第10話 妖怪はそこからいなくなる

 もちろんそれはべんだ。言いがかりにも近いものだが、逆にこれを認めてしまうと物語が成立しない。覚の怪が読むものは、真実でなくてはいけないのだ。

 間は何も事実を隠す必要はないと言った。

 隠そうとしたところでそれを読まれてしまうのだから。

 だからこそ、事実や真実に嘘を混ぜ、めちゃくちゃにした。

 真か偽かもわからない、証明できない曖昧なものにした。

 それで良かった。こちらはそれをどうする必要もない。

 ただ、妖怪はそんな破綻した話をそのままにすることが出来ない。

 妖怪は世界の見え方のうちの一つで、解釈のうちの一つである。

 その解釈自体が、存在の基盤と呼べるものが、目の前の男によって揺るがされている。


「用意したまやかしって事もこっちにはわかってるの!」


「それがわかってることを、こちらが用意したのです」


 どうどうめぐりである。

 先ほど説明でも出した「犯人と探偵を操る真犯人」が「さらなる真真犯人」に操られている可能性を捨てられないように、読まれた心が嘘か本当か、証明することが出来ない。


 つまり――。


「覚の怪には心が読めるはずだ。けれど、お前には今の俺の心が本当かどうかわかっていない。心の読めない覚なんかいるはずがない」


 津野は用意されていた言葉を告げる。あと一言。

 心が読めなくても続きがわかったのだろう。少女の顔が青ざめていく。


「俺は」


「やだ、やだ」


 すっと指を突きつける。探偵が犯人を指し示すように。


「お前を、覚の怪とは認めない」


「いやーーーーーー!!!!!!!」


 少女は頭を抱えうずくまる。

 一昨夜、酒坂は言った。


「とはいえ、妖怪や幽霊は減ってきている。プラズマだの集団催眠だの、つまらん解釈をされるだけで妖怪達はいとも簡単に姿を消す」


 説明できないモノとして解釈された妖怪達は、それが解明され、存在を否定されただけで消えてしまう。


「幽霊の正体見たり枯れ尾花。だが、果たしてこれまでに枯れ尾花にされてしまった幽霊は一体どれだけいたんだろうな」


 そう、目の前でまさに少女が消えようとしている。

 さっきまで自分の命を脅かそうとしていた存在とは到底思えないほど、彼女は小さく見えた。

 このままこの子は消えるのだろうか。

 津野の頭には様々な記憶がよみがえってきた。

 この少女によって、津野には他人の不幸がわかってしまうようになった。

 この感覚があるせいでいろんな事に巻き込まれた。知らなくてもいいことをたくさん知ってしまった。


「けれど、人の不幸を感じ取れる、というのは悪いことだけじゃなかったと思いますよ。もちろん、誰よりも苦労はしたのでしょうけど、その分、誰よりもその人に寄り添うことが出来るって言うことじゃないですか」


 昨日の探偵の言葉を思い出した。

 目の前の少女からも不幸が伝わってくる。いや、これは悲しみ……?

