第14話 彼女が人を殺さなかった理由

 道すがら津野は尋ねる。


「敷いておいたらその布団から出ることなく一晩過ごさせるような布団って置いてないですかね」


 そんな魔法のような布団があったら、幸夜に安眠の邪魔をされることもない。


「えぇー……どうだろう。ないんじゃないかしら」


 そうか、ないか。

 ここまで品揃えがあるなら、一つくらいそんなものがあっても良いと思ったのだが、どうやら現実はそんなに甘くないようだ。


「ふぅん?」


 どうしてそんな質問をされたのか、管理人は思案顔をしていたが、どうやら思い当たる節があったようだ。


「津野君、幸夜ちゃんに添い寝されるの嫌い?」


「はっ――!」


 目を見開いて管理人を見た津野を、子猫がじゃれ合う様子を見るように管理人が見つめる。


「幸夜ちゃん、津野君にべったりだから、そんなこともあるんだろうなーと思ってたけど――」


「いやいや、柚子さんに追い出されるようなことは何もしてないので!」


「ああ、もちろん、その辺りは津野君の真面目さを信じていますから。けど、夜の間抱き枕にされたりなんかはしているのかな?」


「いやー、それは」


 否定できない、というかまさにその通りだった。

 何だったら、自分の代わりになりそうな抱き枕を見つけようと思っていたくらいなのである。


「どうかな? 何かを抱きしめながら寝ると安心できるって言うけど、幸夜ちゃんが他の物を津野君の代わりに使うとは思えないな」


 やはりそうだろうか。

 津野も薄々、そうだろうなとは思っていた。

 たとえ何十個買ってこようが、幸夜は自分を選ぶだろう。なんて、言葉にしてみると随分うぬぼれが過ぎると思う。


「今度幸夜ちゃんにもお話しようかしら。あんまり津野君を困らせると、嫌われちゃうかもよって」


「あー、はい。出来れば」


 とはいえ嫌う、という選択肢はないような気がしていた。

 この間まで津野にとって憎悪や恐怖の対象であった彼女を、今津野は受け入れてしまっている。

 この気持ちはやはり同情なのだろうか。

 それとも、自分が拾ってしまったという責任感なのだろうか。

 だが少なくとも嫌うだとか、嫌々仕方なく、とか、そう言った感情でないことは確かだた。

 たとえこの先何があっても、「あのときお前を助けなければ良かった」と津野が後悔することはないのだろう。

 あの場面は津野にとって助ける以外の選択肢はなかったように思う。

 どうしてかはわからない。


 少し考えればわかりそうなのに、それ以上考えようとすると靄がかかるような、見えない壁に阻まれているような気がしてしまう。

 その言葉を聞けば、酒坂はにやりと口角を上げこう言うだろう。


「それはかべの仕業だ」と。


「塗り壁の対処方法は簡単だ。そいつがいるであろう場所の足下を払ってやればいい。いいか、自分の足下をよく見ろ、解決方法は簡単だ」


 津野の悩みをわかっているのか、本当に塗り壁の対処方法だけを言おうとしているのか、酒坂はそういうはずだ。

 津野の悩みもそうなのだ。

 彼は足下を見ればいい。自分がどこにどうやって立っているのかを見つめ直すだけで、その悩みは解決するのだ。


「まあこのくらいかしら。津野君、どこか気になったところはある?」


 いつの間にやら時間は過ぎ、ちょうど全ての場所を見終わったところだった。


「いいえ、大丈夫です」


「それよりも、幸夜ちゃんが気になるみたいね」


 図星だった。

 正確には何かやらかしていないかとても不安だった。

 幸夜が自分以外の見知らぬ誰かにどんな対応をするか、まったく想像がつかないのだ。


「じゃあ戻りましょうか、私もちょっと不安だし」


 少し早足気味に二人はフードコートへ向かう。

 残念ながら二人の予感は的中した。

 二人を待っていたのは、一口も飲まれていないコーヒーと、触れられてもいないケーキだった。


「俺が探してきます。柚子さんはここにいてください」


