第21話 人を呪うと言うこと
いつものように、腹部に重みを感じながら起きる。
もしかするとこいつの頭には磁石が入っているのかもしれない。
真面目に考察しようとしたが、それが正しいとすると今度は自分の内臓のどれかが磁気を帯びていることに他ならないのですぐにやめた。
いつもよりも目覚めがすっきりとしている気がする。
ふと見ると部屋の隅にぬらりひょんがいるのを見つけた。
いつものようにお茶をすすっている。
「おはようございます」
寝転んだ姿勢のままなので失礼かと思いますが、どうぞご勘弁を。腹のこいつが悪いのです。
「はい、おはよう」
彼はまたいつものように挨拶を返す。この
さすがは妖怪の総大将、肝っ玉が違う。
などということを言っていられない。
「はいはい、起きてー」
幸夜の寝癖を誘発するように頭をさする。触り心地が良い、悔しいことに。
一瞬目をしかめた後、幸夜は目覚める。今日の格闘時間はどのくらいだろう、そう考えながら寝ぼけ眼と目が合ったときだった。
「なんかあった?」
いやにまっすぐな目がこちらを
「まあ、その、色々と」
その目に耐えられなくて津野は目をそらす。覚でなくとも何かを隠しているのはすぐにわかるだろう。
けれど幸夜はそれ以上は聞かなかった。
素直に津野の胴体から手を離し、津野の体を起こす。
幸夜はボサボサの頭を手ぐしで整え、次に津野の頭を整える。
単純に頭を撫でられているようでくすぐったいが、今はそれを大人しく受け止める。
「ふふ、何これ、ふふふ」
しつこい寝癖で遊ばれているような気がしなくもないが、それも受け止める。
これからやるべきことを整理しようと思った。
まず、これまでのやり方では全く通用しないであろうということ。
単純に不幸とその種を取り除けばいい、というわけではない。
もちろん、その元凶であるおまじないについては何とかしなくてはならない。
けれど、それを取り除いたところで青井の体質それ自体はどうにかなるものでもないし、性格も変わらない。それでは結局いたちごっことも言えるだろう。
同じ
これが津野にとって最後のチャンスのような気がしていた。
失敗するわけにはいかない。あの時のことを挽回しなくては。今度こそ彼女を救うのだ。
広間に行くと柏原がいた。
「あー……」
お互いに何故か気恥ずかしい。
おかしい、何もなかったことにしたというのに。
「おはようございます」
深々と頭を下げる。それはもう、深々と。
「おはようございます」
何故か敬語で返された。
柏原はこっそり耳打ちする。
「昨日のあれさ、忘れてとは言わないけど、皆には内緒ね」
恥ずかしいからさ。と付け加える柏原。
そんなつもりはなかった。というか、言いふらしたら恥ずかしいのは津野だって同じだった。
後ろで幸夜が不思議そうな顔をしている。
まあ、なんていうか幸夜にも知られたくはない。
朝起きて目元が腫れていないか必死で確認したくらいだ。
昨日のことはどちらかと言えば忘れたい過去だろう。
けれど津野はそれを忘れるつもりはなかった。
これだって一生抱えて生きていくのだ。
朝食を終えた後、津野はまず柏原に気になっていたことを聞いた。
「柏原さんって、この辺りの出身ですか?」
「ああ、そうだよ。生まれたときからずっとここ」
柏原は朝食後の、緑っぽい茶色っぽい、ひとまず健康には良さそうな液体を飲みな
がら答えた。
「ごめんなさい、やっぱ気になって話が続けられないです。それってなんですか?」
魔女が大鍋で混ぜているあれにしか見えない。
「飲む? なんか、大地の息吹を感じるけど」
「お断りします」
ふわっと容器がこちらに傾けられただけですさまじい匂いを感じた。津野は山の中で転んで草と泥まみれになったときのことを思い出した。
そしてそれを嫌な顔一つせずに飲んでいる柏原に、幸夜は化け物を見るかのような視線を送っている。
気持ちはわかるけどお前も一応妖怪だからな。
「この辺りの出身だったら、不幸になる神様のおまじないって聞いたことありますか?」
これが全国的なものか局地的なものかは知らないが、一番知っていそうなのは彼女だった。
「不幸になる神様? えー……どうだったかな」
眉間にしわを寄せ、思案顔である。関係ないがその仕草が似合うなと津野は思った。
「日本の神を全て把握している訳じゃないが、誰かを不幸にする神というのは聞いたことがないな」
奥から頭を抱え出てきたのは、酒坂と間だった。こちらはこちらでこの世の終わりを覗いてきたかのような顔をしている。深淵に覗かれていそうだ。
あれが二日酔いというやつだろうか。よく考えると、あの場で一番酔っているように見えた柏原はなんともなさそうだ。
「災厄を司る神や、疫病を司る神なんかは日本にもいるが、そもそも
間は黙って水を飲んでいる。顔が青白い。
表面上は見えないが、どちらにしても辛そうだ。
「災厄を司る神と言えば
「ああ、貧乏神をまつる神社なら近くにありますよ」
間が今日初めて声を発した。いつもよりもトーンダウンした声だった。
「中学生の間で流行っているみたいですね。不幸にするおまじない。それに神様が噛んでいるのかはわかりませんが、その神社の近くでやるといい、みたいなものは知ってます」
それだ。
「教えてください。そのおまじないについて詳しく」
「いやあ、それが、詳しくは知らないんですよ。なにせ人によっても微妙に違うものでしたから、これは使えないなと思って忘れてしまいました」
この人はいたいけな女学生のおまじないを何に使うつもりだったのだろう。
津野は初めて間に会ったとき、彼が学生服を着ていたのを思い出した。やっぱりあの時詳細を聞いていなくて良かった。
けれど、津野はそこで気になった。
「そんな迷信みたいなものに効果があるんですか」
正直、消しゴムに好きな人の名前を書くことで縁結びの神様が動く、くらいの暴論のような気がする。
「さあな。ただ、
酒坂は例えば、とこんな話をした。
ある女子が男子にその不幸になる呪いをかけたとする。
それ自体には何の効果もなかったが、男子は第三者によって自分にその呪いがかけられたことを知る。男子は近くに貧乏神をまつる神社があるのを知っていたが、それが効くとは信じていなかった。
だが、気にしないようにすればするほど、その呪いのことが気になって仕方がない。それが本当に効いているのか、今日何か不自然なことはなかったか。そもそもどうして自分がそんなものをかけられなくてはいけないのか。
気にすれば気にするほど、自分の身に降りかかる不幸が、その呪いによるもののような気がしてくる。実際は昨日までと何ら変わらぬ日常を送っているのに。
そうして、少なくともそいつの中で不幸になる呪いは完成する。あるいはその話を聞いた誰かもそれを認識する。閉じられた世界では、それは怪異として認識されてもおかしくはない。
「まあ、恋のまじないだってそんな物だろう。気にもしていなかった女子が自分の名前を消しゴムに書いているなんて聞けば、いやでもそいつを気にしてしまう。それが反転したようなものだ。そしてこれは、立派な呪いのメカニズムの一つだ」
最後に酒坂とは思えない可愛らしいたとえが入ってしまったが、おおまかには理解出来た。
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