第22話 おつかい!!

 そしてこのたとえは恐らく今の青井の状況にぴったりと当てはまっているのだろう。

 その上、青井自身もそれを受け入れてしまっている。

 解決により時間がかかることがわかってしまった津野は、さっきよりもなお難しい顔をしてしまう。

 そんな津野に間は声をかける。


「津野君。嘘って言うのはね、全員が信じればそれはほんとうになるんですよ」


 津野にはその言葉を発した真意がわからなかった。

 間はしてやったり、といった顔をしている。もしかすると特に意味はなかったのかもしれない。

 青井には不幸の神が憑いている。きっとそれは存在しないものだが、その呪いをかけた何人もの生徒達と、青井本人はそれを信じてしまっているのだろう。

 たとえ紛い物の神だとしても、全員がそれを信仰すればそれはほんとうの神になるのかもしれない。

 ならば、少なくとも俺はそれを信じちゃいけない。

 彼女に不幸が憑いているなんてことはない。彼女はいたって普通の女の子だ。

 俺だけはそれを信じていなきゃいけない。


「それを退治することは出来ますか?」


 津野は何を言われてもやるつもりだ。どんな無理難題であろうと――


「出来ないだろうな」


 しかし、返ってきたのは無情な言葉だった。


「新しく出来た怪異というのは、まだ不確定なところが多い。そこにいる幸夜と同じだ。あとからあとから何かが加えられることもあるが、まじないの類いとなると風化する方が先かもしれん」


 そんな。


「じゃあ、今もしもそのおまじないが効いてて不幸になっている子がいたらどうしたらいいんですか?」


 津野の必死な様子に酒坂も気づいたようだ。しばし頭をひねっていたが、やはり何も思いつかなかったようで、


「わからんな」


 言いづらそうに一言だけ告げた。


「覚の怪の前例はあるが、それはあくまで妖怪としての確たる設定があったからだろう。設定も何もまともにないものをどうにかするのは――」


 酒坂は間に視線をやる。間も考えを巡らせていたようだが、お手上げといった状態で話し始めた。


「そうですね、そのおまじないは偽物だと言って聞かせても効果はなさそうですし、手っ取り早いのは偽物のお守りなんかをでっち上げて渡してしまうことですけど、それだって疑われてしまえばより深みに陥ってしまう」