 続くように数々の感情が流れ込んできた。

 少女に初めて出会ったとき、少女に噛みつかれたとき、少女に唇を奪われたとき。

 これは津野の記憶じゃない、少女の記憶とその感情だった。

 少女は今走馬灯のように自分の人生を見ているのだろう。そしてそれが津野に伝わってくる。これじゃあまるでこっちが覚じゃないか。


「ん? なんでしょうか」


 間の声に顔を上げると、少女の存在がはくになっていた。見ただけでわかる、このままゆっくりと彼女は消えていく、一人の妖怪がまた消える。

 にもかかわらず、少女から伝わってくる感情は温かいものばかりだった。

 津野に消されようとしているというのに、彼女が最後に思うのは津野のことばかり。

 どうしてかは津野にもわからない。さっきまで自分を食べようとしていたはずだ。口惜しさはあれど、こんなに幸せに消えていくはずがない。


 このままでいいのか。津野は思う。

 誰よりも人の不幸に寄り添った津野が、目の前の少女の幸せを願うことが出来ないのか。

 おかしいとはわかっている。けれど、津野には彼女を捨てることが出来ない。


「お前は覚の怪ではない」


 考えるよりも先に、言葉が紡がれた。


「だから俺の知る妖怪ではない」


 意味があることかはわからない。


「だけど、確かにここに存在する。お前は、俺にはわからない何かの妖怪なんじゃないか」


 津野はひざまずく。その気配を察したのか、少女はこちらを向いた。

 頬に手を触れ、その温度を感じ取る。

 やっぱりちゃんとここにいるんだ。


「俺はお前の名前を知らない。教えてくれないか」


「名前って、そんなの無いし。覚って言うのも、今じゃあ……」


 消えかけていたのが止まった。少女がだんだんと現実味を帯びていく。


「じゃあ、今決めよう。今考えよう。どうしよう、何か……」


 改めて少女の顔を見る。今はもう少女の顔に恐怖を覚えることはなかった。

 綺麗な肌だと思った。髪も、夜を集めたようにしっとりと黒い。


「なら」


 少女の口が小さく動く。


「あんたの名前が欲しい。みゆき、幸せの字をちょうだい」


 そうか。

 なら決まった。



こう、幸夜にしよう。お前は今から幸夜だ」




 その日の夜。

 大広間はしんと静まりかえっていた。

 人の気配はするが、彼らは一言も発さず待ち受けている、津野もその中の一人。

 そしてその手にはクラッカー。

 広間へ続く扉が開く。


『幸夜ちゃん! いらっしゃいませ!』


 一人あとから入ってくるように言われた幸夜は、あまりのことに腰を抜かしてしまった。

 これまで生きてきて、こんなものを見たことがない。

 へたり込んでいた幸夜に、津野は手を差し出す。


「早く座れよ。管理人さんの飯は美味いぞ」


 幸夜はその手をしっかと握り、用意された自分の席に着いた。

 あれから少し面倒なことはあった。


「こいつをここに置いておく? いや、お前がいいのならいいが、まあ、何というか……」


「良いと思いますよ、僕は」


「俺にも面倒見切れるかはわかりません。ですが、助けておいて放っておくのも違う気がします」


 いそいそと津野の影から顔を出す幸夜。

 存在としては変わってしまったようだが、見た目は変わらない。

 健康的に日焼けした肌に、真っ黒な髪を緩く束ねている。

 少し違うのは、その顔に浮かぶのが快活そうな笑顔ではなく、怒られるのを待っているような情けない顔だと言うことだ。

 酒坂はその顔を向けられて罪悪感でも湧いたのか、ふむ、だとか、だが、だとかうなってから言う。


「そうだな、今やそいつは『何者でもない何か』だ。逆に言えばどんな可能性も秘めていると言える。野放しにしてとんでもないモノになってしまうよりは、少なくとも目の届く範囲に置いておく方が良いか」


「幸い、津野君にはベタ惚れのようですし」


「いや、まあ、そう、なんですけど」


 面と向かって言われると、どぎまぎしてしまう。死が目前だったためそれどころではなかったが、あとから考えると顔を覆いたくなるような事を何度も言われたし、何度もされたような気がする。


「これでうちは不発弾を二個も抱えることになるのか……」


 酒坂が言うのはぬらりひょんのことだろう。

 こうなった責任はほとんど津野にあるので、なんとも言えない気持ちになる。


「まあまあ、何とかなるでしょう」


 何とかした間が朗らかに言ったことで、本当に何とかなるような気がした。

 次に大変だったのが、管理人に報告する時だ。


「あら、もう一人増えるの?」


「はい、急ですみません」


 幸夜が何者であるかは既に間が話していたらしく、それについては説明する手間が省けた。


「そう、一応部屋は一つ空いているけど……」


 管理人は悩むが、隣にいた夏乃がすぐに噛みつく。


「やだ、私が一人暮らしするときにその部屋使っていいっていった」


「だけど……」


 これだけ近くにいて一人暮らしになるのか、津野には疑問だったが、あえてそれは追求しないことにした。

 かといって、中身が何であれ女の子を外で寝泊まりさせるのは津野のポリシーに反する。

 どうしたものか、考えていた矢先。


「あ、あたし津野の部屋と一緒でいいよ」


 とんでもない爆弾が投下された。


「い、い、一緒!?」


 三人の声が重なる。


「うん、あたしは全然気にしないよ」


「気にしないって、俺は」


「そう、ダメよ。津野君だって男の子なんだから」


「ダメ、絶対ダメ。ダメったらダメ」


 三カ所から批難をくらい、さすがに撤回されるかと思いきや、


「ええ、じゃあ、外で……はあ、公園の草って山と違ってあんまり美味しくないんだけどな」


 などと目を伏せて言われてしまえば、こちらは何も言うことが出来ない。


「うちに来なさい、幸夜ちゃん。津野君のお部屋でも何でも使っていいから」


「え、話が違うっすよ、管理人さん」


「やあった、ありがとうございます!」


 先ほどとはうって変わって満面の笑みを浮かべる。

 酒坂曰く、もう覚の怪としての性質は残っていないはずだが、これまで何百人、何千人という人間の心を読んできた幸夜にとって、今更人の心を察することくらいはたやすいことなのだろう。


おかしい。津野は敏感に感じ取っていた。

 一応消えかけていた所を救ったのだから立場的には俺が上のはずなのに、既に振り回され始めている俺がいる、と。


「それじゃあ、ちゃんと面倒見てあげるのよ。津野君。高校生とはいえ大人なんだから、ちゃんとその辺はしっかりするようにね」


「ちょっと、その辺って」


 津野はなし崩しに決まろうとしている最後の砦になろうとした。が、そんな抵抗はいとも簡単に崩れ去る。


「それじゃあ、よろしくねーみゆきー」


 腕を組まれてしまった。

 左側に感じる自分以外の体温に、自ずとこちらの体温も上がっていってしまう。


「何? 噛む? あたしの心読む?」


 そんなことをしてももう意味ないだろうが。

 少年の心の叫びは春の風に吹かれて何処かに消えていく。

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