第8話 妖怪はそこにいる 3

 困惑する津野に、少女は値踏みをするかのような視線を向ける。


「いや、大丈夫だよ。ここから出ればすぐに皆の所に戻れるから」


「怖い? そうだね、あたしのこと知らないもんね」


「そっか、お父さんもお母さんも好きかー。幸せに生きてるんだね」


 その場には少女の声だけが響く。この間津野は一言も発していない、思っただけだ。

 そんなことは意にも介さず少女は続ける。


「ふふ、いいね。その表情、困惑するような、怯えるような、今までもいろんな人がここへやってきたけど、その中でも一番いい表情してる」


 ううん、と少女は口許に手をやり、少し考えを巡らせてからこう言った。


「よし決めた。あたしはあんたを食べよう」


「食べっ」


 思わず声に出た。

 食べると言われても、人が人を食べるという発想自体、津野にはない。

 だがその言葉にはそんな津野をしても、自分の今後を予感させるに十分な重みがあった。

 少女は言葉の残虐さとは裏腹に、目を細め優しい笑みを浮かべる。


「そう、食べるの。あんたの想像通り、けれど今すぐは食べないよ。せっかくいいものが手に入ったんだから、いい味付けをしないと」


 少女の中では手に入ったことになっている。けれど事実、津野のせいさつだつの権利は少女が握っていた。

 何の迷いも警戒もなく少女は津野に近づく。

 津野は恐怖のあまり目を閉じてしまう。


「おお、ちょうどいい」


 一瞬の静けさの後、津野は唇に柔らかく温かなものを感じる。


 直後――


「いだっ」


 ぶつっという音の後、首筋に激しい痛みが走る。

 一瞬呆けた津野は、信じられないと言う表情で少女を見る。


「味見しちゃったー」


 という少女の口許には、一筋の血。

 幼いながらも、津野は自分が何をされたかを理解した。


「ああああああああっ!」


 少女の耳をつんざくように泣き叫ぶ。目からは大粒の涙がどんどん溢れてくる。

 それすらも少女は愛おしそうに眺めている。


「いいなあ。やっぱり美味しいなあ。これを何年も待たないといけないと思うと辛いわー」


 口許の血を名残惜しそうに舐める。

 涙でゆがむ視界の中で、さらに少女はぼやけていった。


「それじゃあ、これから大変だろうけど頑張ってね。あたしに食べられる前に死ぬんじゃないよ。それじゃあ――」


 どうかお幸せに。

 耳元でそう聞こえたかと思うと、少しずつ津野の意識は遠くなっていった。

 津野が見つかったのは、山の中腹にある児童公園。そこで昼食をる予定だった。

 はぐれたはずの津野が誰よりも先にそこへ到着し、眠ってしまっていることに誰もが違和感を覚えたが、それ以上の騒ぎになることは無かった。

 津野の目には涙の後。心配した教師は何があったのか尋ねたが、津野の答えは教師には理解できなかった。

 道中にそんな場所はないし、津野が泣き叫んでいたのなら誰かが声を聞いたはずだ。

 また、教師も津野と同じようにそんな少女のことなんて知らない。

 その上、津野の首元には傷どころか汚れ一つついていなかった。


 結局、教師達の間では「本来のコースとは外れ近道を通ってしまい、児童公園で遊び疲れ眠ってしまったときに悪い夢を見てしまったのだろう」と言う結論が出た。

 そしてそれを説明された津野も、やがてそれが正しかったのだと思い込むようになる。

 しかしそれだけでは終わらなかった。

 以降、津野には人の不幸がわかるようになる。正確に言えば、何かに関してその人が不幸を感じているかどうかがわかるようになったのだ。




 話し終わった津野を待っていたのは、眉間にしわを寄せる二人の姿だった。


「あの、やっぱり」


 こんな話は信じられないですか。そう聞こうとしたときだった。


さとりかい


 酒坂は口を開いた。


「山形や岐阜の山中に現れるという妖怪だ。彼は――いやこの場合彼女か、彼女は人の心を読むという。ある日、山中でたき火をしていた男の前に現れ、『お前は怖いと思ったな』『逃げようと思ったな』などと、考えていることを次々言い当てる。男は『こいつが噂に聞く覚と言うやつではないか。ならば俺は食われてしまうのか』と考える。もちろんそれも覚に読まれてしまうのだが、しかしその時、たき火の中の枝が爆ぜ、覚にぶつかる。『人間は思ってもみないことをする』と捨て台詞を残し去って行く。という民話もある。ぶつかったのはかんじきというスノーシューズのようなものだ、と言う話もあり、山小屋で過ごすときは入り口にかんじきをかけておく、という風習もあったそうだ」


