は無理よ。」

 

 リリアの言葉の通りに、充満した殺気はついに決壊した。 ゴブリン達はその手に錆びた短剣や棍棒といった武器を携えて、或いは素手にてフロース姉妹に襲いかかった。


 背中合わせでお互いを守りながらフロース姉妹は剣を走らせる。 エリスの剣技は冷静に最小限の動きで間合いに入ったゴブリンの両腕を切り落として、肉盾として使い巧みに攻撃をかわし、またゴブリンの両目を潰して同士討ちを誘発した。 リリアの獰猛なる剣技は凄まじい疾さで閃き、一太刀にて二、三体のゴブリンの首を跳ねた。 姉妹の動きは対称的でありながら、まるで一つの生き物のような一体感がある。 それに比べゴブリン達は何体集まろうと烏合の衆。 統率もなにもあったものではなく、まるっきり相手にならない。

 

 しかし、ゴブリン達は殺しても殺してもフロース姉妹に群がった。


「こいつら、どうなってるのよ?」


 どれだけ殺してもゴブリン達は、一斉怯む様子を見せずに襲い掛かってくる。


「恐らくゴブリン達を煽動する呪術師的な役割をする者が、群れの中に紛れているのだと思いますわ」

 

 冷静にゴブリンを捌きながらエリスが言葉を返した。


「ならそいつを見つけ出して殺せば…」

「この状況ではそれも難しいですわね…」


 フロース姉妹の戦況はけして芳しくない。 敵の全体数も把握出来ない上にニーズヘッグ戦での疲労も残っている。 消耗戦にはかなりの危険がつきまとう状況と言えた。


「ならばここは、お姉ちゃん流戦術其の十一でいくわよっ!」

「蜂の巣を叩く。 つまり敵勢力に最大限損害を与えつつ撤退ですわね」

 

 リリアは敵を引き付ける為により一層激しく剣を振るい、ゴブリンの群勢のただ中に殺戮の嵐を巻き起こす。 ゴブリン達がリリアに引き付けられている隙に、エリスはゴブリンを切り払いながら洞窟の出口に向かって疾駆した。


 リリアが犠牲となり妹を逃がす算段であろうか? 否、その様な事はフロース姉妹にとってあり得なかった。 姉妹の絆は強固であり、お互いがお互いを 守り合う。 命尽きるその時まで。

 

 フロース姉妹の間には数多くの障害物ゴブリンが立ちはだかっている。 しかし、それは同時にゴブリン達がフロース姉妹がもたらす死の間合い――即ち二人の百合魔法リリウムマギアの範囲内に位置する事を意味していた。


「準備は良いですか? 姉さまっ!」

「勿論よ! いつでもどーぞ」

「いきますわよっ! 青き水砕ハイドランジア!」


 エリスが百合力を水の力アクアフォルティアに変換して放った魔法は水流を操り、一匹の巨大な蛇の様にのたくりながらゴブリン達を破砕した。


三重焔奏トリキルティス!」

 

 リリアが百合力を火の力イグニスフォルティアに変換して放った魔法は三重の焔の円を描きつつ、ゴブリン達を焼き払った。


 フロース姉妹が放った魔法は、いずれもゴブリン達に対して甚大な被害を与えたが、それらは彼らにとっての真の悪夢の始まりに過ぎなかった。


 フロース姉妹のちょうど中間に位置する地点で二つの魔法は衝合し、混ざり合う。 水流は焔により熱されて瞬時に蒸発し、圧倒時な破壊の力を解き放つ。

 

 洞窟内部で発生した水蒸気爆発は、フロース姉妹の間を阻んでいたゴブリン達をばらばらに吹き飛ばすと同時に、洞窟の崩落をも誘発した。 洞窟の上部から岩石が落下し、生き残りのゴブリン達を押し潰す。 巻き起こる大混乱に乗じて、フロース姉妹は洞窟の外まで駆け抜けた。

 

 フロース姉妹が洞窟から脱出した数秒後、洞窟内部から轟音が響いた。 洞窟の入り口は崩落した岩石で完全に塞がっている。


「ゴブリンってのはどこにでもいるものなのね… 勉強になったわ」

「そうですわね… ゴブリンとはいえ亜人種を殺すのは心が痛みますわ…」

「そうかしら? ゴブリンだろうが竜だろうが人間だろうが、私達の前に立ち塞がるなら斬り払って進むだけよ」

「姉さま…」


 エリスは姉のこういう所を危惧していた。 他の一切を顧みず、妹である自分を守ろうとする所を。 しかし、もし姉の身に危険が迫っていたなら、他の何かを捨てないと助ける事が出来ないなら、それが何であれ迷わずエリスは姉を選ぶだろう。 結局の所二人は姉妹であり似た者同士なのであった。

 

 いつの間にか夜が明け、昇り始めた太陽の光が二人を照らす。


「もう朝になっちゃったわね。 立ち止まってなんかいられないし、進みましょう! 王都アウローラまで」

 

 エリスはリリアの揺るぎない意志を宿した凛々しい瞳を見つめて、力強く頷くと姉と共に陽の光が照らす方へ歩き出した。






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る