第11話 鬼の娘と眠るには
幸夜の自己紹介が終わり、夕食ははなおも賑やかに続く。
「なんていうか、その……」
柏原は周囲を見回す。
「あたしのいない間になんか面白そうなことになってるんだけど]
それはもちろん、好奇の目で。
津野の左隣には、先ほどからべったりとくっついたまま離れようとしない幸夜が、そして右隣にはそれを面白くなさそうな顔で見つめる夏乃の姿があった。
「今日も両手に花とは羨ましいですね。津野君」
「まあ、花は花でも茨のようだがな」
「みゆきー、花って言われちゃった」
隣の席に座る幸夜はすり寄る。
近い、近い。
「食べづらいから近づくな」
「えー、みゆきを食べようとしないだけましじゃなーい?」
「しれっと恐ろしいことを言うな」
攻防戦を繰り広げる反対側では、夏乃が小さな火を燃やしている。
「今、食事中なんだけど」
間接的に幸夜に押される形になり、怒りのオーラが透けて見えるようだ。
それを見た大人達のはやし立てる声は止まらない。
「こら、一緒に住んでもいいとは言ったけど、うちでそういう
「そうだ、どうしてもと言うなら外でやるがいい」
耳ざとく聞きつけた酒坂がそれに乗る。
「セクハラだ、セクハラだ」
ダメな大人達はどうやらブレーキをなくしてしまったようだ。
「ここじゃだめ、じゃあ、何処の公園でしよっか」
「何をだよ」
幸夜は何も答えようとしない。意味ありげな目でこちらを見るだけだ。
そして津野は思い出してしまった。
「このおじさんに下ネタをふったりしたらダメだからね」
ここで暮らす上での注意事項だ。
ぎりぎりとゼンマイ仕掛けのように首が酒坂の方を向く。
酒坂はにやりと笑った。
「ほう、面白い」
津野にはそれが悪魔のような悪魔の笑顔に見える。
「だが、初めてをアブノーマルなモノにするのはおすすめしないな。
徐々に
まずい、というかこの人よくここ追い出されないな。
「随分詳しいですね。まるで見てきたみたいだ」
「当然だ。今まで何冊そんな物を書いてきたと思っている」
胸を張ることでも無いと思うが。
酒坂さんは何処まで行ってしまうのだろうか。大人が本気でする
――ここにも救世主はいた。
「お姉ちゃん……」
だが、救済とは痛みを
「ええ、酒坂さん。夏乃の前でこれ以上その話をするようなら、明日からあなたの夕食は
酒坂は止まった。
津野はもう一つ、ここで気をつけるべき事を思い出していた。
「管理人である垣ノ内柚子を怒らせてはいけない」
津野はその
敷き布団は当然一枚である。
当たり前だ。どんな大男が二枚も三枚も布団を使って寝るというのだ。
この当たり前の常識に、津野は疑問を
いかなる物にもスペアという物は必要だ。もしもそれが無くなってしまったとき、困るのは自分だ。
寝具というのはただでさえ必要不可欠な物だ。
眠るというのは人間の三大欲求に含まれるほど、人にとって欲されるものである。
それを万が一の時に出来ないとあれば、
そんな危険をはらんでいる。
人々は掛け布団、敷き布団を二枚以上持っているべきだ。
最低でも遠出するときには、自分の寝る場所を確保すると同時に自分の寝具を持って行くべきであろう。
枕が変わると眠れないと言う人間は旅先に枕を持って行くという。大いに結構だ。ならば、掛け布団や敷き布団一式をもって何が悪いというのか。
津野は考える。
だがそれをやると荷物が増えてしまう、その通りだ。人間一人を覆えるような物だ。それを持ち運ぼうなんてどうかしている。
リスクとコストの天秤が揺れている。
だがこの場において、「持ち運ぶのが大変だからやっぱり布団はいらない」などと安易に結論づけることは、津野には出来なかった。
安眠が妨げられる。
人間どころか、生物にとっても必要不可欠な存在が、今まさに脅かされようとしていた。
「なにをごちゃごちゃ言ってんのよ」
幸夜は言う。あと、枕が飛んでくる。
「んぐ」
部屋はまだ段ボールに
