第17話 居酒屋には猫又がいる
津野の住む町には、南北を分断するように大きな河が流れている。
その川沿いを少し入ったところに居酒屋通りと呼ばれる場所がある。個人経営の店やチェーン店、もちろん飲食店だけでは無いのだが、夜には様々な赤ら顔が並ぶ通りだ。
そこから更に少し離れたところに隠れるようにして、居酒屋「
看板は小さく、入り口も目立たないので通りがかっただけでは見逃してしまうこともあるだろう。事実、何日か通うと見知った顔しかいない事に気づく。
その上、座れる人数もカウンター席が四つに座敷が二つと、大人数に向いているとは言えない。
店員は一人という規模の小さな居酒屋だ。
いつもはその半分も埋まらないような空間が、今日は大盛況だった。
「いやあ、高校生を居酒屋に連れてきちゃうのって、なんだか悪い大人みたいで楽しいねえ」
既に顔を真っ赤にしながら柏原は言う。
「そうですね。ここで津野君に『一口でいいから、な?』なんて声をかければ完璧なんでしょうけど、そんなことをしたら管理人さんに怒られてしまいますから」
そんな柏原に肩を組まれ、少し迷惑そうにしながらも間は言った。
二人は同じくらいのペースで飲んでいるはずなのだが、間の様子には全く変化が見られない。
同じく顔色は変わらないが、目が据わってしまっている酒坂はじっと黙り込んでいる。この人が黙っているだけで何だか怖いというのは黙っていよう。
「もちろん、私が許しませんよ。この子にも手を出しちゃいけませんからね」
そう言って管理人は夏乃を抱きしめる。
どうやら管理人も少し酔っているようだ。
抱えられた本人は、枝豆を黙々と食べている。
「ねえ、お兄さん。あなたも人間じゃないでしょ?」
酔ってはいないはずだが、先ほどから上機嫌の幸夜はふと店員に尋ねた。
は? この人も人間じゃないの? 都会というのはここまで人外に会う確率が高いのだろうか。と津野はありもしない想像をする。
その疑問には主人でなく酒坂が答えた。
「そうだ、こいつは猫又だ」
やおら立ち上がると、勝手にカウンター席に腰掛ける。
「ああ? お
暇そうにしていた主人はその隣に腰掛け言った。
「いいだろう、旦那。そこにいるその子は鬼らしいぞ。ほら、これでおあいこだろう」
指された幸夜はまた楽しそうに返事をした。
「そうでーす! あたしも実は鬼なんでーす」
元気に手を上げ答える様子に、津野は本当に彼女が
雰囲気に酔ったとかそんなんじゃないだろうな。
それを聞いた主人は目を丸くする。
「はあー、今時鬼ねえ。珍しいこった。人里で鬼を見んのは初めてだよ。で、なんでここに」
「それはもちろん、愛故にってやつ?」
幸夜は決め顔でそう言った。津野はげんなりする。主人は心底愉快そうに笑った。
「かっはっはっはあ、愛ねえ。なるほど、そこの兄ちゃんも苦労してるって訳だ。いや、いいだろう。愛、愛、最高の理由じゃねえか」
何だかよくわからないがめちゃくちゃに褒められてしまった。
「いや、俺ぁ猫又だがよ、ああ、猫又ってのは大概長生きした猫がなるンだ。んで、猫ってのは昔は
そう、それも愛故にってやつだな。
と、主人は締めた。
「そうだ、旦那の言うとおり、化けて出るにあたって愛が元になっている事は案外多い。もちろんその中には愛憎入り交じるものや、裏切られて憎さだけが残ったものもあったようだが」
と、酒坂は口を挟む。
「まあなあ、一度愛したやつを裏切るってなあ理解出来ないが、
主人にもなにか思い当たる節があったのだろうか、遠い目をしている。
「んで、鬼のくせに人と暮らすってのは大丈夫なのか? こう、なんだ。人を食いたくなったりしねえのか」
「ああ、それは大丈夫。みゆきと約束したし、お稲荷さんもそういう鬼じゃなくなったって言ってたし」
「はあ、喫茶店のあいつかい。あのやろう、俺が行ったときにゃ近くに鬼がいるなんて一言も言ってなかったってのに」
そんなにも大事なことなのだろうか。正直、津野からすれば町に妖怪が一人増えようが二人増えようがあまり関係の無いことに思える。特に神様にとっては。
「いや、そんなこともねえんだよ。鬼ってのはそれだけでかなりの種類がいるからなあ、特にお前さんのように、まだ何かになり得る鬼ってのはやっぱり不安な部分も多い」
