第18話 アフロヘアの幽霊が出来るまで

「まあいい、足のない幽霊だ。しかしこれも、まるやまおうきょという絵師の描いた幽霊画が元となっている。それまでに足のない幽霊というのは一体とて存在しなかった。しかし多くの人が「幽霊とはそういうものだ」と思うことで、語られることで、幽霊とはそういうものになるのだ」


 先ほどから津野の頭の中で、アフロヘアーがしにしょうぞくを着て踊っているのを退治して欲しい。


「そしてこれは、時間をさかのぼる」


「遡る? 未来から幽霊がやってくるんですか?」


「いや……まあいい。例を出そう。かつて人々はこの地球を大きな象だとか、真っ平らだとか、好き勝手言ってきた。君も天動説地動説くらいは知っているだろ。人々の間では地球は平らで、地面が動くはずがないと言われていた。そう、語られていた」


 こちらも語れば語るほど、馬鹿がていしてしまうような気がするので黙ろうと思った。


「それが、地動説が語られることで、ちまたすることで、初めて地球は丸みを帯びた」


 言っていることはわかるのだが、感覚的に少しずれているような気がする。微妙に違和感を覚える。


「いずれロケットが打ち上げられ、宇宙からちょうかんすることで人々は初めて自分たちの乗っている球体というものを理解した。そこから遡って、太陽を運んでいた船はなくなり、世界の隅は消え、皇帝だろうとファラオだろうと、ガリレオだろうと、全員がもれなく球体の上に乗っていた事になった」


「それは、そうなんですか? だって、昔から地球はそのまま丸くて、発見されたから丸くなったわけじゃなくて」


「そうだ、地球は俺たちが宇宙に行こうと猿のままだろうと、変わらない。何食わぬ顔をして回っているだろう。なぜならそれが大自然だからな。なら人に依らざるを得ないあやかしたぐいいならどうだ」


 妖怪なら……存在自体が人の影響を受ける妖怪ならどうなる?


「幽霊に足がないと知れ渡れば、原始時代の幽霊だろうが足はない物として語られる。口裂け女の生まれが流布すれば、遡って口裂け女になる前の、ただの女が存在する。例えば俺が、この骨は恐竜の時代からいる妖怪の骨だと言い張り、それが世間一般に認識されれば、俺の生み出した妖怪が白亜紀に生まれるんだ」


 そう言って酒坂は手羽先の残りを指し示した。

 規模が壮大すぎて訳がわからなくなってきた。


「もっと簡単な話をしよう。金太郎というのは後にさか田公時たのきんときとなりみなもとのらいこうとともにしゅてんどうを退治する。ここまではいいのだが、その話には尾ひれがつく。ぬらりひょんの時と同じだ。ここまでの所業を達成する人間が普通の生まれのはずがない、と今では金太郎は龍の子だの山姥の子だの様々な説が語られるに至った。出生後の行いによって、その生まれがまた別の物語になるのだ」


 なんとなくわかった。回想シーンを挟みさえすれば後付けの設定をいくらでも増やせると言うことか。

 けれど妖怪は実在する物語のような存在。後付けの設定によって今や過去が容易に変わるということだろう。


「そうだ。妖怪とはそういうものだ。あやかしとはそういう存在だ。怪異とは、何処にでもあって誰にでも見えうるものだ。故に彼らに当たり前というものは存在しない。それはあくまで俺たちがそう思っているだけのことだ。誰かの認識で、或いは語られることによって、それらは容易にくつがえる」


