第24話 男はみんな狼なのか?
夜。まだほんの少しだけ肌寒い空気を感じながら、津野は歩いていた。
ここに初めて来たとき、津野は星の数の少なさに驚いた。
プラネタリウムなんて目じゃないほどに、津野の住んでいた所では星が見えた。
それがここだとほとんどが姿を見せず、月だけが浮かんでいるように見える。
山から見下ろせば、町の方こそ星のようにキラキラと光って見えた。
おそらくは人間が星の光を地上に降ろしてきてしまったんだろう。その結果、月は一人だ。
居酒屋「昼行灯」の横を通り抜ける。
中からは小さく話し声が聞こえた。もうしばらくしたら外で桜を見始めるのだろうか。
津野は今から月に会いに行く。
一面しか見せないその裏側を探しに。
「あ」
「あ」
青井は先に公園で待っていた。
かなり早い時間に出たと思ったのだが……と、確認しても指定した時間にはまだ十分ほど早い。
声にもならない音を発した後、二人は何を言うでもなくベンチに座る。
つかの間の静かな時間が過ぎる。だが、津野の心臓は痛いほどに脈打っていた。
これから彼女を泣かせてしまうかもしれない。さらに不幸にしてしまうかもしれない。
けれど解決策はそれしかないように思えた。そして、その解決しか思い浮かばない自分に
「話って言うのはさ」
「うん」
お互い見つめ合うことなく話し出す。とてもじゃないが津野には青井の顔を見られない。
津野は彼女の事をいくつも思い出した。不幸を背負っても関係なく過ごせるなんてすごいと思った。津野にとって不幸とは避けたい出来事であり、不幸な人間も同じく避けたいものだった。
けれど、彼女は違った。感情を麻痺させ、幸も不幸も感じなくさせるわけでなく、不幸にばかり目がいくわけでもない。あるがままをうけとめて、それを良しとした。
自分のためじゃない、誰かのために。
けれどそれはきっと違うんだ。
「やっぱりお前は、不幸で可哀想な奴なんだよ」
きっと誰もがわかっていることを、青井でさえわかっているであろうことを言う。
嘘でもない、誤魔化すわけでもない、ただ、真実を突きつける。
「私は、そう……だけど、他の人から見たらそうかもしれないけど――」
「いや、違うんだ。お前は同情されるべき存在なんだ」
幸福な境遇である、だからといって幸福を感じるかは別なように、不幸な境遇にあるからと言って、不幸であるかどうかはわからない。
けれど彼女にはこう言わなくてはいけない。お前は不幸なんだ。不幸なことは、辛いことなんだ、と。
「そんなことない。だって、私よりも不幸な人がいるの。不幸な私を見て、幸せになる人もいるの。だから、私だけが可哀想な訳じゃない」
青井の声が震える。津野は自分の声が震えてしまわないように尽力する。
そうだ、彼女はいつだって自分のことなんて顧みずに、誰かのことばかりを気にしていた。自分が不幸になることで、誰かの幸せを祈っていた。
「あの時には言えなかった。どれだけ不幸でもそれを人のために受け入れるお前を、すごいとまで思った。けどそれは違ったんだ」
津野は彼女を神様のようだと思った。周りの人間を幸せにするために、自分のどんな境遇も受け入れて、まるで青井の方こそ不幸の神様のようだと。
「誰かの不幸はお前には関係ないし、お前の不幸も誰かには関係ないんだ」
「なんでそんなこと……いまさら……」
青井は困惑している。今にも声が消えてしまいそうだ。
「お前が不幸だからって幸せになるやつなんていない、お前はただただ不幸で可哀想なやつなんだよ」
けれど、不幸の神なんていない、神様みたいな顔して、ただ不幸な女の子がそこにいるだけだ。きっと彼女は神様なんかじゃない。
なら、それをただの女の子にすれば良い。
「悲しいっていうのも大事なんだ。自分が笑うことを否定しちゃいけない」
不幸な境遇を受け止めて、いじめられようとそれを
「そんなこといったって――」
煮え切らない態度に、ついに津野は彼女の肩を掴み、向き合う。
「いいんだよ! 他の誰を気にしなくてもいい! 不幸な事を悲しいって言えよ! 幸せなら嬉しいって言えよ! 誰が不幸で誰が幸福かなんて関係ない! 自分が幸せなら幸せだって笑え! 不幸なら笑ってないで悲しめ!」
これはあの詐欺師の言った、おそらくは彼の本心からの言葉だ。彼から学んだのは何も誤魔化す方法だけじゃない。
初めて青井と目が合った気がした。
神様とか言うのなら、降りてこい!