「そうね、わかったわ。もし何かあったらすぐに連絡して」


 人目も気にせず、津野は走り始める。

 もしかすると、お手洗いに行った帰りに迷ってしまったのかもしれない。

 何か気になるものがあって、すぐ帰るつもりでふらふらと行ってしまったのかもしれない。

 だから柚子さんにはそこで待っていてもらった。


「まあ、最悪の事態さえ起きてなければいいんだけど」


 あれだけ無防備な少女によからぬ事を考える輩もいないではないだろう。

 その場合心配なのは、幸夜よりもむしろその連中の方である。

 幸夜はひなた荘の人間に危害を加えるつもりはないという。

 けれどそれはイコールで人間に危害を加えないと言うことではない。

 自然と津野の足は速まった。

 探すと行っても何処を?

 もし迷っているなら、手遅れと言うことは無い。しらみつぶしに探せばそのうち見つかるし、運良く幸夜が帰れたのなら柚子さんから連絡があるはずだ。

 ――探すなら、手遅れになりかねないところからか。

 津野は人目につかない所や、少し入り込んだところから探し始めた。

 幸夜を見つけたのはそのすぐ後だった。


「あ、みゆき!」


 こちらの姿を見つけ、嬉しそうに駆け寄る幸夜。

 汗だくでそれを受け止める津野と、笑顔で受け止めてもらう幸夜。はたから見れば微笑ましい光景だろう。

 ――その奥に倒れている人影さえなければ。

 津野の考えた最悪の光景が今目の前にある

 熱くなったはずの体が、みるみるうちに冷えていくのがわかる。

 視界はぼやけ、酷くなる頭痛だけがはっきりと事実を訴えかける。

 なあ。


「なあ、あの二人は?」


 生きているのか? とは聞けなかった。

 その答えが怖かった。


「え? ああ、ねえ、褒めてくれてもいいのよ? あの二人さ、ここに入ってすぐくらいからずっとあとをつけてきてたの。んで、そっちの二人になった時に柚子さん目当てでみゆきに乱暴しようとしてたから、先にあたしが声かけて今あんな感じ」


 ほら、と何の遠慮もなく荷物のように指さす幸夜。

 近づいて確認したが、どうやらまだ息はあるようだ。


「本当は食べちゃっても良かったんだけど、みゆきの為にそれは我慢したんだ」


「――そうか」


 言葉に詰まってしまった。

 食べる、という言葉にどうしても反応してしまう。

 けれど、自分のためとはいえ無闇に殺さなかっただけ――


「だって、あれだけみゆきの事食べるって言ってて、それであんたを好きだーって散々言ってたからさ、もしここで食べちゃったらあんたが嫉妬しちゃうかなーって」


 あ、でも一人だけ食べて、焼き餅妬くみゆきも見たかったかも。

 幸夜は無邪気に笑いながらそんなことを言った。

 彼女は褒められると思っている。津野と管理人を狙う者を排除したのだから。

 彼女は津野が怒ると思っている。けれどそれは、彼女が津野をからかったから。

 悪意なんて、ましてや罪悪感なんて微塵も持っていない。

 殺さなかったのはただの気まぐれだ。

 津野の気を引きたくて一人が犠牲になったかもしれない。

 津野は改めて目の前の存在が妖怪で、数日前まで自分の命を狙っていたことを思い出した。


「どうしたの、みゆき? もう、そんなに心配しないでも、あたしはあんた以外もう興味ないって」


 そういって頬をすり寄せてくる。

 幸夜の頬が触れる胸は、早鐘のように鳴り続けている。


「なんか? ん? 怒ってる? 違う、怖いの? あたしがどっか行っちゃったから? 心配してくれた?」


 幸夜にはもう覚としての性質は残っていない。

 だがこれまでの知識と記憶の蓄積で、ある程度人の表情や行動で心が読めるのだ。

 けれど心が読めるからと言って、それが理解できるわけではない。

 そして何より、人と同じように感じるとは限らない。

 津野は人で、幸夜は妖怪なのだ。それはもう、どうしようもなく。

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