第16話 それでは、貧乏神によろしく

 紗雪はその心を見透かしたように言った。


「そうですね。警戒するなと言う方が難しいですよね。マスターの言い方ははっきり言って胡散臭いですから。けれど、そのお嬢さんのことをわかっているべきと言うのは本当ですよ。今のままでは不安定ですから。誰かが見失ってしまうと、その小さな妖怪は目の前で消えてしまう事だってあるんです」


 ――消える。

 そんな光景を想像してしまい、慌てて幸夜の方を見る。

 今ここにいるのは確かだけれど、次の瞬間にいるとは限らない。

 一度消してしまいそうになったからこそ、その想像がたまらなく恐ろしかった。


「わかりました、聞いてください。そして、教えてください」


 津野は幸夜について話した。

 幼い時に彼女に襲われそうになったこと。

 彼女の性質を一部写され、不幸が感じ取れるようになったこと。

 ここに引っ越してきた時に、彼女がついに自分を食べに来たこと。

 彼女を消そうとしたこと。

 今はこうして存在していること。

 改めて考えてみれば偶然に偶然が重なっている、と思った。

 覚の怪が津野を狙ったのも偶然、そして見逃そうという気になったのもただの気まぐれ、探偵に出会ったのもたまたま、撃退できたのも、救えたのも、こうして一緒に生きていることも。

 全ての話を聞き終わったマスターは、合点がいったと言うように深く頷いたあと、満足げに言った。


「良くやった。少年」


 拍手の後に頬杖をついて足を組む。神社の神様だとしたらあまりにも似つかわしくない体勢だが、不思議とその格好が画になっていた。


「おそらくは名前をつけたことが良かったのだろう。名前というのは妖怪はもちろん、まじないや魔法の世界においても大切な意味を持つ。さて少年、その子はその後、人を食おうとしたことはあるか?」


「ある、あります」


 今度は幸夜がそれに答えた。


「でも、食べてません。みゆきのために我慢しました。これからはずっと食べないつもりです」


 マスターは一瞬驚いたような顔をする。

 子の成長を見た親のような優しい顔でそうか、と呟く。


「少年。本来妖怪というのは物を食う必要がない。にも拘わらず人間を食う妖怪というのは一定以上存在する。どうしてだかわかるか?」


「それは……えーと、その方が怖いから?」


 だから何だというのだ、津野は不正解のつもりだったが、その予想は外れる。


「そうだ、自分が捕食対象である、というのは生物にとっての恐怖の原点だ。そこらの草をむ妖怪なんぞ怖がられはしないだろう。我々は人々からの思いを受けることで存在できる。私のような神なんかは、まつられる事によって恵みをもたらす。或いはまつられぬ事によってたたる」


 語られる事で怪異たり得るのだ。と酒坂は言っていた。

 インパクトのある設定の方が、怪異はより人の間で浸透するのだろう。


「人を食う妖怪というのは、ある意味では人を食わなければ存在できなくなる。檻の中の猛獣なんぞ誰も怖がりはしないだろう?」


 その言葉に津野は反応した。

 ならば、他ならぬ津野自身が幸夜の存在理由を奪ってしまったと言うことになるのか。


「いや、話は最後まで聞きなさい。それがもしも、覚だったならと言う話だ。今そこにいるその子は、もはや人を食わねばならぬ存在ではない。それがさっき言った原義での鬼だ」


 喋るのに疲れた、と言うように紗雪の方を向くマスター。

 その顔を見てやれやれ、と言うそぶりを見せてから、紗雪が解説する。


「鬼というのは本来見えないもの、この世のものではないモノ全般のことを指していました。音はおん、から来ています。妖怪という確たるものが無くなってしまった彼女は、隠という存在でぎりぎり踏みとどまったんだと思います」


「そう、つまりはここから何にでもなれると言うことだ。妖怪とは人に依って存在が決まる受動的な存在でしかないが、君は自分の意思で変わることが出来る。素晴らしいことだと思わないか」


 黙っていられなくなったようで、マスターがすぐに横から入ってくる。

 ミュージカル俳優のように大げさに、身振り手振りを交えて彼は言う。


「もちろん、言葉にも引かれるように、今の君の存在は現代の人間の想像する鬼に依る部分が多くなるのだろう。しかし、それでも未来は決まっていない。かつての覚がなにをやったかは知らない、そのまま消えてしまっても文句は言えまい。だが、生まれてきた以上はそれが何であれたっとばれるべきだ。こんな事があるとは寡聞にして聞いたことが無いが、それもえにしだと思え。運命だ、偶然などではない、全ては起こるべくして起こったのだ」


 津野と幸夜は顔を見合わせる。

 運命。

 歯車が回るように全ての行動は何かと合致するために動いている。津野が不幸を感じ取れるようになったのも、その大きな歯車のうちの一つだった。

 そして津野はいずれ思い出す。歯車の動きは思わぬところでつながっているのだと言うことを。




「その子は名付けられることによってその存在と居場所が与えられた。そうして人とつながることで存在できる妖怪がいることもまた事実。妖怪が、または異なるものが人を襲わなければならぬという決まりもあるまい。好きなように生き給え。そんなモノが一人や二人いても構わんだろう」


 最後にマスターはこう言って津野を見送った。


「また来い、少年。君自身にもまた、何かが憑いているようだ」


 ぽん、と背中を叩かれ別れを告げられる。

 津野らの影が小さくなった頃、二人は話す。


「マスターは特定の人に肩入れしすぎです。あんまりやり過ぎるとあとで大変ですからね」


「いやあ、なに、これでも職務を全うしているだけどこぞの貧乏神よりはましだろう。それに、やはり生きているモノはそれだけで尊ばれるべきだ」


 はっはっは、と笑うマスターに、全ての文句を捌くのは自分だと文句を言う紗雪。

 今日は休業、の札を立て、二人は店内に戻っていくのだった。

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