 津野は思う。青井はそれを受け取りもしないだろう。自分が幸せになることで他の人間が不幸になるとまで思い込んでいるくらいだ。

 他に考えは……。

 駄目だ。何も出てこない。

 このままじゃ救えない。八方塞がりだ。

 だからといってここで止まるわけにはいかない。

 その時だった。


「ねえ、あの、ごめんなさい。昨日忘れ物しちゃったみたいで、昼行灯まで取りに行って欲しいんだけど……」


 管理人室から声だけが聞こえた。

 見ると、ほんの少しだけ隙間が開いている。


「忘れ物って何をですか?」


 津野は聞いたが、広間の何人かはそれを察したようだ。


「その、お化粧品の入ったポーチを……一式忘れてしまって……」


「お姉ちゃん、私出たいんだけど」


「駄目、今は駄目ちょっと待っ……」


 ガタガタと物音が聞こえる。

 一瞬ドアが開き、不機嫌そうな顔をした夏乃が外へ出てきた。


「津野君、悪いけど行ってきてあげてくれない? 柚子さん、すっぴんだと外に出られないんだよね」


 苦笑しつつ柏原は言う。

 一瞬隙間から見えた管理人の顔は、それほど酷いものには見えなかったが。


「そう、お姉ちゃん綺麗なくせにそんなこと気にするなんて」


「まあまあ、大人になればわかるよー」


 と、おそらく今日はまだ何も手を加えていないであろう柏原が言うが、説得力はまるでない。

 津野は正直それどころではない、だが柚子さんが全く出歩けないのはそれはそれで生活に支障が出る、と思う。

 このままここにいてもうっくつとした気持ちになるだけだ。なら、一度何も理由がなくても外に出てしまって良いのではないだろうか。

ちなみに幸夜は完全に一緒に出掛ける気でいた。


「それじゃあ、行ってきます」


 四人の顔と、一つの声が送り出す。

 しばらく歩いたところで、津野は違和感に気づく。今日は幸夜が静かなのだ。実際はずっとそうだったのだが、二人きりになってようやく気づいた。

 見ると、幸夜も浮かない顔で歩いている。


「なあ」


 沈黙に耐えられず話しかけたはいいものの、何を話せばいいのかわからず言葉に詰まる。


「ねえみゆき、あんたどうかしたの? 昨日なんかあった?」


 そんな津野を見かねて、幸夜は尋ねる。


「不幸の神が何とかって言ってたよね、それって昨日のあれ?」


 やはり幸夜も感じ取っていたのだ。あるいは津野よりも敏感に。


「知り合いなの?」


 意図せず発したであろうその言葉に、キリキリと胸が痛む。


「そうだよ」


 辛うじて津野は返事をした。


「じゃあ、さっき言ってたおまじないを受けたのもその子?」


「そうだ」


「その子を助けたいの?」


「そう……」


 言い切れない。助けたいのは山々だ、けれど自分にそれが出来るのか。


「でも、助けられないかもしれないんだ」


 幸夜は言い当てる。あるいは、津野の悩みなど既にお見通しなのかもしれない。


「ねえ、あんたは何を悩んでるの?」


 不思議そうに幸夜は尋ねる。いつだってそう、幸夜には本当にわからないのだ。詰問するわけでもなく、責め立てるわけでもない。感情はわかっても、心は読めても、そこに至るプロセスはまだわからない。

 しかし、今回は違った。


「助けようって時に悩むの? みゆきはみんなを助けるのよね? あたしのことも助けてくれた、その時に悩んだりした?」


「それは……」


 悩んだりしなかった。むしろ、何も考えていなかったと言ってもいい。気づいたら体が動いていた。


「だけどそれは、たまたま上手くいっただけで、今回はもう一回失敗してて」


「じゃあ、あたしの時も、あたしがそのまま消えていったらそこで諦めたの?」


 幸夜は津野に詰め寄る。今までに津野はこんな幸夜を見たことがない。


「あの時はまだ心が読めたんだよ。あたしが読んだ心はそんなんじゃなかった。なりふり構わずあたしを助けようとしてた。悩んだり、躊躇したり、そんなことは一切しなかった。そんなみゆきを見て、やっぱりあたしはこの人のこと好きだなあ、って思ったんだよ」


 幸夜の語気はどんどん強まる。


「助けたいって思ったんなら助けなよ。一回失敗したって、そんなの関係なく手を伸ばすのがあんたでしょ! それがあたしの好きになったあんたなんだよ!」


 津野は打ちのめされる。

 津野のやりたいことを、津野の心の中を一番わかっていたのは津野ではなく幸夜だったのかもしれない。

 津野は提案する。


「なあ、一発殴ってくれ。もうちょっとで目が覚めそうなんだ」


 少しかがんで、幸夜の肩の辺りに顔の高さを合わせる。


「思いっきりやってくれ」


「わかった、思いっきりね」


 幸夜は遠慮しない。右手を大きく振りかぶり、大きく助走をつけて――

 ちょっと待て、助走?


「みゆきの馬鹿!」


 ぱーん、という小気味の良い音と共に津野の体は一メートルほど飛ぶ。

 人通りがなかったことが唯一の救いか。

 一瞬津野の意識は遙か遠くへ飛び、ともすれば目覚めどころか数分の眠りとなるところであったが、なんとか津野は意識を体に呼び戻した。


「思いっきりって言ったがここまでやれとは言ってねえ!」


「あはははははははは!!」


 文句を言う津野に、大笑いする幸夜。

 先ほどまでの会話が嘘のようにいつも通りの風景だった。


「はあ……、ふう……」


 前言撤回、殴った後の手と涙目の津野を見比べて、幸夜は開けてはいけない扉を開こうとしていた。

 昼間にしていい恍惚の表情ではない。


「ねえ、もう一回だけ――」


 熱くなる頬を押さえながら幸夜は言う。


「駄目だ、今度こそ首がなくなる」


 津野は殴られる瞬間、体内に聞いたこともない音が鳴り響くのを感じた。

 今度やられたら体とさよならを告げなくてはいけないかもしれない。


「まあでも目は覚めた」


 最悪の目覚めではあるが、気合いが入ったことは確かだ。

 気合いで何とかなる問題ではないが、なんとなく心は元気になった。


「ねえ、お願い。も一回だけ」


 一方、幸夜は新たな趣味に目覚めようとしていた。その目は何とかして閉ざさなくてはならない。

 まずは出来ることからやっていこう。

 昼行灯へ向かう足は、先ほどよりも軽くなっていた。


「お願い、なんかもうちょっとでわかりそうだから」


「駄目」


 素っ気なく返すと、幸夜はまた別の表情を見せる。


「あ、ちょっと待って、そうやって我慢させられるのも良いかもしれない。もうちょっと理不尽な言い方してみて」


 下腹部を押さえ、幸夜は言った。

 幸夜は同時に正反対のドアを開けようとしている。

 何にでもなり得る性質を持つって、もしかしてこういうことなのだろうか。だとしたら相当厄介な妖怪なのだが。

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