「それでも、どうしても不幸になりたいって言うんなら、俺も一緒に不幸になってやる」
掬い上げることばかり考えていた。けれどそれだけが正しいわけじゃない。みんな一緒に幸せになるだけが良いことじゃない。
助けようとするのが間違いだった。彼女が下で、自分が上でなんて考えた自分が間違いなんだ。
彼女に必要だったのは、ヒーローでも何でもない。
いつでも隣にいる友達だったんだ。
「さあ、お前と一緒に不幸な目に遭って、それでも一緒に笑って、一緒に悲しませてくれ」
そう言い、津野は手を差し伸べる。
楽しいときだろうが、悲しいときだろうが、一緒にいるのが友達だ。
彼女はいつものように笑い、けれど、
「ありがとう」
そう言って泣いた。
誰も聞いていない、小さな公園の中で泣く声だけが響く。
真っ暗な中だったため、その顔を見る人間は一人もいない。
臥待月はそれを見ている。
新しい季節はすぐそこに迫っている。
津野はこれから、不幸な少女と幸せになる。
津野は青井を家まで送り届けた。
「ねえねえ、送りおおかむ?」
「おおかまない」
俺のことを何だと思ってるんだ。と、津野は抗議する。
「不幸……」
額に手を当て、悲しげな表情をする。もしかして、もう持ちネタを作ろうとしているのか。
いくら時間が経ったとは言え、小学生の時はずっと一緒にいたんだ、今更距離感なんて、と思っていたが、改めて二人で歩くとなるとこれはこれで緊張する。
何を話したらいいのかわからない。
しばらく黙って彼女の隣を歩く。時々あたる街灯に、彼女の顔が照らされる。
記憶の中の彼女とは随分変わっていた。当たり前だ。四年も経てば成長期の子供なんてあっという間に変わる。
関係も充分に変わった。明日からは本当に隣に立っていられる。
歩幅を合わせながらゆっくりと夜の道を行く。
今日の晩ご飯は何だろうか。柚子さんは好きなものを作ってくれると言っていた。津野にはそれが戦利品のように思えた。
遠くで電車の通る音が聞こえる。明日からはあれに揺られて登校するのだ。
友達は……もしかしたら一人も出来ないかもしれない。それでもいい、津野は青井の隣にいると決めたのだ。
こんな風に。
「また明日」
とお互いに声を掛け合い、津野は帰路につく。
まだ高校生活は始まってもいないのに、今からこんなに忙しいのなら明日からどうなってしまうのだろう。
前途多難だったが、津野の足はそれに反して軽やかなものだった。
むしろ大変なのは、家に帰ってからだった。
玄関先に立った途端、背後に気配を感じる。
「他の女の匂いがするわ」
凄みのある声と共にふんふん、と後ろから鼻を鳴らす音がする。
他の女も何も、始めからそう言っていたような気がするが、今回は大人しくしておいたほうが良いような気がする。
「お望みは」
津野は諸手を挙げ降参のポーズをする。
「え、何でも良いの?」
そこまでは言っていない。
「はい、良いです。本当? やった」
勝手にこちらの声をアテレコして勝手に喜んでいる。青井の半分でも良いからこちらに気を遣ってほしい。
「あ、津野君、帰ってきたの? もうすぐご飯できるから、もうちょっと待っててね」
奥から管理人の声が聞こえる。と、同時に何人かの声が聞こえる。
「みんな実はみゆきの心配してたのよー」
耳元でささやく幸夜。
見ると、こちらの様子をうかがっているようにも見えた。
「お世話になりました。何とかなったんで、明日から頑張ります」
津野は広間に這入り、深々と礼をしながらそう言った。
そのうち昼行灯の主人にもお礼をしに行かなくてはならない。
そろそろ彼も桜を見ている頃だろうか。
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