「ふーん」
他人事のように聞いているが、お前のことを言っているんだぞ。
放っておけば座敷の方で話している組の方へ行ってしまいそうな幸夜を、なんとかここに置いておきながら津野は言う。
「存在が消える、とか、噂が流れて生まれる、って言うのはわかるんですけど、性質が代わるって言うのは本当にあるんですか?」
今ここにいる幸夜が、他の何かに変わるというのは実感に乏しい。
例えばのっぺらぼうに突然顔が現れたり、花子さんが大人になったり、みたいな事を津野は想像してしまう。
例えば朝起きたら幸夜が男になっている可能性だってある、と言うことだろうか。
「いやあ、そこまで極端なものじゃあねえが、まあ、その辺は生活の違いもあるんだろうなあ。特に俺みたいに長くあるような妖怪とかは」
主人は奥から水を出してきて、酒坂と自分の所へ置く。
「猫又ってのは昔は行灯の油を舐める妖怪だった。何でか知らねえが、江戸時代には油を舐めるとか、風呂の
「だろうな、人の文化は変わるし、それによって人の妖怪に対する見方も変わる。恐怖の対象も変わっていくのだろう」
なるほど。
急に、とか目を離したら、とかそんなことはないみたいだ。
「だがな、それも全てこれまでは、と言うのが前提になっている」
酒坂は水を半分ほど飲んだ後、まっすぐにこちらを見て言った。
「アダムスキー型UFOを知っているか? これは一九五〇年初頭にジョージ・アダムスキー氏が遭遇したと言われる円盤なんだが、そう、いわゆる皿を逆さまに向けたような、幼稚園児にUFOを描けといえば全員が描くであろうあのUFOだ」
何故いきなりUFOの話になったのだろう。
とはいえ、酒坂が関係の無い話をすることはほとんどない。津野はしばらく黙って聞くことにした。
「これまでにも未確認飛行物体というものは空を飛んでいたのだが、彼がアダムスキー型を発表して以降、アダムスキー型の報告が爆発的に増えた」
爆発的に……、津野はそのアダムスキー型という物しか知らないのでなんとも言えないが、そう言われると不思議だ。
「例えば、同じ星の宇宙人ばかりが来るようになったとか、そういうことですか?」
津野の話に酒坂は少し笑ってからこう返した。
「かもしれんな。だが、例えば君、今空を飛んでいる飛行機、どんな形かわかるか?」
「まあ、多分ある程度は」
はっきりとはわからない、そもそも飛行機という物を間近で見たこともなかった。
「そうだろう、はっきりしない。けれど、今この上空を飛んでいるのは何時、何処発の丸々便で、丸々便とはこんな形だ、と写真を示されれば、はるか上空を飛ぶあれにも輪郭が見えてきはしないか?」
言われてみればそんな気がしてきた。
津野は友人でやたら節足動物に詳しい人間を思い出していた。
そいつの話を聞くまで「石をめくったらめちゃくちゃいる足のたくさんあるやつ」だったのが、「こいつはこういう特徴のあるやつで、近い種類のこいつとはこういった点が違う」と言う風に区別できるようになってしまったのだ。その知識は以降二度と役に立つことはなかった。
ありがとうS君、君のことは忘れないつもりだ。
「つまりそういうことだ。人々の認識によって、ものは
何だか聞いたことのある話だ。と津野は思った。
「そしてそれは、人に依らざるを得ない妖怪にも適用される」
そういえばそうだった。津野は話が戻ってきたことを実感する。
「怪異達は語られることによって存在する。例えば、幽霊と言えば足のない幽霊を想像するだろう。実際見たと語られるのも足より下がないものが多かった。今は多様化しているのか、足だけで現れるやつもいるがな」
幽霊の多様化、その言葉を聞いて唐突にアフロヘアーの幽霊を想像してしまった。そんなのが恨めしそうに立っていても非常に困る。
そもそもそういう髪型にするような人間は、化けて出ずにさっさと成仏してしまうのかもしれない。
「お前、何か余計なことを考えているだろう」
「いいえ、真剣に聞いています」
いつの間にか幸夜は何処かに行ってしまっていたが。あいつは本当に大人しく話を聞くことがないな。
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