にもかかわらず幸夜はそれを全く気にしようとはしない。
今現在彼女には寝間着がないので急遽夏乃の服を借りているのだが、サイズがあっていないのか、もうなんかやばい。
体型に伴う服とその見た目への影響を細かく描写出来ないような少女と共に眠る。
そんな、男子高校生にとってある意味地球を救うにも匹敵する高難易度の出来事が、今津野の部屋において行われようとしていた。
「すみません、お願いですから、私は違うところで眠らせてください」
敬語である。もちろん態度はDOGEZA。
「えぇ! やだ! 一緒に! 一緒に寝たい!」
地団駄を踏む幸夜。駄々っ子のような動きが本当に様々な物とのずれを生んでおり、大変なのである。本当にもう、大変なのである。制止できないし正視できない。
津野はそれを見ないようにしながら、なおも顔を地面に擦りつける。
「お願いです。勘弁してください」
こうなったらてこでも動かんぞ。
そんな固い意志と共に、土下座の形を崩すことがない。
――てことは支点、力点、作用点からなる構造の一つで、小さな力で大きな仕事を行うために用いられる。これらは私達の暮らしに大きく根付いており、釘抜きやはさみ、関節技から兵器に至るまで様々な物に用いられている。
力の弱い人間が大きな物を運ぶにあたって手に入れた、無くてはならない存在である。
また、人間を運ぶ際、最も難しいのは四肢を弛緩しきった状態の人を運ぶ事である。重みがある部品が、ちょっとした姿勢の変化で動いてしまうからだ。
ならばどんな姿勢ならば人を運びやすいのか。
膝を抱え、腕を閉じ、ちょうど一つの固まりのようにコンパクトに収まった姿勢。その上それが動かないようにある程度力が入っているとなお良い。
つまり、今の津野の姿勢は、持ち運ぶにあたって適しており、なおかつその相手は妖怪なのである。
てこでも動かないようだが、てこなんて使わなくてもこの状態の人一人運ぶくらい、幸夜にとって造作もない事だった。
どたどたと言った音がとまり、許してもらえるのかと津野は顔を上げようとした。
が、時既に遅し。
がば、と抱え上げられる。
「は? え? ちょ、ちょっと待って」
身動きを取ろうにも完全に抱えられてしまっているので動くことが出来ない。
片手を離し布団を
もちろん津野は抱えられたまま。
「はいはい、もうわかったでしょ。逃げられないんだから大人しく寝ときなさいよ」
うひひ、と笑い声が漏れる。
津野を拘束する腕は緩みそうにない。観念するしかなさそうだ。
まだ対面じゃないだけましか。
津野の力が緩んだのに合わせて、幸夜は腕を放す。
「明日絶対に布団買いに行くからな」
「あいあい」
大人しく頷いたことに
けれど津野は気づいていない。買ってきたからといって幸夜が大人しく使うとは一言も言っていないのである。
「でもね、なんだか夢みたい」
ぽつりと幸夜は漏らす。
「こうやって、誰かと一緒に住んで、誰かと一緒にご飯食べて、誰かと一緒に眠れるなんて」
そうか、何年かは知らないが、この子はとんでもない年数を一人で過ごしてきたんだ。
「ねえねえ」
幸夜は呼ぶ。首元にあたる息がくすぐったい。
「おやすみ」
「ああ、おやすみ」
「へへ、これ、言ってみたかったんだ」
もそもそと動く気配がする。
「良かったな、これから何回だって言えるんだし」
「そうだね、おやすみ、おやすみ、おやすみ」
声が近くなる。
「おやすみ、これからもよろしく」
ふふ、と後ろで笑う声が聞こえる。
さ、ここからは緊張感との戦いだ。女の子と一緒に寝ようとしたけど眠れませんでしたなど言えるか。
そう思った矢先、
「ごめん、寝ぼけて首元噛んじゃったりするかもしれない」
すす、と指が首を撫でる。
「やっぱ外で寝させて」
今日何度目かの
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