 覚の怪、初めて聞いた名前だ。

 一方、間の方は全く違うことを考えていた。


「こちらの考えていることをあててくる。大変ですね、それだと騙すことも出来ない」


 この人は知りもしない相手のことを騙そうとしているのか。

 やはり付き合いを考えるしか。


「だから、身内の信頼をそう簡単に捨てる訳がないじゃないですか」


 一瞬ふわりと笑ったあとに、また眉間にしわを寄せる。


「いや、けれどこれは大変ですよ。そうでもしないと、こちらにはお祓いだなんだは出来ませんし、うまく誤魔化して帰っていただくくらいしか」


「そうだな、専門でないものが無闇に手を出していい相手じゃない」


「そんな」


 津野に大人しく食べられろというのか。


「そうじゃない、だが、覚を撃退した話に共通するのは偶然だ。こちらから何かをして退治したというのは聞いたことがない。それに」


 酒坂は言葉に詰まりながらも、ゆっくりと自分の考えを辿っていく。


「やはり妖怪退治、というものはあまりすべきではない、ように思う。私情を挟むつもりはない。お前を見捨てようと言うつもりもない。しかし、こちらから能動的に手を出す存在ではないのだ、本来ならば」


 何を言っているのか津野には理解できなかった。そして話している酒坂本人にも説明しづらいことなのだろう。いつもよりも話し方のりゅうれいさにかけていた。

 間はやはり考え込んでいる。


「しかし、お前のその体質も説明がつかないな。妖怪の性質の一部を無理矢理写されたというのは」


「そんなことが出来るものなんですか」


 間がようやく口を開く。


「聞いたことがない。神話の中ならば、神の力を引き継ぐだとか、加護を受けるだとか、そんな話はいくらでもあるが、妖怪のものとなると」


 そう言われても、実際津野には感じられるのだからしょうがない。

 酒坂はまた迷いながらも話し始める。


「そう、そうなのだ。実際にあった以上それを否定することが出来ない。極論、彼らを説明するにあたり、あり得ないということがあり得ないのだ。あってしまった以上、行き遭ってしまった以上、それはあり得ることなのだ」


 ぬらりひょんの例がそうである。

 語られることで生まれるのが妖怪だ。人の想像しうることは、全て妖怪には起こりうることである。

 それはもちろん覚にも、そしてそれに行き遭った津野にも例外ではない。


「何でもありって……物語の登場人物みたいですね」


 津野は思う。そんな中途半端な存在に自分は敵うのかと。敵わなければ食べられるだけなのだが。


「そうだ、実在する物語こそが彼らだ。語られることで存在し、存在することでまた語られる。そんなモノだ」


 その言葉に間はふと顔を上げ、酒坂に尋ねる。


「それじゃあ、例えば設定との矛盾点を指摘したらどうなるんですか? 例えば覚なら、心が読めていない、とか何とか」


「矛盾点? そもそもそれが起こりえないはずだが……そうだな、もしそれがあったとしたら、そいつはそれこそ何者でもない何かになるんじゃないか」


 酒坂は考えながらも、言葉を続ける。


「何でもありの妖怪とはいえ、ある程度ルールには縛られている。にゅうどうは見上げずに視点を下げていけばいいだとか、べとべとさんは道を譲れば何もしない、のように。だがそれと反することになれば、それこそ物語として破綻する。まともに物語として存在できないのなら、あるはそいつ自身も」


 間はいくつか納得がいったように頷き、こう言った。


「だとしたら、一つだけ。案がなくもないのですが」

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