「ただでさえお嬢ちゃんはイレギュラーな存在だ。今までそんなことをしたやつぁいなかったからな。俺にもどうなるかわからねえ」


 津野は脅かされているような気がして、ふと振り返ってしまった。

 偶然幸夜と目が合い、呼ばれていると勘違いしたのかこちらへやってくる。


「まあ、少なくともお前さんが余計なことしなきゃ大丈夫だろうよ」


 幸夜はなんの迷いもなく津野の隣に座る。酒臭いのは匂いが移ったからだと思いたい。

 よくよく考えれば、妖怪に未成年も何もないと思うので問題なさそうだが、表現の規制があるかもしれない。

 主人は意地悪そうな笑みを浮かべ、含みのある言い方をする。


「強い恨みを持つとか、嫉妬に駆られるとか、人が鬼になる理由なんていっぱいあるんだぜ、鬼なら尚更だ。精々お前さんも、気をつけな」


 見れば酒坂も同じように意地の悪い顔をしている。

 悪人顔めっちゃ似合ってるなこの二人。

 それを言うと怒られそうなので黙っているが。

 幸夜の方に視線をやると、待ってましたと言わんばかりに両腕を広げてきた。


「いや、やんないから」


 公衆の面前どころか、たぶん今一番やっちゃいけないタイミングだ。ピラニアのいる水槽に腕を突っ込むくらいのばんこうだろう。

 幸夜は黙って膨れている。あ、やはり顔が赤い気がする。誰がやってくれやがったのだろうか。

 こちらからのアクションがないことにしびれを切らしたのか、幸夜は無言でしなだれかかってきた。お邪魔しますじゃない。


「まあなんつうか、この様子だと大丈夫そうだなァ」


「これも愛故にってやつだ、旦那」


 二人は楽しそうにこちらを見ている。全くもって他人事だ。


「まあなんせ、困ったことがあったら言いな。ここいらの事情は大体仕切ってっから」


 その時だった。


「ううん――」


 客席の奥、津野らのいる場所とは反対側から声が聞こえた。


「いけねえ、忘れてた」


 そそくさと主人がそちらへ消える。


「おーい、大丈夫か」


「ああ、大丈夫、大丈夫だよ」


 からり酔っているようだ。ろれつが全く回っていないし、聞き取れる内容も要領を得ない。


「いやー、ダメなんだ。僕ってやつは」


「そんなこと言ったってしょうがねえだろうよ」


「いやあ、だめなんだよ。ノルマがどうしてもクリアできない。しかも最近なんだか妙な案件が増えちゃってさ」


 酒坂と目を見合わせる。なんだか色々あるみたいだ。


「いやー、だから仲間内でもあいつは出来ないやつだとか、恥さらしだとか言われてさー」


「そんなことねえよ、お前はむしろそういう所が良いところなんじゃねえか」


 しばし問答があったようだが、その客はすぐに帰っていった。


「良く来る方なんですか?」


 主人の慣れた対応に、津野はそう感じた。


「まあ、そうだなァ。いつも仕事の愚痴なり何なりこぼしてくるもんだよ。まあ、苦労の多い仕事だろうからなあ」


 断片的に聞こえてきた話からもそれは容易に想像できた。

 けれど、ほぼ貸し切り状態だと思っていたため、少し聞かれるとまずい話をしてしまっていたような気がする。津野はかなり不安になった。


「その辺りは大丈夫だ。だってあいつぁ……、いや、そう、ここまで来ると大概記憶が飛んでんだ。明日朝起きるまでまともに覚えちゃいないだろうぜ」


 それなら良かった、のか?

 津野は見知らぬおじさんの行く末が、それはそれで心配になってしまった。


「まあ、そうさな、ああいうやつのこともたまには心配してやってくれよ。好きでああなってるわけじゃねえんだ」


 それはそうだろう。

 津野は後ろの大人達のことを考えながら、けれど自分はあんな大人にはなりたくないなと思った。

 と、その時。


「ねー、津野君。ねー」


 こんなタイミングで絡んでくるのは柏原さんか。

 そう思い振り返ると、そこにあったのは管理人の顔だった。


「楽しい? 津野君、うちにこれて楽しい?」


 その目は全く焦点が合っていない。というか、半分くらい寝言で言ってるんじゃないか、と思えるほどぼんやりとした表情だった。

 奥を見ると、間はとっくに酔いが覚め後片付けに精を出しており、柏原は眠ってしまっている。夏乃はまだ枝豆を食べている。


「夏乃さん、夏乃さん。お姉さんをどうにかして欲しいんだけど」


「……」


 黙って合掌されてしまった。なるほど、自分は安全圏にいけるからってこっちを犠牲にしてきたって訳か。


「がんば」


 サムズアップされた。あんなに折りたくなる親指は初めてだ。


「どうにかって、津野君それは酷いんじゃないかな?」


 きーずーつーいーたー、と管理人は何の遠慮もなく体重を乗せてくる。重た、くないです。やばい。やわい。


「きーずーつーいーたー」


 同じく真似をして幸夜が膝に乗ってきた。女性二人にサンドイッチされる形となり、一般的には最高のシチュエーションだろう。だが津野は酷く落ち着かなかった。ちょっと刺激が強すぎるので本当に勘弁して欲しい。


「楽しそうだね」


 その上、先ほどから夏乃の怒りのボルテージが上がってきているように思う。

 そう思うなら止めて欲しい。


「嫌だ」


 そう言い、やはり枝豆を食べている。

 彼女は未だに津野に心を開いてくれていないように思う。

 もちろん、津野が言うのもなんだが年頃なのだろう、いきなり同年代の男が生活圏内に入ってきていきなり好意を覚えるとは思えない。

 毎朝会って挨拶をしたり、夕飯を一緒に食べたり、その程度だ。一度だけ夏乃の作ったお菓子を食べたことがあるくらいで。

 たしか、ガトーショコラとかなんとか、そう言った感じのやつだったはずだ。

 嫌われるよりはましか。津野はそう割り切って夏乃に接している。

 学校生活が始まればまた何か変わるのかもしれない。

 津野と夏乃は同じ学校だという。クラスがどうかまでは知らないが、登下校はほとんど同じになるだろう。全くこの辺りの勝手がわからない津野にとってそれはとても嬉しいことだった。

 夏乃にとってはわからないが。


「枝豆好きなの?」


「関係ないでしょ」


 もしかしたら嫌われているのかもしれないっ。

 津野はショックをどうにか隠した。

「私はね、津野君みたいな子がうちに来てくれて嬉しいと思ってるよ」

 一方でこの話はまだ続いていたみたいだ。


「夏乃って人見知りみたいで初対面の子にはあんまり心を開いてくれないんだけど、そうやって津野君みたいに、つかず離れずの距離を保って、でも気にかけてくれるような子がいてくれて。夏乃にとっても、それは嬉しいことなのよ」


 って、夏乃がこの間部屋で言ってました。と管理人は言う。きっちりと仕返しはするんだな。


「な、何言ってんのお姉ちゃん!」


 背中をばんばん叩く音が聞こえる。

 そしてその衝撃はもちろん津野にまで伝わってくる。

 いたいいたい。

 直接言ってくれたって良いのに、と津野は思わないでもなかったが、それを言うと直接こちらに矛先が向かいそうなのでやめた。

 距離感を間違えなくなったのは、ある少女のおかげだった。

 いや、教訓と言えるかもしれない。それは痛みを伴う教訓だった。

 津野はその教訓を一生忘れることはないだろう。その傷跡と共に。

 不用意に他人に近づかない。それは、不幸を感じ取らなくなった今でも無意識に体に染みついているものだった。

 歯車は回っている。

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