第23話 神様猫様にご挨拶
昼行灯は準備中であった。が、主人が表で何かをしている。
「こんにちは」
主人は手を止め、こちらに向き直る。
「お、どうした? ああ、そうか、垣ノ内のポーチだろ」
待ってな、と言い、主人は店の中に這入る。
「これだろ」
と、小さなポーチを手に主人は帰ってきた。
住人がそれなりに常連なためか、主人にも大体の事情はわかっていたみたいだ。
「はい、ありがとうございます」
「お遣いか、なんだ、駄賃でもやろうか?」
「いいえ、結構です」
主人は少し笑い、作業に戻ろうとする。
「何をしているんですか?」
受け取ってすぐに帰るのもどうかと思い、津野は話しかける。
主人は簡易的な椅子の調節をしているようだ。
「ああ、もうすぐ桜の時期だろ? ここからだとほら、向こうの山肌に、誰が植えたか知らないが、桜が帯みてえに咲くんだよ。それを飲み食いしながら見てもらおうってんで、毎年外にいくつか椅子を置くんだ」
ぎしぎしと椅子の歪みがないか確認しながら主人は言った。
確かに、もうすでに山の方には薄桃色が見え始めている。
「まあ、俺がサボりたいってのも少しはあるがな」
元も子もないことを言う。
「桜は昔から好きだった。それこそ、ただの猫だったときからあれの美しさはよっくわかってた。けどなあ、この体になってからだよ。咲いてるだけじゃなくて、散るとわかってるからもっと映えるんだって」
しみじみと主人は言った。桜が好きというのは本当なのだろう。昨日話していたときよりも言葉の端々に感傷が混じる。
「俺は今くらいの桜が好きだなあ。三分咲きって奴かな。咲いてきてるってのがわかり始めて、にわかに空気が春めいてきてよ。けど、一番綺麗だと思うのは多分、満開の時だろうなあ。その時が最盛で、明日にでも散るかもしれないってい思うと、まあ儚いんだ」
作業の手は完全に止まっている。昨年の桜か、或いはいつかの一番綺麗だった桜を思い出しているのだろう。
匂いというのは記憶をもっとも呼び覚ましやすい感覚だという。
周囲に立ち始める春の匂いに、主人は何を思うのだろうか。
「なあ、お前一生添い遂げたいと思ったやつはいるか」
微かに見える桜を眺めながら主人は言った。
「わかりません」
子供の時なら何も考えず一生一緒にいると言えた友達はいただろうが、今の津野には一生は長すぎる気がした。
袖を引っ張り主張してくる幸夜。
そうか、お前とは一緒にいるかもしれないな。
恥ずかしいので言わないが、表情に出ていたかもしれない。幸夜は満足そうに頷いてアピールをやめる。
「そうか、まあそうだろうよ」
微笑みながら主人は言う。その脳裏にはやはり誰かが浮かんでいるのだろう。
「もしそう思ったやつがいたなら、一緒に幸せになろうとするな」
一通り作業をして、椅子を置き直してから主人は言った。
「そういうやつとは一緒にいるだけで幸せなもんだ。むしろ不幸なときこそ一緒に不幸になってやんな」
そうか、そうだよ。
その言葉に、津野の中の憑き物が落ちたような気がした。
「ありがとうございました!」
勢いよく礼をした後、駆け出す。
後ろで主人と幸夜が呆然としているのをなんとなく感じ取っていたが、いても立ってもいられなかった。
今度こそ。
津野が帰宅する頃には幸夜に完全に追いつかれていた。
妖怪の体力はやばい。
男としての面子が風前の灯火と化している津野を出迎えたのは夏乃だった。
「え、何、競争して来たの」
夏乃は少し引いている。それはそうだろう、春のこのうららかな日和に二人が汗だくで帰ってくればそうなっても仕方がない。
「まあちょっと」
肩で息をしながら津野は言う。
「あたしが勝った」
全く息を乱さず幸夜は言う。負けた。完膚なきまでに。
「なにしてんだか」
津野からポーチを受け取って夏乃は姉に声をかける。
「ごめんねー、ありがとー、お礼に今日は津野君の好きなもの作ってあげるからー」
部屋の中から声が聞こえた。
なるほど、そんな駄賃があるのなら、今度から進んで取りに行ってもいいかもしれない。
「それじゃあ、賞品としてみゆきをもらっていくから」
脇から手を入れ、持ち上げようとする幸夜。
いつもならなされるがままだったが、今はちょっと待って欲しい。
「悪い、もうちょっとだけ用事があるんだ」
その言葉を聞いて、幸夜は津野を下ろす。
一瞬身長が二メートルを超えた津野は、もう少し筋肉をつけようと思った。
「それじゃあ、夜には帰ってきます」
と、幸夜を置いて家を出たのが十五分ほど前。
津野は間に聞いていた神社にたどり着いた。
貧乏神をまつる神社。今回の騒動には間接的にも関係がなくなってしまったが、何もしないよりはましだと思い、津野はここに立っている。
神社というにはかなり規模が小さいものだった。下手すると見逃しかねないほどに。
いくら入れようか迷ったが、津野はせっかくなので小銭を全部まとめて入れることにする。
勢いよく小銭入れを開き、賽銭箱にぶちまける。
そんな雑なことをして果たして怒りに触れないか不安だったが、もうやってしまったことは仕方がない。
津野は小銭に紛れて紙片が飛んでいくのを見つける。
一瞬紙幣をとばしてしまったのかと不安になったが、よく見るとそれは昨日スーパーでもらった福引きの引換券だった。
幸夜が外れのティッシュに大喜びしていたのを思い出した。
確か二枚だけ余ったんだったか。
拾おうとしたが、風に吹かれて何処かへ行ってしまった。
まあ、これもお納めください。
と、都合の良い解釈をして、津野は
小さな
酒坂の言っていた参拝の礼に従い、二礼二拍一礼する。
神社で参拝するとき、心の中で願いを言うのは少し違うらしい。
神様の前で決意表明するくらいにしておけ、と酒坂は言っていた。
なのでその言葉に従い、津野は心の中で唱える。
「聞いてください。俺は青井と一緒に幸せになります」
しばらくそうして目を瞑った後、津野は意を決して、青井に電話をかける。
かける。
かけるぞ。
かけるんだ。
今になって緊張してきた。もしも違う人が出たらどうしよう。
携帯電話なので他人が出るわけはないのだが、もし、もしもそんなことがあったら……。
電話じゃなくてメッセージとして送って、いや、もしも彼女が見なければ待ちぼうけを食らうことになる。
電話をかけて、もしも留守電だった場合どうしよう。あるいは話中だったら。
着信履歴は残るだろうが、それを見てかけてくる人もいれば、こちらからかけ直すのを待つ人もいる。
そもそも留守電を残している途中にそれに気づいた青井が通話ボタンを押したら、中途半端に話しているところを聞かれてしまう。
電話をかけるというのはこんなにもハードルが高いものだったか。
迷った末、津野はまず文章を残しておくことにした。それに一時間返信がなければ次は電話にしよう。
「今夜もう一度、昨日の公園に来て欲しい」
何度も何度も誤字がないか確認し、震える指でなんとか送信した。
どうか一時間以内に気づいてくれますように。
もしかすると先ほどよりも真剣に祈っているかもしれない。
その祈りが届いたのか、携帯はすぐに震えた。
「わかった」
短い返事だったが、何よりも津野を奮い立たせた。
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